2006年7月31日 (月)

メッセージ

先ほど、いつものように娘・まおたんを寝かしつけようとすると、
「ぱぱっち、お話があるの。」という。

「なあに?」と聞くと、
「あのさあ、ぱぱっちとまおたんは、これから二人でがんばるんだよね。」

一瞬、どきりとしたが、
「そうだよね。いっしょにがんばろうね。」と答える。

「がんばるにはさぁ、まおたんも元気出さないと、がんばれないよね。」

このまま、また、まおたんにはげまされるのか・・と思って、
ちょっと「うるうる」しかかったところへ、こう来た。

「あのね、まおたん、プリキュアのカードがあれば元気出せるんだけど。」

そういう魂胆だったか・・・。日曜日のテレビ、恐るべし・・。
(テレビの問題ではない?)

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私が病室を後にしてから、yue少納言はさらに厳しい状態になっていた。

その後、親友2人が病室に到着した。(遠くから本当にありがとう。)
彼女たちの話では、まだyue少納言の意識はあり、呼びかけにも応えていたという。2人は、結局最後まで一緒にいてくれた。

家に戻った私は、不動産屋と電話で話をつけると、すぐ義妹に契約に行ってもらうように依頼。(この義妹には、本当に何から何まで世話になった。特に、まおたんの義妹に対する信頼は、ほかの誰よりも強い。)

それから、ブログに妻の状況を書き込み(7/11の記事)、コメントをプリントアウトしたその時。携帯が鳴った。妻の危篤を告げる、義母からの連絡だった。

私はすぐに保育園へ向かい、まおたんを車に乗せ、病院へ。

車に乗せるときに、まおたんには、
「ままっちは、もうお話ができない」ということを話した。
正直、理解できるはずがない と思いながら話した。

しかし、まおたんは、
「ままっち、死んじゃうんだね。まおたん、もう、泣いちゃうよぅ。」

私は、「まおたん、泣いてもいいんだよ。今は、泣くところだからね。」
と言うのがやっとだった。とにかく病院へと向かった。

途中、「ぱぱっち、もっとスピード出してよ。」と言い続けるまおたん。

しかし、その数分後、

「ぱぱっち・・・。もう間に合わないかも・・・。」
と、力なくつぶやいた。

その数分後、携帯が鳴る。

一度、呼吸が止まり、先生の手による人工呼吸で持たせている、と。

後でまおたんに聞いたら、「ままっちのことがわかった。」という。
yue少納言は、どんなメッセージを送ったのだろうか。

私たちが病院に着いたのは午後0時40分。

yue少納言は、すでに安らかな顔で眠っていた。
しかし、先生の手による人工呼吸(機械ではなく、人力だった!)により、まだ心拍を保っていた。一度は心拍も止まったそうだが、また動いたという。

私は妻の手を握り、「ありがとう」と言うのがやっとだった。
すると、まおたんが意を決したように、yue少納言のそばへ近寄り、
泣きながら、でも、大きな声ではっきりと言った。

「ままっち、いつも、ありがとう。ありがとう、ままっち。」
そして、私にしがみついて泣いた。

その声を聞いて安心したのか、yue少納言の心拍がゆっくりと止まった。
2006年7月11日、午後0時51分。

yue少納言は親友、母親、夫、そして娘の見守る中、まったりと旅立っていった。

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葬儀の後で、まおたんから聞いた話。
妻は7月9日の早朝、まだ寝ている私の横で、なぜか早起きしたまおたんに、すべてを話していったという。

自分が明日病院へ行ったら入院するかもしれないこと。

もしかすると、もう帰って来られないかもしれないこと。

死んだ後に、お葬式があること。

お葬式が終わると骨が残ること。

その骨はぼろぼろかもしれない(と言ったそうだ)こと。

でも、本当のままっちは骨ではなく、お星様になること・・など。

そのためか、まおたんはすべてのことを冷静に受け止めたようだ。葬儀でも、出棺や火葬場など、泣くべきところでしっかり泣き、そして、今は毎日仏前に手を合わせている。

もちろん、時々、寂しくて泣くこともある。そんな時は、私も一緒に泣くことにしている。

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今でも最期に病室を出たことについては、それで良かったのか、考えてしまいます。

しかし、結果的には良かったと思うようにしてます。

そうしなければ、まおたんを臨終に立ち会わせることはできなかったし、なにより、妻が私に言い残した言葉は、あと1つしかないと思うから。

もちろん、それは「今までありがとう」という言葉。

「最期」まで言わずにとってあるんだろうな・・ということはわかってました。

でも、今思うと、もしその場にいても、yue少納言は意識のあるうちにはその言葉は言わなかった、いや、言えなかったと思います。

大丈夫。言わなくても、十分伝わってる。
そして、私とまおたんからの最期の言葉は、しっかり届いたと、信じています。

妻の最期については、これでおしまいですが、
あとひとつ、妻の残したものをご紹介したいので、
次はそのことを書きます。

今日も、長い文章、最後までありがとうございました。

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2006年7月29日 (土)

ありがとう

ぱぱっちです。

みなさん、あたたかいコメント、本当にありがとうございます。

皆さんからたくさんの勇気をいただいて、前を向いて生きることができています。

先ほどアクセスカウンターを見たら、すでに20万アクセスを超えていました。

本人が、10万アクセス突破を書き込んだのが今月の3日。

少々複雑な気持ちであることは確かです。

しかし、これだけ多くの人にyue少納言のメッセージを伝えることができ、
また、娘・まおたんや私を支えてくれている・・。

きっとyue少納言も心から喜んでいると思います。

前回の続きですが、もう少しだけお時間ください。

皆さんのコメントに甘えて、まったりと更新させていただくことにします。

本当に、本当に、ありがとう!

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2006年7月26日 (水)

果たせなかった願い

ぱぱっちです。
一日おきの更新になってしまってすみません。

ご心配かけてますが、私は昨日から会社に戻り、元気にやっています。

娘・まおたんも、月曜日の夜はちょっと元気がなく、少し心配しました。
しかし、昨日、保育園に迎えに行くと、すっかり笑顔が戻っていました。

聞くと、

「きのう、ユキヒロくんと、ちょっとけんかしちゃって、もうだめかと
思ったんだけど、きょうは、またラブラブだったの~。」 だと。

大きくも、小さくも、「浮き沈みの激しい人生」を送っている娘に、
それを乗り切る「たくましさ」も感じる、今日この頃です。

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その朝、少し遅い起床にあわせて運んでもらった、朝食があった。
しかし、yue少納言は食べる気にならなかった。
そして、「ぱぱっち、朝ごはん食べて」と言った。

まだ、私も妻もここから長い戦いを覚悟していた。
そのせいか、妻は苦しい中でもまだ私の体を気遣ってくれていた。

そんな中で、yue少納言がはっきりと、

「何か、フルーツが食べたい。買ってきてくれる?」と言った。

私は近くのコンビニへ出かけ、桃のゼリーを購入した。

しかし、買い物から戻ると、妻の様子が変わっていた。

ちょうど、「5FU」(と書かれた)点滴と、ステロイドの点滴が始まっていた。
しかし、妻の呼吸はかなり乱れ、ステロイドの作用か、「暑い、暑い」と繰り返した。
桃ゼリーを食べさせてあげることはできなかった。

これは今、大きな心残りになっている。

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入院の日の朝、yue少納言が自宅で最後に食べたのが、「桃」だった。

yue少納言はよく冷えた桃をとてもおいしいと言って食べた。そのときの表情は今でもはっきりと脳裏に浮かんでくる。

もともと、yue少納言は食事を「とてもおいしそうに」食べる人だった。
#れひさん、夢の中のyue少納言は、おいしそうにご飯食べてましたか?

何を隠そう、私が最初に妻に惚れたのもそこ。最初に二人で食事をしたときの、おいしそうな顔に将来の伴侶になることを確信した。

私が料理に関心を持ったのも、何よりも妻の笑顔が見たかったからだ。

「いっしょにおいしいものを食べる」という行為は、私たち夫婦にとって、とても重要なコミュニケーション手段のひとつだった。

そして、今、私の前には、とてもおいしそうにおやつを食べる、食いしんぼうの娘がいる。その表情は、そっくりだ。

今は、それだけでも幸せなことだと思う。
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10時過ぎ、依然苦しそうなyue少納言を残し、私は一度、家に帰ることにした。

この判断がどうだったのか、いまだに自分でもよくわからない。

この時点で私はまだ少なくとも数日、この戦いが続くと思っていた。そのため、病院の徒歩圏内に、ウィークリーマンションを手配する予定で、昨夜あたりをつけていた業者に確認を取ろうと思っていた。

また、妻とは、このブログを更新し、皆さんのコメントをプリントして届ける約束をしていた。
この間は義母がついていてくれる。そして約束していた親友の二人も来てくれる。その間に、これらの用をたして、すべてを整えてから戦うつもりでいた。

ちなみに義母は、すでに義父を見送った経験があったためか、
この時点でもう数時間の命であると思っていたらしい。

ただ、当然、それを口に出すことはできなかった。

私は、

「がんばれるよね。」
と声をかけた。

yue少納言は、かすかに、でもはっきりと 「うん。」 と答えた。

それが私と妻の最後の会話になった。
その表情は、苦しそうだったが、たしかに「笑顔」だった。

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実は、昨夜、yue少納言の夢を見ました。旅立たれたあと、初めてのことです。
正確に言うと、見ているテレビに、なぜかyue少納言が出てくる夢でした。
その中で、

「ブログ毎日書けないのはしょうがないけど、
みんなには、ちゃんと言っておきなさい!!」

としかられました。なので、

明日はちょっと遅くなる予定で、明日の更新はできなそうです・・・。
と、さきに謝っておくことにします。m(--)m。

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2006年7月24日 (月)

痛み

やっと今日、役所・銀行などへの届出などが一通り済んで、
明日から仕事に復帰するつもりです。

戸籍とか、結構面倒なことも多く、また、社会保○庁の担当者の
言動に思わず手が出そうになったりとか、いろいろありましたが、
とりあえずは落ち着けそうです。

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午前四時ごろ、yue少納言の苦しそうな声で目が覚めた。
肋骨の部分が痛いという。

すぐにナースコール。深夜にもかかわらず、すぐに担当のナースが
きてくれた。
症状を伝えると、とりあえずボルタレンで痛みが静まるかをみることに
なった。

ナースが帰った後、この数ヶ月間のいつものように、痛むところをさすり
続けた。
しばらくすると、薬の効果かどちらか、痛みが治まったようだった。

「今のはほんとに痛かった・・」とyue少納言。

「そういえば、まおたん生まれたときも、夜中に、ハアハア言いながら
背中さすってもらったよね」
「そのときと、どっちが痛かった?」

「もちろん、まおたんのときのほうがずっと痛かったよ。」

そういって、yue少納言は笑った。

「まおたんのこと・・」私が言いかけると、

「まおたんは大丈夫。私は、まおたんは何も心配してないよ。」

と、かみ締めるように、言った。 そして、

「yue少納言は、ほんとに幸せだよ・・」

この7ヶ月間、何度となく言い続けてくれた言葉。
ほかでもなく、私を一番幸せにしてくれた言葉。

この時が最後になった。

そして、yue少納言はまた眠りについた。

それから明け方まで、私は、その後も数回起きて
yue少納言の様子を見た。

まるで何事もないかのように、幸せそうな顔で眠り続けていた。

それは奇しくも、それから8時間後に見ることになる顔と
同じ顔だった。

朝8時前、うとうとしていた私は、ふとyue少納言の呼吸が
激しくなっていることに気づいて目が覚めた。

「苦しい・・・息が苦しい」うわごとのようにつぶやいている。
私はすぐにナースコールを入れた。

主治医から引継ぎを受けていた、担当医が来て、様子を見ると、
すぐにモルヒネの準備を始めた。
それと前後するように、yue少納言の母が病室に着いた。

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この話を書きながら、これがもう2週間も前のこと・・というのが
にわかに信じられません。本当に、数時間前のことのように、
はっきりと思い出されます。

きっと、この夜のことは、一生忘れられない記憶になるのでしょう。

でも、この記憶は、きっととてもよい思い出になると思っています。

今日も、読んで下さってありがとうございました。

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2006年7月22日 (土)

最後の夜

ぱぱっちです。

娘・まおたんは、昨日が誕生日だったのですが、(藤川球児と一緒さ!)
「4さいのまおたんへ」というママからのお手紙を、とてもうれしそうに読みました。

内容は・・ま、ここでご紹介するのは控えておきます。ごめんなさい。

しかし、昨夜おそく、ちょっと体調を崩してしまいました。
まおたんなりに、いろいろあるんだろうなと思いました。

そういうわたしも、ちょっと風邪気味。

今朝、まおたんといっしょに医者へいきました。
先生から、

「どこもおかしくならない人はほとんどいないですよ。
(心よりは)体に出るほうがよいので、薬飲んで寝なさい。」

と言われて帰ってきました。そんなわけでまおたんは私の実家。

あすは家族でまおたんの誕生日会。
私は今日は早めに寝ようと思ってます。

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そんなことがあってから、私はしばらく妻に付き添っていた。

「もう帰っていいよ。」

妻は、私の体のほうを気遣い、そう言ったが、私は
「yue少納言が起きてるときは、そばにいたいから」と言った。
「なるべく眠るね」そういって、妻は目を閉じた。

11時ごろ、妻が眠りにつき、呼吸が安定しているのを確かめて、
私は一度自宅へ向かった。

家に戻ると、このブログのコメントで、取り急ぎ皆さんに状況を報告。
それから、ここにもコメントをいただいている、
おーじろうさんにメールで連絡を入れた。

おーじろうさんからはすぐに電話がきた。
もともと、13日にお見舞いの予定ということだったが、
私は「それでは遅いかもしれない。とにかく早く」と伝えた。

正直、なぜその時、そんなにあせらせるようなことを言ったのか、わからない。
しかし、結果的にはそれがよかった。

午前1時に病室へ戻った。

yue少納言は物音で目が覚めたのか、起きていたのかはわからない。
しかし、数分後に「帰ってきたの?」と言われて、起きているのがわかった。

そのときは、呼吸もとても落ち着いていた。

妻に、「おーじろうさんたち、明日、来てくれるって。」と話すと、
妻は本当にうれしそうだった。
それから、ブログのコメントのプリントアウトを、うれしそうに読んだ。
そして、「みんなに、読んでることをまた伝えて」といった。

私は妻のベッドの脇でその様子を見ていた。

考えてはいけないと思いつつ、なぜか付き合っていたころからの
楽しかったことが、いろいろと思い出された。

その後、妻は1時間ほど起きていた。

そして何か言いたそうにするのだが、その言葉を飲み込んでいる
のがわかった。

そんな時、私は妻の手を強く握ることしかできなかった。
妻と私が、同じ目的で時間を共有していることは
なんとなくわかっていた。
でも、明日の治療に取り組む身にとって、口に出せなかったのだ。

そして、「私は」その段階でもまだ長い戦いの始まりだと思っていた。

そうしながら、妻はまた眠りについた。
私も仮眠をとるために病室内のソファーに横になった。
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続きはまた・・。

ずっと読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。

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2006年7月20日 (木)

最後のうそ

明日、7月21日は娘・まおたんの誕生日です。

過去の記事でご存知の方も多いと思いますが、
yue少納言はまおたんの20歳までの誕生日に向けて17通の
手紙を残しています。私も、毎年1通ずつ、必ず届けるようにします。

後半は合コンの心得が書かれているらしいので、ちょっと先に
カンニングしたい気もするのですけどね。

#だいたい、13年後に「合コン」があるのか?というのもある・・。

ちなみに、きょう、まおたんは、ゆきひろくんから、

「大きくなったらけっこんしようね」といわれて
「うん、いいよ」とこたえたそうです。

いきなりプロポーズかよ・・。

ゆきひろ、さきにぱぱっちのところへ挨拶に来い!

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U医師は妻の呼吸の様子、そして心拍数などのモニターを確認した。

私は先ほどの気持ちを話した。
もちろん、つらくなったらやめたいことを含めて。

U医師は、「今は、リンパ管のほうへの治療を第一に考えましょう。
明日から5FUを入れるので、今夜たくさん酸素を入れて、
できるだけ体力を回復させましょう。
それと、肺の状況改善の可能性があるので、明日、
ステロイドも点滴します。
また、鎮痛の用意はしておきますので、つらくなったら
ナースコールしてください。」と話した。

U医師は火曜日は別の病院で勤務しなければならないが、
担当医にすべて引き継ぐことも話してくれた。
yue少納言は言葉の一つ一つに頷きながら、
先生の話を聞いていた。

しかし、そのとき私は、設置されたモニターの数値が
どうしても気になっていた。

警告「音」は消しているが、警告のサインは出続けている。
心拍数は常時150を超えるようになっていた。
この状況でも、(息苦しさは伝わったが)まだ話はできていた。

先生が部屋を出て数分後、わたしは先生を追った。
また、病院の外で先生と話をすることになった。

「あの、明日の5FUのことですが・・・。」

先生はゆっくりとこちらを向くと、

「お分かりの通り、あの様子では使えません。
今までにも、かなり心臓でカバーしていたようなので、
すでにかなり心臓が弱っているはず。

また、抗がん剤で今の呼吸状態を維持できても、
心臓が持ちません。

今抗がん剤を使ってしまうと、苦しい思いをした上に、
1週間ぐらい持つところが2日ぐらいになるとか、
そういうリスクが出てきます。」

「では・・」

「点滴はします。袋にしっかり「5FU・24H」と書いてありますが、
生理食塩水です。袋は本当に使うものを使います。
症状改善の可能性がわずかにあるので、ステロイドは
点滴するようにします。鎮痛の準備もしておきます。
とにかく、ご主人は、いざというときにそばにいられる
ようにしてください。」

私は礼をいい、部屋へ戻った。

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今日、梅澤医師(本人の許可を得ましたので、実名で書きます)
に、お礼に言って来ました。

先生も、最後の段階の進行の速さにはなすすべがなかったと
残念がっていらっしゃいました。

私は、結果論としては、もっと早くこちらに来ればよかった
とは思うが、先生には治療以上に、とても大切なことをして
いただいたと心からお礼を言いました。

それは、yue少納言をはじめ、私たち家族に最後まで希望を
与え続けてくれたことです。

これが、途中で「もう治療法がない」となっていたら、
最後の旅行を含め、一ヶ月充実した家族の時間を過ごせた
でしょうか。

驚いたことに、今日の話の中で、先生は明日が娘の誕生日である
ことを覚えていてくださいました。(そのことは一度しかお話していません。)
それだけ、それぞれの患者と正面から真剣に向き合って
いただいていた証拠だと思います。

先生から許可をいただきましたので、梅澤医師につきましては
ここで先生のブログをご紹介をさせていただきたいと思います。
http://umezawa.blog44.fc2.com/

先生の治療法についての判断は皆様にお任せします。

先生の理念がすべての人に合うかはわかりません。また、皆さんの
信じる治療法は、皆さんが納得している限り最善のものと思います。

ここで先生の治療法の適否を議論する気はまったくありません。
その点は皆様を信じています。

あくまで、yue少納言が最後に信頼した医師がどのような方かを
ご紹介しているだけです。

最後に、梅澤先生は、現在のがんセンターのあり方に批判的ですが、
私は、がんセンターの医師に大変にお世話になったことも
お伝えしてきました。
先生は、個々の医師が真剣に取り組まれていることは
よくわかっているし、それを批判してはいないとおっしゃっています。

ただひとつだけいえることは、梅澤先生は統計的なエビデンスよりも、
患者一人ひとりのそれぞれの病気と真剣に向き合っている。
それだけは絶対に事実だと確信しています。

毎日皆さんのコメント本当に勇気付けられます。一つ一つに
お答えできなくて本当に申し訳ないですが、また続きを書きます。

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2006年7月18日 (火)

最後の選択

皆さん、暖かいコメントありがとうございます。

筆が進まなくてすみません。

正直、いろいろばたばたしております。
皆さんのところもなかなかお邪魔しきれなくてごめんなさい。

ただ、こうして皆さんとやり取りできるのが非常に楽しくて、
何か妻が自分のなかに降りてきているみたいです。

yue少納言がどれだけ大きなパワーをもらっていたか、
とてもよくわかります。
さて。一日あいてしまいましたが、続きです。

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10日午後8時過ぎ。
病院の外で、立ち話だったが、U医師とは次のような話をした。

・今、胃がんで死ぬことはない。
しかし、呼吸がうまくできないために、心臓に大きな負担が
かかっている。心臓がどれだけ持つかの勝負になっている。
これは個人差が大きく、なんともいえない。

正直厳しい。今週中がやっとだろう。今夜でもおかしくはない。

・癌性リンパ管症を何とかできる可能性としては5FUの24H持続注入。
しかし、心臓へのリスクのほうがずっと大きい。
最悪、すぐに命を奪う可能性もある。効いたとしても
今のスピードを止めるだけ。つまり、呼吸苦の状態は続く。

・肺がんなら同じ状況からでもイレッサで回復する例
をたくさん見ている。
しかし、消化器癌へのエビデンスは皆無。
未承認だし、これもリスクのほうが大きい。

・ハーセプチンも同じ。どうしても使えというなら使うが、私は勧めない。

・そして、疼痛緩和のためには大きく2つ選択肢がある。
ひとつはモルヒネの投与。しかし、効かない可能性もある。
もうひとつは、鎮痛剤で意識レベルを下げること。
しかし、そのことで呼吸が止まるリスクが大きいことも覚悟する
必要がある。呼吸苦は、呼吸を和らげないと解消しないが、
呼吸を和らげることはリスクを大きくすることでもある。

・いずれにしても、これからは誰かができるだけついていて
あげてほしい。個室は24時間面会OKにするようナース
ステーションには話をしておいた。

・ここからどうするかは、最後にどういう思いがあるかで
決めること。それに沿った処置をする。私はあとでもう一度
部屋へ行くから、考えておいてほしい。

一日、大量の患者と向かい合って、疲れ果てているはずのU先生。
それなのに、患者の望む治療の姿を最後まで見極めようとしている。

先生の「患者中心の医療」への情熱と、人間としての温かさが身に
しみた。普段、厳しそうな人だが、内面は温かい。
yue少納言が主治医に全幅の信頼を置く理由がわかった。

私はyue少納言の元へ戻り、5FUの連続注入にわずかに
可能性があるといわれたことを話した。
そして、厳しければモルヒネの投与やさらに呼吸を楽にする
方法もあるが、意識が低下することなども話をした。

このころは、呼吸も速くなり心拍数もあがっていたが、
普通に話のできる状況だった。

妻と二人で出した最後の結論は、

「5FUの可能性にかける。でも、どうしても
つらかったら、いつでもやめていいことにする」だった。

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8ヶ月前、手術不可能であることを知ったときに私たちが決めた
「yue少納言3原則」という治療方針がある。
それは、

①できる限り、家族で過ごせる時間を長くする。
②できる限り、自宅で過ごせる時間を長くする。
③yue少納言は痛いのはきらいだ

であった。

①~③は優先順位を表している。

でも、「痛いのはきらいだ。」 は、ずっと妻が言い続けた言葉。
壮絶な闘病なんてしたくない。明確な意思があった。
ここまで、ずっと(多少の痛みはあったが)この方針は守ってきた。

私は最後にひとつの意思を捨てて戦おうとする妻の気持ちが
痛いほどわかった。妻は「時間」をほしがっている・・。まだ、妻には
伝え切れていないメッセージがある・・。

私は今まで聞かなかった最後の質問を妻にぶつけた。

「もしもここで最後ということになるとしたら、何がしたい?」
そして、「もちろんあとで笑い話になったら、それでいいんだから。」と。

yue少納言は、

「みんなに様子を伝えてほしい。みんなのコメント読んでいることを
伝えてほしい。みんなのコメントが読みたい。
それと、一番大切な親友二人にもう一度会いたい。」

と言った。

しばらくして、U医師が部屋に入ってきた。

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今日も、長くなっていますね。ごめんなさい。

本当はもっと淡々と書きたいんですが、どうしても気持ちが入って
しまいます。こういうとこ、yue少納言は抑えて書くのがうまかったな、
と、我が妻ながら感心してしまう今日この頃・・。
次、明日書くお約束はできませんが、ぜひまたのぞいてやってください。

あ、そういえばアクセス、15万超えてました。
みなさん、本当にありがとうございます。
yue少納言も心から喜んでいると思います。

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2006年7月11日 (火)

旅立ち

ぱぱっちです。

皆さんからたくさんの応援メッセージをいただき、本当に
ありがとうございました。

yue少納言ですが、本日午後、最後の戦いを終えて、旅立って
いきました。
今はいつも寝ていたベッドの上で、本当にいつものような姿で
安らかに眠っております。

最後に皆さんに送っていただいた
パワーのおかげで私と娘もぎりぎり最期に立ち会うことができました。

まだ、私自身の気持ちの整理がつきませんが、本日の様子を含め、
皆様にはあらためてご報告をさせていただくことをお約束して、
本日は取り急ぎお礼とご報告をさせていただきました。

みなさま、最期まで、本当にありがとうございました。

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今日のyue少納言

昨夜のコメントに引き続き、夫、ぱぱっちより簡単に状況を
報告させていただきます。

みなさん、昨夜から今朝にかけて、たくさんのコメントをいただき、
本当にありがとうございました。

yue少納言は夜中も一時的に苦しくなる時間がありましたが、
薬の投与などで明け方に少し眠ることもできました。
朝から治療を開始しています。

今日は夕方、私の両親がまおたんをつれて病院へ行く予定です。

昨日いただいたコメントは本人に見せました。
苦しい息の中でしたが、すべて自分で読み、
笑顔を見せてくれました。

今のyue少納言にとって、一番の薬だと思いますので、
私もできる限りプリントアウトして早く本人に届けたいと思っています。

皆さんの「気」も確実に届いていると思います。一緒にいる私も
何かが送られてくるような気持ちがしました。

yue少納言はまだ負けません。皆さんの力をください。
本当に、本当によろしくお願いします。

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2006年7月10日 (月)

明日から入院かも?

今日(もう0時過ぎたので、正しくは昨日)、酸素を吸いながらでも、トイレまでも歩いていけず、途中で椅子に座り込んでしまった。

息切れ、少しずつひどくなってるみたい。。。||(-_-;)||||

情けないのと困ったのとで、そこでちょっと泣いていたら、夫・ぱぱっちが、自分の書斎のキャスターつき椅子に乗せてトイレまで連れて行ってくれた。

その後、すぐに車椅子まで買って来てくれた。

赤くてカワイイ、肘掛が上がるヤツ。

別にレンタルでもよかったけど、買ってきてもらったものは、気に入った♪

オロオロせずに、すぐに助けてくれるヒトでよかった( ̄▽ ̄;)

夜、主治医のU先生にも、ぱぱっちが念のため電話をかけ、今の状況を話してくれた。

昨日あたりから、首の右側の甲状腺かな~ってあたりが腫れてるのも、気になっていたし。

電話の結果、おそらく明日、診察後そのまま入院になりそう・・・・。

一応、入院準備をして、明日病院に行きます。

ブログの方は、状況次第ですが、たまには、ぱぱっちに代入力を頼んででも、アップしますわ。

みなさんのところを、なかなか回れないかもしれないけれど、見捨てないでたまにここもチェックしに来てくださ~い。

もうすぐ、娘・まおたんの4歳の誕生日だし、なるべくそのころは帰って来たい!

入院して、早く息切れが改善しますように~( ̄人 ̄)

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2006年7月 4日 (火)

酸素キターーーー!!

今日の昼頃。我が家へ業者さんが二人やってきました。

酸素キタ━―━―━―(゚∀゚)━―━―━―!!

しかし、液体酸素のボンベ、あんなにでっかいとは・・・・・・。

ウチはエレベーター完備・バリアフリー仕様のマンションだからまだよかったが、階段しかない団地の4階とかでも、業者さんは運んでくれるのだろうか。

60kgくらいあるらしいのだが。

しかも、これからも2週間に一度とか、定期的に交換しなくてはならない。

(いや、でも運んでくれないと困るよね?)

最初に、色々書類に名前を書いたりハンコ押したり。

使い方の説明を受けたり。
  ・
  ・
  ・

子機があって、これに親機から酸素を詰め替えられるタイプだ。

子機をリュック(リュックも置いていってくれた)に入れて、外出できるという。

今のところ、試しにこの子機で酸素を吸っておりますが・・・・・。

問題は、やっぱ、ある・・・・・。

・ 見た目的に、チューブがいかにも病人ぽい。

・ 息を吸うときだけ、子機から酸素が出るしくみ。
  その際、「ぷしゅっ・・・ぷしゅっ・・・」と怪しい音が常に出てしまう。

なんかさー。

その音がね。ヒーローものの番組に出てくる「ワルモノ」っぽいのですよ。

この音さえなければ、もっといいのになー(-_-;)

知らないヒトばかりのところなら、これをつけて歩いても、それほど気にならないと思うけど。

ご近所をこの状態で歩いたら、知り合いに見つかって、色々病気についても説明しなくてはならない場面も出てきそうである。
どうしよ~。

とはいえ。

やっぱり、酸素があると、かなりラク~( * ̄Д ̄)

トイレに行くにも、今までよりずいぶんラクになった。

コレのおかげで、いくらか自分でできることが増えたと思う。

ただ、娘・まおたんが、機械のへんなところをいじったりしないよう、帰ってきたら注意しなければならないなぁ。

液体酸素は、マイナス180℃(だっけ?)とかに保ってあるらしいので、下手にいじって凍傷にでもなられたら大変。

というわけで、色々ありますが。

これから、しばらくは、この子達にお世話になることになりそうです。

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2006年7月 3日 (月)

10万アクセス達成!!

本日、累計アクセス数が10万超えてましたヽ(^◇^*)/

読んでくださる方も日に日に増えている感じです。

4ヶ月半でこれだけっていうのは、なかなか人気ブログではないか?という気がしてまいりました!!(調子に乗るなって)

みなさん、ありがとうございます♪これからも、できるだけ更新しますね~。

(でも、さっそく明日はゾメ痛で無理かも・・・・・??)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、通院日。予約が11時だったけど、なかなかベッドが空かないので1時間半は待った。

その間に、U先生の診察室に一度呼ばれる。

「やっぱり苦しそうですねぇ。

先週のCT、画像診断の先生にもみてもらったけど、肺転移はないようだとのことです。

でも、癌性胸膜炎だと画像にうつらないんですよ。それの可能性がありますね。」

とのこと。

とりあえず、明日から在宅酸素にしましょう・・・という話になった。

今日計ったら、体内の酸素が、座ってても87くらいで90以上あった先週より悪くなってたし、覚悟を決めてやることにした。

明日、業者さんがウチに酸素を持ってきてくれるらしい。

点滴後にも、診察室に呼ばれて先生と話をした。

私が今いるM病院に初診で行ったのは6/15。点滴治療を始めたのが6/19。

何と、この4日間で、腫瘍マーカーCA19-9が、約300→約900になってたらしい。

4日で約3倍!!ってのは、異常にはやい増殖スピードである。

先生に、「膵臓がん並みのはやさ」とまで言われてしまった (=Д=;)

がん細胞ばっかりが元気でも全然ウレシクないなぁ・・・・

それで、今日から30mgだったタキソールを60mgに増やすことに。

一応、タキソールの点滴を始めてから増殖スピードがいくらかにぶっているので、増やせば効果があがるかもしれないからだ。

それから、今日もゾメタ入れた。

やっと治まったのに、また骨が痛くなりそうで憂鬱~。

でもでも、抗がん剤もゾメタくんも、効いてくれれば、今の状況が改善されるはずだ。

また酸素なしでも平気で歩ける日を想像して。

なんとか乗り越えま~すヾ( ̄ー ̄ )ノ”!!

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2006年6月28日 (水)

K先生にお礼状を書く

きのう。

今まで通っていた大学病院の主治医チーム、K先生&U先生あてに手紙を書いた。

今までお世話になったお礼と、現在の治療の様子などを書いた。
そして、今後また、なにかあったら行くかもしれないので、そのときはよろしくお願いします、と。

二人とも、とても誠実で優しい先生たちだ。

この先生たちが主治医で、よかったと思っている。

ただ、先生方は、最初から、抗がん剤治療に対しては積極的ではなかった。

これまでの臨床経験で、効かないのに副作用が強く、やらないほうがよかったかも・・・・みたいなことが多かったのかもしれない。

下手に薬を投与しない方がいいと思っているのかなぁ・・・って感じ。

もはや使う薬は思いつかない、という意味のことをおっしゃったK先生。
愛着はあっても、これ以上治療を無理にお願いはできない。

私ががんであると知らされたころ、夫・ぱぱっちは、先生から

「ホスピスは早めに探された方がいいと思います」

というようなことを、すでに言われていたようだ。

でも実際、今私は生きているじゃない(o ̄∇ ̄)o?

そのあとすぐにGセンターの先生に教えてもらった抗がん剤の組み合わせ、5FU+MTXが効いたじゃない?

やってみなけりゃ、わからないのだ。

今まで信頼関係を作ってきたのに、病院を変えるのは、正直言って残念。

でも、先生方にも色々な専門性があるわけだし、病院の都合もあるわけだし。

それはしかたないんだろうね・・・。

ま、とりあえず、そのあと私のニーズに合っていて、なおかつ治療を引き受けてくれる先生がいて、本当によかった。

あとは、この治療が、私の寿命を延ばしてくれることを願うだけかな☆

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2006年6月26日 (月)

息切れ~

今日は、通院日だったので、また朝から病院へ。
ここでの点滴は2回目。

今日は朝混んでいたので、1時間以上待ったけど、ベッドが空いたところへ横になる。

またアレルギー止めの薬を飲んでから、採血と同時に点滴ルートを取り、

生理食塩水(この間に採血結果待ち)→ステロイド→タキソール30mg→シスプラチン5mg→最後になんか全開で流した。これも生理食塩水かしら?

とにかく点滴中は眠い!!

音楽をi-podに似てるやつ(ソニーの)で聴きながら、爆睡してしまった。

U先生に腕をつつかれ、起こされて問診タイム。ハズカシー (・・*)ゞ

「先週はとにかく骨が痛かったです~」

「転移巣に効いてるときは、痛いんですよ」

「そうですよね・・・。」

「で。先週同様、息切れがヒドいんですけど( ̄ー ̄; 」

私は、TS-1の副作用じゃないかなという気がする、ということも伝えた。

「うーん。じゃあ、胸のレントゲン撮ってきて」

つーことで、点滴が終わり次第、一階下のレントゲン室へ。
前からと横から、一枚ずつ。

それを持って、また激しくハァハァしながら(やらしい意味ではない)階段をのぼっていたら、U先生に会った。
レントゲンを今撮りました~と息も絶え絶えで、報告。

レントゲンフィルムがすぐに届いたので、そのまま診察室へ一緒に入る。

「その息切れは尋常じゃないね。レントゲンも、ちょっときたないねー」

き、きたないΣ( ̄ε ̄;|||・・・?

うーんたしかに、モヤっと白い。
子供の頃の肺炎のときのレントゲンの白さを思い出すと、それに比べたら全然大したことないけど。

「何度も悪いけど、今度はCT撮ってきて」

というわけで、また下へおりて今度は胸のCT。今度はエレベーターのありかを教えてもらえたので、エレベーターでのぼる。

その画像が先生のところに届くと、また診察室へ呼ばれた。

「肺転移はないね。一番心配していた間質性肺炎でもないです。」

という。

まだよくわかんないので、とりあえず今晩からステロイド剤を飲むよう、処方された。

在宅酸素やる?ときかれたが、いかにも重病人って感じでちょっと抵抗が・・・。
(いや、重病人といえば、そうなんだけど。気分は重病人じゃないから!)

酸素飽和度を計ると、ちょっと歩いた後は、91とかで、低い。
しばらく座ってると、94くらいには回復。

このくらいあれば在宅酸素はいいか、ということになった。

今現在の私は、骨の痛みはない。

でもちょっとでも動くと、息切れはある (・Д・)

HAKIKEも、点滴当日なのに全然ない。昨日より元気だ。

今日もエビフライ2本食べられました♪

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2006年6月25日 (日)

今日の不具合報告

今日は、かなり痛みがラクになったので、ベッドに横になり、終わりかけたまましばらく放置していたFFXIIを進めた。

あとは最後のところだけ。エンディングがもうすぐ見られそう。
次のゲームは、少年ヤンガスの不思議なダンジョン。

もう、買ってきて、夫・ぱぱっちがやってます( ´_ゝ`)。

しかし、足の骨がびきびきとしてちょっと痛んだあと、しびれるような感じに。

足がしびれてあまりうまく歩けない。

ぱぱっちはマッサージが上手なので、つらーい足をもんでもらったら、しびれは治まってきたものの。

血小板が減ってるから指のあとが少々内出血(;´Д`A ```

それから、おそらくTS-1が原因だと思われる息切れ。これもヒドイ。
一日にたった25mgしか飲んでないのになー。
トイレに行くだけで、校庭を何周も走ったあとのような息切れ。

これは、生活に支障をきたしているし、肺炎にでも発展したら困るので、明日先生に相談してみるつもり。

TS-1が合わないとなると、治療の選択肢が減ってしまうので、残念なんだけど・・・。

あーあちこち不具合だらけ。

少量の抗がん剤を使ってもこれだからなー。通常量使ってたらどうなってたのか。

考えるとコワイΣ( ̄ロ ̄lll) 

すみません、最近グチっぽくて。

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2006年6月23日 (金)

ゾメ痛川柳

ゾメ痛で ゾンビのごとく 歩む吾(われ)

ゾンビでも GEROHAKIゾンビでなくてよかった
            ※注1

腰痛い しっぷだらけの 女ざかりよ

※注1・・・・ゲームや映画の「バイオハザード」シリーズに登場する、突然吐き出すGEROで主人公を攻撃する凶悪なゾンビを指す。

。。。。。。。。。。

やっと、痛み止めなしでも、なんとかパソコン前に座れるようになりました~。

まだ、長くは無理なんだけど・・・。

みなさん、グチばっかりの私に温かい励まし、ありがとうございます。

ここで、ゾメ痛以外の話題も・・・・・。

娘・まおたんが、意中のヒト、ユキヒロくんと、来週月曜日に保育園で
  ・
  ・
  ・
  ・

一緒に「お当番」をするそうです ヽ(▽ `)ノワーイ♪ !!

もう、まおたんは今からはりきっておりますよ。

うまくこのチャンスを生かせるか?

親のわたしたちも、固唾をのんで見守ります。(それほどのことじゃないってか)

動きがありましたら、またお伝えいたします!!

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2006年6月22日 (木)

ゾメタ痛ってやつは・・・

きのうは、みなさん、たくさんの励ましのコメントをありがとうございました!

あんまり座ってられないので、ブログ仲間のみなさんのところを、あまり見られないのです。つまんないよー。

骨痛ですが、もう、治りました♪

・・・・・・・といいたいところだけど。

今日もまだまだ痛いよー!!

なんじゃこりゃ。もういや~ヾ(。`Д´。)ノ彡☆

次回(おそらく3週おき)も痛いのかしら?

勘弁してくれよぅぅ~。

しかし、ゾメタくんは、悪役っぽい名前だが、正義の味方なのだ!!

がんばれゾメタくん!!!!

もし、ゾメタを使わず、骨折でもしたら、そのほうがもっともっと痛いはずだ。

今まで、私の骨シンチの画像を見たたくさんのお医者さんは、みんな

「これで、今本当に痛みは出ていないんですか?」

と首をひねっていた。それくらいヒドかったらしい。

そのヒドイ骨をなおすためなんだから、がんばるしかないのである。

ふっ・・・。

骨が内側からメキメキ痛む感じ。

本気で、出産時の陣痛を思い出した(; ̄ー ̄川

さすがに、陣痛よりは痛くないけどもさ・・・・・・・。

おねがい♪

明日は、痛みのない一日でありますように☆

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2006年6月21日 (水)

ゾメタ 対 破骨細胞

いやー。つらいっす。

きのう、いい感じにみなさんのコメントにレスしたあと。

夕方くらいから、猛烈な骨の痛み!!

月曜日、先生から

「ゾメタ使うと、効いてるところが痛むことがあるんですよ。

だから、痛み止めのボルタレン、処方しておきますね」

とは言われていた。

こ、こんなに痛いなんて~。

私の場合、骨シンチの画像は真っ黒。全身の骨に転移だらけ。

だから、全身でゾメタくんが働いてくれている証拠なのだ・・・・。

ボルタレンを使いつつ、なんとか耐えてます。

使い続けていくと、次第に痛みはなくなるらしい。

治療、やっぱラクじゃないわー。

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2006年6月19日 (月)

新たな病院での治療

今日は、初めての、M病院での点滴治療。

まず、受付に診察券を出し、呼ばれたら診察室でU先生と話す。
体調はどうかをきかれた。

「ゆうべ、体の右半分だけが痛くなったんです。
右腕をあげるとピキピキ痛むし、右足もしびれるように痛むし。
お風呂に入るとラクなんですが。
夜中も二度ほど、痛くて目が覚めました。」

というと、先生は、

「うーん、背骨かな~それは。治療を急ぎましょう」

ということで、さっそく点滴のお部屋へ。

ここは、狭い部屋に6床だったかな?簡易ベッドが並べてある。

朝一だったので、まだオジサマとオバサマの二人しかいなかった。

ここでは、採血も点滴ルートから採るので、針刺しは基本的には一度で済むらしい。それはいいかも。
ここの看護師さんたちは、今のところ3人にやってもらったけど、みんな針刺しが上手だし。

採血してからは生理食塩水を点滴しつつ、30分ほど採血結果を待つ。

とりあえず、血液検査の結果、問題なく点滴を始められることに。

今日はアレルギー止めの薬を飲んだあと、ステロイド16mg、タキソール30mg、シスプラチン5mg、あとはゾメタ(何mgか見るの忘れた)を点滴。

その間に来た他の患者さんは、若い感じの女性が多かった。私より若そうな人も見かけた。

お昼には菓子パンを2つもたいらげ、薬が少量のおかげか、眠気があるくらいで、とくに気持ち悪かったりとかせず、元気に帰宅。

マンションのママ友と中庭で立ち話もし、帰ってからお昼寝。

起きてから、今までの主治医・K先生にお電話して、

「もうM病院で点滴してきちゃいました。こっちでこれから抗がん剤治療を受けることにします」

とご報告。K先生は、どんな治療をしてるのかきいてから、

「また何かあったら来て下さいねー」

と言ってくださった。そう言ってもらうと、安心できるわ~。
先生には、またお手紙でお礼を書こうっと。

夜も、コロッケ一個・メンチカツ4/5、野菜たっぷりスープお椀一杯、ごはん半分くらい食べられたw( ̄o ̄)w。

点滴当日に、揚げ物を食べられる!!

こんな幸せがあったのか(ノ´▽`)ノ・・・??

これで、効いてくれてたらサイコーなんだけど・・・・。

効いてるといいな~ ☆彡   (-人-;) 。

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2006年6月15日 (木)

サードオピニオン

今日は、本やブログを読んで、

「この先生の考え方で治療してもらえたらいいかもなー」

と思えた先生のところへ、行ってみた。
そのU先生は、少な目の抗がん剤を長く続けることで、がんの縮小よりも、副作用を少なくした上での延命を重要視する方針なのだ。

ウチからその病院まで通うことになっても、今まで通っていた大学病院よりちょっと近いくらいだ。
だから、通えるし。

午後3時の予約。20分後くらいに、診察室へ呼ばれた。

で、先生に、自分の知っている限りの自分の病状、Gセンターで薦められた治療法、などなどを話す。
「タキソール単独使用」以外、今の病院では選択肢がないので、困っていることを伝えた。

先生は、そのGセンターの先生が提示してくれた治療法について、

「それはかなり副作用がキツイですよ。自分なら、それよりは無治療を選択するでしょうね」

というようなことを言われ、

コ、コレは、無治療をすすめられてるのかΣ( ̄ロ ̄lll)?

と一瞬青くなったが、そういうわけではないらしい。

「もうすぐ4歳になる娘がいるんですが、できれば小学校に入るくらいまでは、がんばりたいんです・・・・」

と話したら、

「小学生といわず、中学生になってもがんばりましょうよ。」

というようなことを言って下さった。

先生は、治療を引き受けてくれるらしい。
そして、ここなら組み合わせで10種類以上試してくださるそうだ。

「で、今からCTを撮ってきてもらえます?前のCTは5月はじめので、古いから。あと採血も。」

と言われ、ちょっとびっくり。そんなすぐにCT撮ってもらえるなんて、今までの病院では信じられないことだったからだ。

すぐに採血

ベテラン看護師さんに、いつもしているように、両腕を見せる。
右は刺しすぎ、左は細すぎですが、どっちにしますか?と。

すると看護師さんは、じゃ、左でいきましょうか・・・と、軽い感じで、ささっと採血を終わらせた!!

ブラヴォーッ (*゚▽゚ノノ゙☆!!!

左は、今までの失敗確率80%くらいなのに。なんのことはなく採血終了。

で、次は検査着に着替えて、CT撮影。造影剤なし。

例によって、「息を止めてください」と言われると窒息しそうになったが、これもなんとか終了。

さっきの診察から1時間半後くらいに、また診察室に呼ばれた。

「CT上では、明らかに腫瘍が大きくなってるとかいうことはなさそうですね」

と言われ、一安心。

とりあえず、TS-1を少量ずつ毎晩のみ、毎週点滴で、少量のタキソールに微量のシスプラチンを足して使いましょうか・・・・とのことだった。

あと、私が前から使いたいんだけどな~と思っていた、骨転移に効く薬、ゾメタを使ってくださるという。
右大腿骨にある骨転移が危ない。骨折したら寝たきりになってしまうから・・・ということだった。

それはウレシイ。

今日から少量のTS-1の内服をはじめ、来週月曜から、さっそく点滴もしてもらえることになったのだった。

この迅速さがすばらしい!!

というわけで、転院になりそうです・・・・( ̄▽ ̄;)。

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2006年6月14日 (水)

採血結果。

今日は、午前11時に、主治医・K先生のところで普通に外来予約を取ってあった。

その前に採血をしておいて、ということだったので、10時頃病院に行ったのだが。

採血室が激混み( ̄□ ̄;)!!

結局30分後にやっと採血できた。(今日も採血マイスター・Nさんに当たれず)

11時にいったん外来の診察室に呼ばれた。

K先生が、先週の血液で調べた腫瘍マーカーCA19-9について、

「横ばいだね」とおっしゃった。

へー。上がりまくってるかと思ったのに。上がってなくてよかったわ。

「あれ、採血、今日もしたんだっけ?(パソコンを操作して)でもまだ結果出てないなぁ。」

ということで、結果が出るまでまた待合室へ。

また30分くらい待って、もう一度診察室に呼ばれた。

「ALP、ちょっと下がってるよ」

とのこと。骨の異常をあらわす数値だが、先週3000台だったものが2700台に下がっていた。
北海道で癒された効果か?

私が「はぁ。それは微妙ですね・・・・」と言うと、

「うん。貧血もないし、白血球も大丈夫だし・・・・。けど、血小板が前より減ってるんだよね・・・・・・

とのこと。19万だった。
まだ大したことはないけど、血小板が減っているのは、いいことではない。

「やっぱり、明日行ってきたほうがいいと思う。」

と先生は言う。
明日、サードオピニオンの予約をとってあるのだ。
先生は、今日の血液検査の結果まで、紹介状に足して入れてくれた。

K先生は、このとき、北海道、行ってきたの?どこに行ったの?とか、聞いてくれた。
いつも、あまりこういうムダ話をする時間がないので、今日は珍しい。

ちょっとウレシイ(=゚▽゚)。

先生へのおみやげ・・・・って、どうしようか迷ったんだけど、病院内には、お礼などの品物やお金は受け取りませんって張り紙がしてあるので、かえって困らせるかもしれないから、何も持っていかなかった。

普通、どうするんだろ( ・◇・)?

おみやげ、持っていったほうがよかった?

明日サードオピニオンを聞いて決めたことについては、来週、電話して連絡することになった。

もしも、転院することになったら、電話だけじゃなくて、ちゃんと会って今までのお礼を言いたいんだけどな。
言う機会、あるかな?

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2006年6月 5日 (月)

病院行ってきた

本日のワタクシの行動。

採血→外来化学療法室(略してケモ室)の横のカンファレンス室でK先生とお話。

(採血、なかなかお目当てのNさんに当たれない・・・・。今日もはずれ!)

今日は、午前中で帰れそうだったので、夫・ぱぱっちもその間ずっといてくれた。

採血結果が出るまで、ケモ室の待合スペースで、カワイイ熱帯魚を見ながら待つ。

結果が出て、K先生が来てくれた。ケモ室横のカンファレンス室へ、3人で入った。

採血結果
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
ALPが3000越え。上がりまくり( ̄Д ̄;)!!

うーん。

そうですか。

やっぱダメですか・・・・llllll(-_-;)llllll。

でも、予想はしていたので別に暗くなることもなく、明るく話はできた。

先生に、今度サードオピニオンを受けに行くところがどんなところかを話し、来週その前に外来で、今日取った血液での腫瘍マーカーのデータを教えてもらうことにした。

Gセンターの先生から言われたことも、先週あまり話す時間がなかったので、あらためてもう一度話したり。

せっかくの休薬期間だから、どこか旅行に行こうかな~と思っている、という話もしたり。

「もし転院したら、K先生にもう会えないんだ」と思ったら、やっぱりちょっと悲しくなるのだった。タキソール単剤なら、ここで受けられるんだけど・・・・。

採血結果のプリントアウトをもらい、私たちはお礼を言って帰る。

点滴しないで帰る。。。

帰り道、いつも早く売切れてしまう近所のラーメン屋へ、初めて入って、食べた。
ぱぱっちは、ここのラーメンをずっと食べてみたかったらしいが、いつも前を通るときは、売切れで終わってしまっていたらしい。

熊本ラーメンなんだけど、これがウマイじゃんヽ(゚◇゚ )ノ!!

スープに、すごく手が込んでる!!

その上、ラーメン一杯600円と安い。トッピングを追加しなくても、柔らかいチャーシューや味玉などの具もちゃんと乗ってる。
ぱぱっちは、替え玉まで頼んで食べていたが、100円の替え玉にもチャーシューと味玉を乗っけてくれていた。

おいしいラーメンを食べ、気分も明るくなった。

ま、そんな感じでしたわ・・・・。

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2006年6月 2日 (金)

色々考えちゃう!!

今日は、なんか色々考えて疲れた一日。

サードオピニオン、電話して聞いたら、予約が取れたのは15日だったyo。

それって、2週間も先やん ゞ( ̄∇ ̄;)!!

他の病院にも当たってみることも考えたけど。

この前、セカンドオピニオンでGセンターのマイルド先生に提示された薬、それが標準治療としては、きっとデータ的に一番効果のありそうなものなんだと思う。
だからもう、そういうところに聞きに行かなくてもいいかな、と思っている。

この前マイルド先生は、

イリノテカン+シスプラチンは、奏効率約30%。副作用は強いとおっしゃった。

でもって、

「延命のエビデンスは?」 とたずねると、

「エビデンスは、ないです」 という・・・・・( ̄_ ̄;)

奏効率っていうのは、画像上の面積で腫瘍が半分以下になって、その小さくなった状態が4週間以上つづく率らしい(たぶんそんな感じだった・・・)

別に私は、腫瘍にそんなに小さくなってもらわなくてもいい。

一日でも長く、家で普通に過ごしたい。

奏効率より延命のほうのデータを知りたいのにね。

今日は、来週どうするかを主治医のK先生に伝えないといけなかったので、色々考えざるを得なかった。

で。考えてるだけで疲れました・・・・・(≡д≡)。

自分の命に関わることだから、真剣に考えなきゃいけない。

抗がん剤治療は、メリットだけではなく、リスクも必ず伴う。

やってみないとわからないことも多い。
どこまでやってみるか?
失敗したら、リスクの方だけを受けなければならない。
でも、何もしなければ、あと数ヶ月しか生きられないかもしれない。

あーもう、どーすりゃいいの (@゜Д゜@)???

結局、来週は採血して腫瘍マーカーなどを調べてもらうだけにした・・・・・。

そういう結論を出したら、少し気が楽になった ε=(。・д・。)フー

あー疲れた!!!

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2006年5月30日 (火)

ラスト5-FU・・・

昨日、またまたまた治療日だったので、病院へ。

採血では、またもや左で失敗、右で成功・・・・・この日もイマイチな出だし。

病室で、音楽聴きつつ雑誌を眺めつつ待っていると、Gセンターのマイルド先生からのお手紙を手にしたK先生登場。

「Gセンター、どうだった??!(・◇・;) 」

「そのお手紙に書いてあると思いますが、次の薬として、イリノテカン+シスプラチンをすすめられました。気持ち悪そうですけど・・・・副作用が強いので、体力があるうちにこの組み合わせを試した方がいいということでした。」

「正直言って、これ、ウチで使ったことないんだよね・・・・どんな副作用が出るか分からないし・・・・・ウチでは、この治療はできない・・・・・・。」

K先生は、真面目な表情でこうおっしゃった。

人によっては、こう言われたら、医者に見捨てられたと感じるかもしれない。

でも、私は、責任をもてない治療はできない、という意味だと理解した。
わからないのに適当に、実験的に薬を使われるよりは、ずっと誠意があると思った。

これまで頼りにしていたK先生に、もう診てもらえないのかな・・・と思うと、
さびしいし、とっても悲しいけれど(/_<) 。

先生が言うには、これをやるならGセンターなどで受けてください、ということだ。
(とはいえ、すぐにGセンターで治療を始められるのかはわからない・・・)

あとで、

「もし3rdのタキソールを選択したら、ここで治療を受けられますか?」

とたずねた私に、先生は、

うん、タキソール単独なら、できるよ」とのことだった。

う~ん・・・「(´へ`;。

私は、もうひとつの病院で、意見を聞いてみようかと思っていることを先生に伝えた。

K先生は、きのうはスケジュールがつまっているようだったが、「なんとか頑張って今日中に紹介状を書いておくから」といってくれた。
いつ、その病院の予約が取れるかまったくわからなかったので、急いで書いてくださってとても助かった。

昨日の血液検査では、ALPがまた明らかに上がっていた。
私自身、先週は副作用がおさまる週末になっても食べられる量が少なく、「また、がん細胞が増えちゃってるかも」という自覚もあった。

先生は、

「今日も点滴やっていこう。で、これで最後にしよう。」

とおっしゃった。私は、頷いた。

これが最後の5-FUか・・・・・llllll(-_-;)llllll。

なんか、命綱が一本切れちゃったような気持ちだ。

サードオピニオンで、明るい気持ちになれる話が、聞けるといいけどな~。

それを受けてから、来週あたり、血液検査をして、外来で先生とお話しする予定だ。

次々やってくる色々な試練・・・・・ドラマみたい。

(ここで脳内BGM・・・
 「救命病棟24時」主題歌・DREAMS COME TRUE『何度でも』)

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2006年5月24日 (水)

セカンドオピニオン・再び

昨日の夕方、副作用でふらつき気味ながらも、Gセンターへ夫・ぱぱっちと行ってきた。

18:30すぎに呼ばれて診察室に入り、先生に、急な診察を受けてくださったことへのお礼を言い、椅子に座る。
去年12月にも診察していただいたマイルド先生は、すぐに次の薬の話を始めてくれた。
(ちなみに、先生はなかなかの二枚目先生だ。イケメンというより、二枚目っていう感じ)

・・・・・・・・・

2ndラインは、イリノテカン+シスプラチン
(5FUに耐性が付いた状態での奏効率約30%)

一週間ほど入院して点滴を受け、その一週間後くらいにもう一度外来で点滴を受けなければならない。でも、インターバルは一ヶ月とか(人によって違うらしいが)、長めに取れる。

3rdラインは、タキソール(奏効率約20%)

これは、今までと同じくウイークリーで、外来で点滴。

・・・・・・・・・・・

2ndは、聞いただけで、めっちゃ気持ち悪そ~

GEROGEROになりそ~( ̄ー ̄;

なのだが、これを2ndに持ってくる意味は、この組み合わせは副作用が強いが、体力がある「今のうちなら」使えるから、ということらしい。

先にタキソールを使って、それが効かなくなる頃には、今より体の状態が悪くなっていると考えられる。
そのときには、この組み合わせは使えなくなり、選択肢がひとつ減ってしまうことになるからだそうだ・・・・・・。

これらの薬でよくある副作用などについても、丁寧に説明してくださった。

私は、そのシスプラチンをパラプラチンに変えたら、効果は変わっちゃうのか、質問した。
同じプラチナ系の薬でも、パラプラチンの方がHAKIKEが出にくいと、本で読んだ記憶があったからだ。

でも、やっぱシスプラチンじゃないとダメらしい・・・( ̄ロ ̄lll)

この組み合わせのHAKIKEは、今使っている5FU+MTXとは比べ物にならないほど強いと、先生がいう・・・・・・(下痢にもなるそうだ。)

今だって気持ち悪いよぅ。
これよりずっと気持ち悪いの、いや~ん(=_=;)

3rdのタキソールにしても、2ndほどではないものの、副作用は今より強いだろうということだ。(倦怠感・体の痛みなど・・・・)
また、どっちを選択しても、脱毛は避けられないようだ。
ヅラ買わなきゃな~。

ぱぱっちは、内服の抗がん剤・TS-1+シスプラチンという選択はないのですか?と質問した。

やはり、今使っている5FUで耐性が付いたとしたら、同じ系統の薬であるTS-1はウチの病院では避けて、別系統の薬から使います、ということだった。

治療をこれ以上続けないほうがよいのでは、という感じのことをおっしゃる先生もいたのですが・・・・というと、先生は、

「うーん、そうですね。今なら、海外旅行にも行けちゃう体力がありますよね。

でも、これらの治療を始めたら、点滴などのスケジュールもありますから、

そういうことは難しくなりますよね・・・・・。」

という。
そうなんだよね・・・・・治療をやめれば、しばらくは好きなことをしたりできる。
でも、がん細胞は増えちゃう。

結局、どれをとっても、デメリットは大きい。

「究極の選択」だ( ̄Д ̄;) 。

ああ、どうしよう?
マイルド先生は、今の薬が効いていないと判断するのは、次のマーカー値を調べたときでよいのでは、ということだったので、もうちょっと時間はある。
サードオピニオンをききに行くかも含めて、よく考えることにした。

先生は、私たちがこまごまと色々質問しても、面倒そうな顔はひとつもせず、わかりやすく丁寧にひとつひとつ説明してくれた。
結局、19:00ごろまで、じっくり相談に乗ってくださった・・・・(ノ△・。)

ぱぱっちが、

「前回、先生の教えてくださった治療法のおかげで、半年たってもこれだけ元気でいます。ありがとうございます」

と、お礼を言ったら、先生は、

「いいえ。私ではなく、yue少納言さん自身が、がんばって治療を受けてこられたからですよ。治療は大変だったでしょう?」

とおっしゃった。
あまりにも優しくて、ウルッときそうになった・・・・(TwT。)

・・・・・・・・・・・・

時間外に、長い時間、こころよく相談に乗ってくださったマイルド先生。

ホントに急にお願いしたのに、忙しい中、急いで治療経過をお手紙にして資料に添付してくださった主治医・K先生。

一日に病院へ送り迎えと資料の受け取りに3往復もしてくれて、Gセンターにも連れて行ってくれたぱぱっち。

私たちがGセンターへ行っている間、おりこうにお留守番してくれた、まおたんと、
そのまおたんの世話をしてくれていたばぁば。
そして、心配して電話して来てくれた、弟。

それから、あたたかいメッセージをくれた、ネット上のお友達のみなさん。

本当にありがとう!!!

診察後に行った築地場外のお店で食べたまぐろユッケ・ホヤ酢・あぶりトロ握りの写真を載せときます。おいしかったよ~♪

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2006年5月23日 (火)

人生の分岐点

昨日、また治療日だった。

採血では、左で失敗され、右で成功。イマイチの出だし(^▽^;)

いつもの、外来化学療法室へ行くと、私が一番乗り!!
その後も、あまり人は来なくて、空いていた。

点滴まで、ベッドでしばらく待つ。先生が忙しかったらしく、なかなか来てもらえなかった。

で、K先生が来たとき。先生は、私のベッドの横にしゃがんで、血液検査のデータを見せてくれた。

ALPも腫瘍マーカーCA19-9も、上がってる( ̄□ ̄;)!!

今まで、微妙な動きをしていたから、覚悟していたけど・・・今回は明らかだ。
先生は、

「薬が、効かなくなってきちゃったかもしれない」

と、言う。そうだろうね・・・・多分。私は頷く。

「次のお薬は・・・・・?」

とたずねた私に、先生は、残念そうな目をしながらも、冷静にこう言った。

「う~ん・・・・・ないんだよね・・・・・。

今やっているお薬が、一番効くんだよね・・・・・・。

僕たちも、文献調べて、いい方法を探してみるけど。」

ΣΣ( ̄◇ ̄;)!ハウッ!?

ない???化学療法、もうオシマイ?

私は、K先生の、わからないことはわからないと言い、できないことはできないと言う、正直なところが信頼できると思っているし、大好きなところである。

効かない抗がん剤を、ただ形式的に投与されても、体力が減るだけだ。

それに、以前に何人かの先生方からきいていた話からすると、今回の薬が、半年近く効いたのは、治療が成功した方なのだと思う。

でもやっぱり、次の薬の候補が「ない」と言われると、悲しかった。

私は、先生に

「またセカンドオピニオン的なの、ききにいったほうがいいですかね?」

と言った。先生も、それもいいんじゃないかと言う。

でも、前回セカンドオピニオンをききに行ったGセンターは、再診の予約は二ヶ月前くらいに入れろ、とHPに書いてある・・・・すぐ診てもらえるかわからない。

先生にその話をしたら、「えーっ二ヶ月前なんて、わかんないよね?」と、看護師さんと二人で苦笑していた。

ホントに、安定している症状のヒト以外は、そんなのわかるはずがない。
Gセンターの先生方が、いつも混んでいるために大変なオーバーワークになっていることは知っているけれど・・・・。

とりあえず、いつもの点滴をして、帰る。
帰りの車の中で、夫・ぱぱっちにその話をしたら、一応Gセンターに電話してみよう、ということになった。

帰ってから、ぱぱっちは、すぐに電話してくれた。

電話に出た人は、やっぱり約一ヵ月後の日時を指定してきたそうだ。
でも、スキルス胃がんである私のがん細胞の増殖スピードは速い。
そんな悠長なことは言っていられないと、ぱぱっちは粘った!!
先生本人に事情を話し、翌日(つまり今日)の夕方、一番最後になら予約を入れてもいいと言ってもらえたそうだ。
(忙しい先生に無理を言って、申し訳ない気持ちも、もちろんあるが・・・・)

というわけで。

今日、おそらく夜おそくになると思うけど、

なにかできることがないか、聞いてきます(*`◇´*)/ !!

結局、抗がん剤をやめる・・・という選択をすることになるかもしれない。
そのほうが、良い結果になりそうだったら、そうするかもしれない。

でも、それでも、やっぱりちゃんと自分で納得した上でその選択をしたいから、一人の先生の意見だけで、あきらめられないのだ。

治療の分岐点は、人生の分岐点でもあるような気がする。

自分は、最善をつくした・・・・

そう思える人生にしたい。

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2006年5月17日 (水)

おばあちゃんの、がん

今日はわりと元気になりました(^◇^*)!!
昨夜飲んだ下剤のおかげで、時々ちょっとハライタになるが・・・。

おとといの外来化学療法室で、点滴が終わって帰ろうとしたときのこと。
向かい側のベッドのおばあちゃんに話しかけられた。

おばあちゃんは、84歳だそうだ。

東京からはるか遠い自宅に住んでいたとき、自治体の検診で肺がんが見つかったらしい。
レントゲンを撮ってから、2ヶ月も経って、担当の先生(女性)から電話があり、

「あなた大変よ!肺がんなのよ!!

・・・・それで、どこの病院で治療受けますか?」

とイキナリ言われたそうだ。
急に言われても、がんだなんて言われてショックで頭が回らないし、どこの病院がいいかなんてわからない。先生の方で紹介してくれないのか?と、思ったそうだ。
確かに、ヒドイ対応だと思う。

結局、息子に相談したら、お嫁さんが「私たちが責任持って面倒見ますから」と言ってくれたそうだ。
それで、東京へ出てきて、息子夫婦の家に近い、今の病院にきたらしい。

このおばあちゃんは、ずーっとしゃべり続け、私の発する質問などは、100%耳に入っていない。
質問にかぶせて、自分の話を続ける。

おばあちゃんは、私のアイヅチしか求めていない・・・(・口・)

と、すぐに気づいた私。

「そうですかー」&「大変でしたね~」

の2パターンの相槌をうち続け、聞き役に徹した。

おばあちゃんは、

「84にもなって、抗がん剤なんかをうつ羽目になるとはねぇ・・・」

「親戚も友達も、このへんには誰もいないのよ」

と、しみじみ涙をぬぐう。
確かに、知り合いのいない土地へ、その歳で出てくるのは、さぞかし寂しいものだろう。

しかし。

私から見れば、84歳まで生きられたこと、息子夫婦が気持ちよく面倒を見てくれていること、どちらも、ヒジョ~~にうらやましいことなんだけどなー。

私は、大人になった娘の顔や孫の顔を見たいけど、見られない可能性が圧倒的に高い。
ランドセル姿すら、見られない可能性も高い。
娘が学校を卒業して社会に出るまで生きられたらいいなぁ・・・と願っている状況なのだ。

それでも。
私よりずっと若い人や子供で、生きたくても生きられなくなった人だって、たくさんいる。
そういう人たちから見たら、こんな私の状況だって、うらやましいのだろうし。

人間って、欲には限りがないんだなぁ・・・・。

と、改めて感じた。
いくつまで生きても、やっぱり常に元気でいたいし、生き続けたいものなのだろうね。

私は、看護師さんが来てそのおばあちゃんに話しかけたタイミングで、やっと帰れたのだった・・・・(-o- )。

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2006年5月16日 (火)

また病院行ったよ

きのうは、またまたまた治療日だったので、病院へ行ってきた。

いい天気なのに、私は病院かよ(T□T)!?って感じ。

朝、採血の順番待ちの間に、病院の売店で雑誌を買おうと思ったら、女性週刊誌とかしかないじゃん・・・・・。いらねー!
字より写真が多いやつがいいんだけど。
あ、でも入院中、同室のおばちゃん達はこんなの読んでたなぁ、そういえば。

天気もいいことだし、どうせ採血結果が出るまで点滴を始めることができないので、採血が済んでから病院の外のコンビニへ。
緑が多くて気持ちいい!
Martという主婦向け雑誌を買ってみて、外来化学療法室でそれを眺めながら先生を待つ。

その記事によると、ニトリっていう激安インテリアショップに、けっこうカワイイ食器が激安で売ってるみたい。
今度、一度行ってみようかな~?
写真じゃカワイくても、現物見ると安っぽいのかしら?
ウチの普段使い用の湯飲みが欠けてきたので、新しいのを買いたいのだ。

きのうは、K先生とH先生がベッドへやってきた。

H先生は、先週初めて会った先生で、主治医チームのU先生に付いてお勉強中の先生だ。
この先生が、いつも皇室の方のような笑顔を浮かべている。
そして、やはり皇室の方のような頷き方とおだやかな口調で、お話をなさる。

きっと、おぼっちゃま育ちの先生なのだろう・・・( ̄ー ̄;)

先週気づいた「足の裏にできた新しいホクロ」のことを、問診時に看護師さんに話していたので、K先生に「新しいホクロってどれ?」ときかれた。

なんとなーく恥ずかしかったが、ソックスを脱いで足裏を先生に見せる。
「あーこれは心配ないよ。ま、一応経過は見ておいて」と足裏のホクロをさすりながら、K先生が言った。
夫・ぱぱっちから、「メラノーマみたいなやつだと怖いから、先生に一応言いなよ!」と脅かされていたので、ホッとした。

K先生は、私がイヤな顔をするために、そのたび先延ばしにしている胃カメラの話を、やはりきのうも切り出した。

「胃カメラ、やろうかどうしようか迷ってるんだけど・・・・・・

・・・・・どうする( ̄∀ ̄;)?」

もう、何度も言っていることなので、先生も笑いながら、こう言った。

「必要なら、やりますけど・・・・・(-_-;)」

こちらも、いつもと同じ答えをする。
先生は、自分の中ではとてもやりたそうだ。

「抗がん剤を、最低3週は続けてやりたいんだよなー。
今週2回目だよね?じゃあ、来週相談して、再来週くらいとか?」

と言う。
どうも、その通りになりそう・・・・・。
まあ、検査しなかったことで何か重大な変化を見逃されては、先生だけでなく自分も困るしな。しかたないか。

その後、H先生が「いい天気ですねぇ」と穏やかに言いながら、点滴の針を刺す。
この先生に刺されるのは初めてなので、また「私、皮膚がかたいそうです」と自己申告。
しかし、やはりぐぐぐぐーっと刺されて、痛かった・・・・・。

H先生は、

「今度は、もっと柔らかそうなとこ探して刺しますね」

と、ロイヤルスマイルを浮かべ、「では、がんばってください・・・」と去っていった。
そのまま点滴。

きのうは、点滴中はわりと平気だった。
帰ったときも、マンションの中庭で会ったママ友たちと少し立ち話する元気もあった。

しかし、夜にはまた胃がムカムカしてきた。

ぱぱっちが作ってくれたハムチーズロールサンド(プーさんとピグレットのピック付き)を小さいの3切れと、そのあとメロンを少し食べられたので、まあマシな方だけどね。

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2006年5月12日 (金)

大変!シミ!!

昨日、3ヶ月ぶりに美容院へ行って、髪を短めにカットしてきた。
スッキリした~(^▽^)/

私にとって、美容院に行くということは、今、ビミョーなことだ。
なんでかというと。
今は髪がなんとかあるけど、また別の抗がん剤を試すことになったら、いつ脱毛するかわからないから。

抜けちゃうなら、カット代がもったいない!!(-д-;)

という、非常にビンボーくさい考えである・・・・・・・。

しかし、あまりにも伸びてどうしようもなくなったので、仕方なく近所の店へ行ってきた。
実際抜けるときも、長い髪だと余計につらいような気がするし・・・・。
気分転換にもなり、結果的には、行ってきてよかった♪

月曜日、外来化学療法室に、主治医・K先生が来たときのこと。

私のベッドの枕元に、2~3本の抜け毛が落ちていることに、先生が気づいた。

「あっ、髪・・・・抜けちゃう?σ( ̄◇ ̄;) 」

と、とっても心配そうに言われた。
私は、自分の頭を手で確認しながら、

「いえ、今のところ気になるほど抜けてはいませんよ。大丈夫です」

と答えた。
実際に抜けた人の話を聞くと、抜けるときはゴッソリ抜けるみたいで、2~3本どころじゃないらしいぞ。

でも、そうやって細やかなところにも気を配ってくれるK先生。

うれしいよ!ありがとー(/^-^)/!!

特に女性にとって、髪が抜けることはショックだろうと思う。
同じ部屋で点滴を受けている女性を見ても、ほとんどが、脱毛してウイッグや帽子をかぶっている・・・・・・。
医療用ウイッグって、これまた何十万とかして高価なのよね~。
保険きかないし!!

そういう副作用で、私が苦々しく感じているもの・・・・・・

それは、シミ!!!!

抗がん剤を始めてから、顔のシミが一気に増えた。
先生に訴えてはいないから、副作用かどうかハッキリしないけど、おそらく色素沈着??

色白美肌が、私のウリだったのに~∑( ̄皿 ̄;;キイィーッ

鏡に映る自分が老けて見えて、とっても悲しい。
がん細胞を抑えるためなら、シミぐらい、どうってことないとも言えるけどさ。
やっぱ、乙女心もいくらかはあるわけよ (。-_-。)ポッ

それから、目が充血しがちになった。
これも、先生にきいてないけど、副作用なのかなと思う。
それも不細工に見えるからイヤなのだ~!!

こういう、命に関わらない副作用対策は、

当分ほっとかれるのだろうか?

脱毛だけでも、なんとか止められないものだろうか?

ムダ毛だけ脱毛して、髪の毛やまゆげ、まつげなど大事な毛だけ残せる、

夢のエステ抗がん剤なんていいかも(^◇^*)!?

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2006年5月 9日 (火)

治療中のこと

きのうは、例によって治療日

行ったら、採血室は混雑。やっぱり、連休明けだからな・・・(-_-;)

なんとか採血を終え、外来化学療法室へ。

きのうは、こちらもやはり混雑しており、なかなか看護師さんに最初の問診をしてもらえなかった。待合室で一時間くらい待ったかも。

やっとベッドへ。

三浦りさ子がいつも表紙のVERYというファッション雑誌があるが、その別冊で子供ファッションが載っているVERY Kidsという雑誌を、小さめで薄くてちょうどよかったので持っていっていた。
(ちなみに私は普段、VERYは美容院でしか読まない)

4歳児や5歳児の写真に、「今日はアルマーニのジャケットに、オーダーメイドのシャツです」みたいなキャプションがついている・・・レストランを借り切ってのバースデーパーティとか・・・・ヴィトンの子供靴とか・・・・・( ̄Д ̄;) ハア・・・・

ありえね~~~!!!( ̄◇ ̄;)

と、セレブ世界に住むおぼっちゃまお嬢ちゃまの生活に思いをはせつつ、先生を待つ。

また一時間くらいたって、主治医・K先生がいらっしゃり、これからU先生にしばらくの間つくという、H先生を紹介してくれた。

落ち着いてて、すごーく安心感を感じさせるルックスの先生だ。

しかし、トキメキはない。(いや、本来、医者にトキメキ要素は必要ないが)

えーっ!美声研修医・TH先生は来ないの~?(ノ ̄□ ̄)ノ

という心の叫びを押さえ、

「よろしくおねがいしま~す♪」

と超笑顔でこたえる私だった・・・・・・・(≡д≡)

その後、K先生が先週のCTの結果、特に新たな問題はなかったと言った。
戻り気味だったALPの値も前回より今日、微妙に下がっていたこともあり、今までのヤクをもうしばらく続けられそうだ、ということだった。

よかったぁ・・・・・。

K先生が点滴の針を刺してくれた。そのとき、私の右手首の血管をバンバン叩きながら、

「あれー、こんなに細かったっけ??」

と言う。

何回も刺してるから細くなるんでしょ・・・・(+_+。)

なんとかルートが入り、点滴開始。

そのとき、K先生が、

「あのさ、内視鏡、どうする?」

と言う。ずっと前に、風邪で延期にしたっきりだったからだ。

「必要ならやります・・・。なるべくなら、やりたくないですけど」

と正直に答えたら、

「じゃあ、また今度にしようか・・・・( ̄▽ ̄;)」

と、ちょっと残念そうな先生だった・・・・。

来たときいっぱいだった外来化学療法室。
終わる頃には、みんな帰っちゃってガラーンとしていた。(でも、会計・薬局はすごく混んでた。)

帰ってから、夫にHAKIKEに効くツボをマッサージしてもらい、寝る。

今日の午前中もひたすら寝る。

で、なんとかHAKIKEをこらえた!!
食欲はないけど、なんとか起きられるようになったぞー。

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2006年5月 1日 (月)

CTやってきた・・・

今日は、いい天気なのに、CTの検査(腹部)のため、病院へ。

病院、空いているかと思ったら。

連休前のせいか、めちゃ混みだった・・・・ヾ(;´▽`A``

放射線科へ行き、検査着に着替え、CTの機械にねそべり、ちょろっと撮影。

その後、急いでK先生が来てくれた。

先週の状況を聞かれ、GERIした話を一応伝える。
先生は、今日の結果は来週のいつもの点滴のとき、教えてくれるという。

小児喘息があった私に、念のためアレルギー予防のステロイド剤を注射し、それから造影剤(ヨード)を入れる。

例によって、ルートを刺されるときは「いででででででで」状態。

K先生も、「痛いですよ~」と言ってから刺すんだもん。余計力入っちゃうってば。

まずステロイドの薬臭さがやってきて、その後すぐに、造影剤(ヨード)特有の「熱さ」が体中を走りまわる。

この感覚がイヤなのよね ( ̄Д ̄;) 。

注射前に、私は思いっきりイヤ~な顔をしていたらしく、看護師さんに

「眉間にシワが!!・・・そうですよね。何回やってもイヤですよねぇ。」

と言われてしまった。

イヤに決まっとるわ (-_-#)!!

その後、もう一度撮影。

撮影時、「息を吸って~止めてください」という指示が機械から聞こえる。

その指示通りにしていると

ぐ、ぐるじい・・・・・・・ ε=o(´ロ`||)

(とはいえ、CTは検査としてはかなりラクだ。少なくとも、胃カメラよりずっとラク。)

検査って、終わったあと、検査結果を聞くまでが、またイヤ~な時間だ。

心配しても、何も好転はしないとわかっているのだが、時々ふと思い出して心配になる。

帰りには、本屋によって本を買ったり、CD売り場を見たり、アカチャンホンポでまおたんの夏服を買ったり。

さらに、近所の新しい中華レストランで上海やきそばを食べてきた。

そういうことをしている間は、心配を忘れるのでいいのだ♪

(安いものしか買わなかったとはいえ、お金を使ってるから、いつもそういう気の紛らわせ方はあまりよくないけどね。)

たくさん水を飲んでいるけど、まだ体内にヨードは残っている様子。

まだ、お腹の中がポッポしております・・・アフゥ (-。-*) 。

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2006年4月26日 (水)

BENPI or GERI?

うへぇ~ (_ _,)/~~

今日のワタクシ、かなり疲れております。

なぜって?

昨夜、午前3時ごろ、腹痛で目が覚めたのですよ。

昨夜、またまた「サラリーマンNEO」の川上君で笑い、「ぷっすま」で笑ってから、ガスターとプルゼニド(一錠だけ)飲んで寝たんですが。

おなかがグルグル~(;´д`)

抗がん剤治療を始めてから、ずーっとBENPIだったのだが、

最近は、GERI気味???

土曜日もおなか下したし・・・・・。

結局、朝6時近くまで、痛みに耐え、なんとか中身を出しきったところでやっと眠れた次第。

もう~(・ε・)

BENPIかGERIか、はっきりしてよ!!

飲む薬が違うじゃんよ~!!!

痛みがあると、冷や汗かくし、もうほかの事考えられなくなる。

へろへろだわよ。

やっぱり、緩和ケアは必要なのだと、また認識した出来事だった・・・・・。

(きのうドン引きされたところなのに、下系の話題が続いてゴメンナサイ(笑)!)

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2006年4月25日 (火)

きのう、病室で・・・

昨日の治療のときのこと。
  ・
  ・
  ・
「見た感じも、外から触った感じも、やわらかいし・・・・・・

プリッとしてて、魅力的なんだけどな・・・・・・・・」

と、
美声研修医・TH先生が、私の右手を握り、その部分を優しく触りながら、少しの無念さと悔しさをにじませた声で、つぶやいた。

TH先生、こんな言葉をすらすら繰り出すなんて、いろんな女に、こういう台詞を言っているのかしら?
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
私は、目を閉じ、先生にすべてをまかせる。

先生は、私の手をしっかり握りなおし、

「じゃ、いきますよ」

と言って、力を込めた。私の身体に、痛みが走り、思わず声を上げる・・・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
「いででで!いででで!いででで!!!」

TH先生は、無理やり点滴の針を押し込み、グリグリと中で探りを入れたので、かなり痛かった。

「うーん。見た感じはほんとうに柔らかいんですけど、針を入れると、やっぱりかたいんですよね・・・・・ごめんなさいね。痛かったですね。」

TH先生は、「じゃ!」と爽やかな笑顔で去っていった。

私の、その部分(右手首の血管)に、

点滴のルートと、赤い腫れを残して・・・・・・・(T▽T)

。。。。。

昨日、最初に来てくれたのは主治医・K先生とその美声研修医・TH先生だった。

「体調はどう?痛みはない?」ときかれ、

「きのう、二時間ほどプレステでゲームしたら、身体が痛くなったんですが・・・・ゲームのしすぎですかね?」

と言ったら、普段あまり笑ってくれないK先生も笑ってくれて、うれしかった。

しかし、血液検査の結果、先週微妙に上がっていたALPが、もっと上がっていた。

「薬が効かなくなってきたんでしょうか?( ̄ロ ̄lll)」

とたずねると、K先生は、

「う~ん・・・来週のCTを見て、判断しましょう」

とのことだった。次の手も考えなきゃいけないときかもしれないなー。

その後、あとからやって来たU先生にも体調を聞かれ、研修医・TH先生が、先述のように点滴の針を刺してくれた。

点滴中および直後は、あまりHAKIKEもなく、ちょ~いい感じだった(‘ ∇‘ )!!

しかし。

帰った1時間後くらいから、かなり、きもわるくなってきた・・・・|||(-_-;)||||||

夕食も食べず、ベッドで寝ていた。
今日の午前中も、朝食を少し食べたあと寝っぱなし。。。

遅れてキタだけだったよ・・・・・・副作用(´_`。)グスン

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2006年4月23日 (日)

緩和ケアの記事を読んで

読売新聞で、4/11~4/21まで生きる 緩和ケア病棟からという9回にわたる連載をしていた。

これがまた、あの癌研有明病院の緩和ケア病棟の話ばっかりなのだ。

しかも、いい話ばっかり・・・・・・。

NHKでも取り上げられて、めっちゃ人気が高まっているところなのに、これを読んで、またたくさんの患者が集まっていくだろう。

初回には、ホスピスが足りないことについての記事も同時にのせていたし、連載の最後には、全国の緩和ケア病棟やホスピスに対して行ったアンケートから、施設の抱えている問題点もいくつか書いている。

けど。

なんだか、この連載を見ていると、緩和ケア病棟は、末期がん患者の「天国」みたいに思えてくる。

緩和ケア病棟やホスピスは、ただ死を待つだけの場所じゃない。そういう誤解を解きたい・・・・というのが記者さんが伝えたかったテーマなのかな、と思う。

確かに、そういった誤解を解けば、緩和ケア病棟へ行った方がよりよい状態で過ごせるはずの人が、一般病棟でがんばるだけがんばって亡くなることは減るかもしれない。

でも実際に、いくつかのホスピスで外来を受けてきた私としては、

こんなにいいことばっかりじゃないはず・・・・という気がした。

たとえば一つの例をあげると。

夜景のキレイな都心にある、某有名病院の緩和ケア科に、夫・ぱぱっちが問い合わせの電話をしたとき、その電話に出た人は、

「痛みがないのに、来てもらっても意味がありませんから、痛みが出てから外来予約をとってください。」

と言ったそうだ。

痛みが出たとき電話しても、外来予約は一ヵ月後くらいにしか入れられないというのに。
さらに、外来に行ったあとも、ベッドの空きがなければ入院待ちだ。

痛いまま、一ヶ月以上待ってろってことなの( ̄■ ̄;)!?

しかも、

「うちのベッド代、高いですよ?それなりの収入がある方でないとツライと思いますが?」

というようなことも、言っていたそうだ。

又聞きだから、正確に何と言ったかはわからないが、ぱぱっちの印象としては、

セレブ以外は来ないでください

という雰囲気だったらしい・・・・( ̄_ ̄;)イヤーン

緩和ケアにたずさわる人たちが全員、私たち患者に対して親切とは限らないのだ。

他にも。

連載の最終回では、抗がん剤治療について、アンケートでは「7割近くの施設が、患者を他の診療科に転科させるなどして抗がん剤治療を行っていることが分かった」と書かれている。
「治療の幅が広がってきている」という。

その、
転科させなきゃ、抗がん剤治療ができない・・・ってのが私にとっては問題なんですけど(T_T)

私が行ったウチから通える地域のホスピスたちは、そこでの抗がん剤治療は行わないらしいし、一般の消化器内科の病棟などは併設していない。
抗がん剤治療がしたいと言ったら、もともと通っている病院に帰されるだけでは?

同じ病院内で転科し、一般病棟で緩和ケアを受けながら治療できるなら、いいかもしれない・・・・。

しかしそれでも、一般病棟と緩和ケア病棟では、保険制度上使える薬が違うみたいだし、何かしら問題はあるのではないか?
 ・
 ・
 ・
私の希望としては、緩和ケアをホスピスで受けているときも、したいときに平行して「保険適用で」抗がん剤治療もしてほしいのだけれど・・・・・

今の保険制度上では、無理なんですよね、それが。(  ̄д ̄;)

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2006年4月18日 (火)

ピチピチ皮膚!!

きのうは、また治療日

朝の採血室は、信じられないくらい空いており、すぐに採血できた。

しかし今回も、採血室のNo.1・Nさんには当たれず(T-T)

女性の技師さんに当たったが、やはりもう既に刺しすぎの右の血管に刺された・・・。

もう、ここの血管は、シロートが見ても青黒くなっていて、「刺しすぎ」ってのがわかるようになっているのになぁ。
やっぱ、NさんやTさんはすごい技術をお持ちなのだ。

次は当たりますように・・・・(-人-;) 

その後、外来化学療法室へ。

今日は、満室の予定だったそうだが、キャンセルが結構出たらしく、わりと空いていた。

今回は、迷うことなく最新号の「weeklyファミ通」を持っていって、堂々と読んだ。

二回目になると、なぜか恥ずかしくなかったのだ・・・( ´_ゝ`)

梅干おにぎりを食べ、のんびりしていると、しばらくして先生方がやってきた。

この前の頭部CTの結果、特に問題はなかったそうだ。
あまり心配はしていなかったけど・・・よかった~。

しかし、血液検査の結果、今まで下がり続けていたALP(骨の異常をあらわす)の値が、
今回少し上がってしまっていた ( ̄□ ̄;)!!

薬、とうとう効かなくなってきたのかなぁ・・・。まあ、もう少し様子を見るんだろうな。

点滴の針を、美声研修医さんが刺してくれるとき、後ろにいたU先生が、

「yue少納言さんは、皮膚がかたいから気をつけて」

と注意していた。そして、隣のK先生と、

「皮膚がかたいんだよね・・・」と小声でぼそぼそ話している。

実は、そのことについては、前の前の研修医さん・TS先生からも、何度も文句を言われていたのだ。

「皮膚がなんか、かたいんすよね・・・。若い人のほうが、比較的かたいことが多いんですけど。」

と。

TS先生は、私の腕に針をさすとき、血管を浮き立たせるために腕の上部にしばりつけるゴムチューブを、気合を入れてしばりすぎ、

ブチッッッ!!!

と引きちぎったこともあったっけ・・・・(T▽T)

だから、新しい研修医さんに代わって、初めて針を刺すときには、
「私の皮膚、かたいらしいんです」と、いつも自己申告していた。

しかし・・・・・・こう、何度も言われると、

「ええ。若くてピチピチですから!!!」

と言ってやりたくなった。
でも。
K先生もU先生も、冗談を言っても気づいてくれず、真顔で真面目な返事をする方たちだ・・・・・。

なにも言わないことにした・・・・・(-_-;)。

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2006年4月11日 (火)

CTと抗がん剤治療

まず、きのうの記事に関して、お詫びと訂正。

×採血→CT→化学療法 
○採血→化学療法→CT 

でございました・・・。(え?どっちでもいい??)

そして、もうひとつ。私の持っていった本は

×小説「ラッシュライフ」
○「weeklyファミ通」

でございました・・・・・・・・・・。m(*- -*)m

朝、ラッシュライフをかばんに入れて出かけようとしたワタクシ。そこへ、

「本当にリラックスできる本を持っていくべきだ!」

と言いながら、夫・ぱぱっちが私のかばんへファミ通を投入!!!

えー。でも、持ってみたらかばんが重いよー。 <(; ̄ ・ ̄)

そこで、私は本を一冊かばんから出した。

・・・・・・・・・・そう、それはラッシュライフの方だった・・・・・・・・

。。。。。。。。。

朝の採血は、ベテランぽい、Tさんに当たった♪50歳くらいかな?って感じのオジサマだ。

Tさんも、ほれぼれするプロ根性☆を見せてくれたヾ(^・^*)

右腕の血管が硬いと聞くと、左腕の、極細かつ深めにあって、私にはよく見えないような血管から、一発採血!!!

わーお!!
採血室では、NさんだけでなくTさんも「指名したい人」になったわ~。

その後、化学療法室へ。

今日は混んでいて、部屋が指定されていたのだが、なんと私は混んでる日だけ開けられるエキストラルームを指定され、個室状態!!

ちょっと寂しいが、

ファミ通も、こころおきなく、広げて読めた!!!

(看護師さんに、ちょっと不審そうに本をのぞきこまれたときはあせったけど・・・・カルテに「ゲーム雑誌を読んでいた」とか書かれてないよね(笑)??)

血液検査の結果が出たあと、K先生と美声研修医さんがやってきた。
私は、来月頭に予約を入れた腹部CTのときは、化学療法はお休みにしたい、とお願いしてみた。すると、あっさりOK!よかったー。

造影剤が体中をぐるぐる回ってる中、

抗がん剤も入れるなんて考えたくもないもんね・・・・(-_-;

その後、点滴を刺す血管をさがすとき、美声研修医さんは、色々話しながら、3分くらい私の右手を握ってくれていた・・・・ふふふ。やったわ・・・・・♪

点滴が終わると、放射線科へ行き、頭部CT

今日は造影剤も入れないから、もう、一瞬でおしまい。検査自体は、なんてことはない。結果は、来週きけるのかな?

大丈夫だとは思うけど・・・ちょっとコワ・・・。

きのうは、副作用も先週ほどではなかった。

夜もなんとか、あんぱんを食べられた(~▽~ )

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2006年4月 6日 (木)

新たな副作用!!

いやー。初めて経験した。この副作用。

味覚障害 ( ̄Д ̄;) ・・・・

ゆうべ、小腹がへったので、トマトプリッツ食べたんですよ。トマプリ!!!

それがねー。塩味がない。
コレって普通、味濃い目だよね?不良品?と思ったワタクシ。

しかし、今朝の朝食、サラダにドレッシングかけてもやっぱり、

塩味がしないよ・・・Σ(T▽T;)

食べ物をおいしく感じられないって、悲しいことだ・・・・・。
おいしいもの大好きな私にとって、ちょっとショックだった( ̄_ ̄|||) 。

味覚障害は、亜鉛を摂取すればいいってよくいうけど。

最近、もっとも亜鉛の多い食材、牡蠣(カキ)を食べると、お腹をこわしやすいワタクシ。

しかたない、お肉や野菜をたくさん食べていろんな栄養素をとり、時間が経過すれば治るかな、と。

副作用って、「舌切り雀」の大きなつづらのよう~。
(ロクなのが出てこなくて、色々出てくる)

しかし、毎回必ず出てくる副作用、それは

HAKIKE&BENPI!!!

抗がん剤を点滴した週は、下剤(プルゼニド)を飲まないと、絶対!!

出ない・・・・・(>_<、)

BENPIには、いつも悩まされている。
しかも、プルゼニドを飲むのはいつも2錠ずつだが、それでも、飲んだ翌日に出るときと出ないときがある。出ないからと、追加で飲むと今度は下したり・・・・。

調節がむずかしーんだよ!!!ゴルァ!!ヾ(。`Д´。)ノ彡☆

これでも、昔の抗がん剤よりはずいぶん副作用が減っているという。

そんな、昔の抗がん剤の副作用に耐えた方々を、私は、惜しみない拍手で讃えよう・・・・・。

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2006年4月 5日 (水)

きのうの治療・2

昨日、タイトルを「きのうの治療・1」にしてしまったので、そのまま2にしました。

もうおとといだけど、気にしないでくださ~い!

。。。。。。。。。。

点滴を入れ始め、先に入れる抗がん剤メセトレキセートを入れても、気持ち悪くない♪

今日はいいかも~ヽ(=´▽`=)ノ

と喜んでいたのに、

5FUを入れたら、即ダルダル+きもわる~状態・・・( ×m×)

それまで読んでいた本を棚に置き、ベッドでグッタリ・・・。

そのとき、目に入ったのが斜め向かいの、私と年齢の近そうな女性。
まったく平気な様子で、ベッドに座って本を読んだり携帯メールを見たりしている。

「なんか全然平気そうですね・・・(;´Д`)」

と声をかけたら、

「吐き気とか、副作用が全然ないんですよー。髪の毛はないけど(笑)」

という。乳がんで、タキソールとハーセプチンをやっているそうだ。
余命を言われたこともあったようだが、何度か薬を替え、もう2年も化学療法を続けているということだった。

その方は、私と同じように骨転移もあり、最初は腰痛がひどかったというが、アレディアがちょうどそのころ保険適用になり、それを使ったら治ったらしい。

昨年には、頭痛から脳転移も見つかったというので、来週頭部CTの予約を入れられた私は、さらにこうたずねた。

「脳転移があっても、この病院ではガンマナイフとかできないですよね?」

「近くのY脳神経外科を紹介してもらって、2泊3日で、ガンマナイフやったよー」

という。頭にヘッドギアみたいなのを固定するときは痛いが、麻酔も効いてるし、思ったほどつらくなかったという。
それに、ガンマナイフで、脳の腫瘍はしっかり消えたそうだ('-'*)

そうかー。2泊3日の入院で済む程度なら、耐えられそう。それに、その病院は自宅から近いし。

と少し気が楽になった私だった。

先輩患者さんに色々話をきけるのって、
すごくいいことだなぁと思った一日でした
(* ̄∇ ̄*)

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2006年4月 4日 (火)

きのうの治療・1

先週は風邪で治療を休んだので、きのうはひさしぶりの治療

朝、採血室で。

「Nさんがいない??( ̄□ ̄;)!!」

と、あせったワタクシ。私のNo.1なのに、もしや定年?4月だし異動?くそー辞めさせるなー!

などと心配していたら、しばらくして奥から出てきた。よかったー。

しかし。

無情にも、Nさんの前の電光掲示板に表示されたのは、

私の一つ前の受付番号・・・(T△T)

今回私は、若い女性に当たった。

私は、右の血管は既にかたくなってますよ、と忠告したが、やはりそこが一番見えやすい血管なので、そこから刺された。

痛かったけど、でもとりあえず、一発で採れたので、まあよしとしよう。

その後、外来化学療法室へ行ったら、行った時は空いていたが、あとでいっぱい患者さんが来た。

ベッドで本を読んでいると、主治医のK先生、U先生、新しい研修医さん(低音で美声の研修医さんだった)が、しばらくたってやって来た。

「風邪は治った?頭痛はどう?」

「風邪は大丈夫です。頭痛はたまにありますけど・・・」

すると先生方が・・・

「じゃあ、頭のCTとろうか!!」

ええええーーーw( ̄Д ̄;)w 

脳転移かもってこと?いやだー。そんなのー。

しかし、まあ念のため、来週とってもらうことにした。来月の頭には、腹部のCTも予約を入れられていた。GWなのに~(T_T)

その後、美声研修医さんが、点滴を刺す。

私は、4月なので、最高にフレッシュな、へたくそ研修医に当たったらいやだなと思っていた。でも、話を聞いたら、美声研修医さんは、2年目だった!!

練習台にならなくて済んだよ・・・(ノ・ω)ノ わぁい♪

私は、その美声をききたくて、いろいろ話しかけてしまった。

う~ん渋くていい声だ~(´- `*)ウットリ

(明日に続く)

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2006年3月26日 (日)

3/20~今日までのこと

今日書いたら、過去のおなはしはオシマイですね。
あとはリアルタイムのおはなしになっていくので、ネタ切れが心配かも。

。。。。。。。。。。。。。。。。

3/20(月)治療日

採血室前が今まで見たことないくらい混雑していて、すごく待たされたが、採血ではお目当てのベテランNさんに順番がうまく当たった!!ラッキー!!(。⌒∇⌒)。

右腕の比較的太い血管は、針を刺しすぎて硬くなっちゃったんですと申告したら、

いつもみんなが敬遠する左腕の、その中でも細いほうだと思う極細血管から、一発で採血してくれた!(ノ゚∇゚)ノ⌒☆オミゴト!!

採血中、

「痛い?この血管すごく細いからちょっと痛いけど、ごめんね。でもちゃんと採れてるから」

と言われたが、

「痛いですけど、何回も刺されるよりは一発ですむほうがずーっといいです」

と答えた。だってそうだよね~。

採血後は、サワヤカな気分で外来化学療法室へ向かった私。

しかし、点滴を始めたとたん、すぐに気分が悪くなってきた。抗がん剤じゃなくてソリタを入れただけなのになー。なんでだろ。

お昼ごはんもたべられず・・・(T_T)

吐き気止めのナゼアを飲んでも全然効かない・・・(T_T)

この日は、夫・ぱぱっちが関西へ出張していた。
そのことをウチの母から聞いた義妹が、帰りが大変だろうからと、わざわざ車で病院まで迎えに来てくれた。

助かった・・・('-'*)アリガト♪

本来なら、ウチによってお茶でも・・・と義妹に言ってあげたかったところだが、あまりにも気分が悪かったので、お礼を言ってそのまま帰ってもらった。

そーっと、かつ急いで着替えてベッドに直行!!

ちょっとでも動くと「うっ・・・」とHAKIKEがこみ上げてくるので、ベッドでなるべく動かないように、寝返りも打てずにじっと寝ていた。

夜来てくれた母が、太巻きを買ってきてくれたので、なんとか必死の思いで一切れだけ食べ、また寝た。

なんにも食べないと、余計気持ち悪くなるのよね。。。

翌日は祝日だったので、弟夫婦がウチに来て、娘・まおたんの遊び相手になってくれた。
まおたんは、義妹と散歩に行き、なかなか帰ろうとしなくて困らせたらしい。
まおたんは、この義妹が「だ~いすき♪」なのである。
前日にひきつづき、色々お世話になってしまった。

ワタクシはといえば、

頭痛&HAKIKE&だるさ

の三点セットで、ほとんど寝たきり。お茶の時間だけ、なんとか起きていた。

この日、WBCの決勝があり、日本が世界一になった。
イチローはかっこいい!ムネリンはかわいい!
(試合と関係ない感想。だって、試合をちゃんと見られなかったんだもん。)

その後も、この週はずっと体調がイマイチ戻らず。
ブログを更新したり、FFXIIを少しずつやったりの、だらだらした毎日でした・・・。

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2006年3月25日 (土)

3/14~3/20までのこと

最近また新たな風邪を娘・まおたんからもらってしまったようで、またまた風邪気味なワタクシ。
まおたんが保育園に通うようになってから風邪ひきっぱなし親子です。

。。。。。。。。。。。

3/14(火)

治療の翌日はいつも、急に立ち上がるとめまいがするし、動いたときの息切れがある。
やっぱり副作用?

血液検査の結果では、ヘモグロビンはもう12くらいあるのにね(  ̄_ ̄)・・・?

3/15(水)・16(木)・17(金)

二週間以上遅れて、やっと生理が来た。
もう来ないかと思った・・・。
看護師さんも、抗がん剤をやっていると、止まることも多いと言っていたし。
来月はどうなるかな~。

それから、
私が使っている抗がん剤で、よくある副作用として口内炎がある。
今まで大丈夫だったのに、初めてできちゃったよ・・・口内炎。

副作用も、何回もやっていると色々違うのねん( ̄◇ ̄)

この日の夜、まおたんが調子悪くなり、翌日の朝には熱も出て嘔吐までしてしまった。
しかたないので、2日間保育園はお休み。
とはいえ、まおたんは遊ぼうとする元気はあるので、
つきあわされるこちらが疲れた・・・(;´ρ`) グッタリ

保育園のありがたみを再認識。

3/18(土)

まおたんの保育園グッズで、年度替りのため、新たに作らなくてはならなくなったブツ、
パジャマ入れ

_048_1

を縫った。
巾着袋なので、前に作った通園袋よりはかなりラクだったけど。

 

あと、もうすぐ体操着も使うようになるので、それにも名前を付けないといけないらしい。

3/19(日)

夫の祖父母の墓参り→代官山のカフェ・ミケランジェロで早めのランチ→NHKホールの「がん患者大集会」

代官山のカフェの前は、かっこいい外人さんとかおしゃれな犬連れの人がたくさん前を通る。

隣のテーブルも、黒いおりこうなラブラドール・レトリーバーを連れた男性がいた。
わんこはテーブルの下におとなしく伏せていて、私が顔を見たら、しっぽだけ振ってくれた。

かわいすぎ(*^▽^*)

しかし、フォカッチャサンドと紅茶だけで、一人1400円くらいしたかな。
(たけーよ( ̄■ ̄;)!!・・・)

でも、久々に「都心ぽさ♪」を味わえて満足。

NHKホールには開場前に着いたけど、すでにすごい人数が並んでいた。
でも、まあまあ見やすい一階席に座れた。

(この日のレポートは、当日アップしておりますので、そちらでご覧下さい。)

パネルディスカッションは、あまりディスカッションになってないところも見受けられたり。
講演する人のパワーポイントとかで作ったスライドが、字が小さすぎて読めなかったり。
(マッキンゼーにいたはずの人までも、読めないスライドを作るとは?)

細かく言えば、そういった改善して欲しい点もあったけど、たくさんのボランティアさんが中心になって準備してくださった大集会。

あそこまでやっていただければ、大拍手です (o^-')b

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2006年3月24日 (金)

内科と外科

なんとブログ始めて一ヶ月で、累計20,000アクセス突破しました!!<(_ _*)> アリガトォ
(すいません、相変わらずアクセスカウンター出してませんが・・・。)

「がん」という病気や医療について、関心を持っている方の多さを感じます。
これからも、ブログの更新はできる限り続けていきますので、よろしくお願いしまっす!!

。。。。。。。。。。。。。。。。

3/13(月)は、また治療日

しかし、私は風邪気味だった・・・。

朝の採血は、二ヶ所刺された。一番大事な血管、すでに硬くなってるのに余分に刺さないで~。
(と、胸のうちでひそかに思う( -_-)・・・)

この日は胃カメラの予約を取っていたので、イヤイヤながらも内視鏡検査室へ。
しばらく待って、控え室に通された。

そこで、看護師さんが体温や血圧を測り、胃の泡を消すマズイ薬を飲まされる。

そんなことをしていたら、そこへツカツカと医師が入ってきた。
消化器内科の病棟で見たことないし、白衣の感じからして、おそらく消化器外科の先生か??

その医師は、控え室にいた看護師さん二人をつかまえて、大声ではないものの、激しい調子で何か注意しはじめた。

医療ミスにつながりかねないミスならば、しっかり注意することは、そりゃ必要だろう。

しかし、なんだかすっごくヒステリックな感じなのだ・・・(・Д・)

そして、言い終わると、ボールペンを力いっぱい

バシィィーーーーッッ!!!!!

と、床に投げつけて去っていった・・・・。

私の目の前で起こったことに、∑( ̄[] ̄;)!コエーッ!! とびっくり。

他の患者の前で、ああいうことするのって、どうなの??

あれでは、看護師さんも反省ではなく反発するだけなのでは?
(じっさい、看護師さんは「どーしろっていうのよ!」と小声でぶつぶつ言いながら、ボールペンを拾っていた)

その少しあと、また私のもとへ戻ってきた看護師さんに、

「私、風邪気味なんですけど大丈夫ですかね?」

とたずねると、看護師さんは先生にきいてきます、と奥へ。

すると、主治医のK先生がすぐに来てくれて

「風邪ひいちゃった?のど痛いの?そっかー。

だったら、今日やめて今度にしよう。ね。体調のいいときにしよう。

点滴はできそう?なら、お腹すいただろうから、まず、ごはん食べてきて。

それから、いつものお部屋に行って待ってて。」

と、優しいお父さんのように言ってくれた (ノω・、) ウゥ・・・
(といっても、K先生は私と年齢はそう変わらないと思うけど・・・・)

きっと、もう内視鏡検査の準備は始めていただろうに、優しいな~。

私の主治医が、さっきの先生じゃなくて、ほんとによかった!

娘・まおたんがするように「だいすき!ムギュー」とK先生に抱きつきたくなったが、逆セクハラで訴えられてもナンなので、やめておいた。

弟(医師)と義妹(看護師)にこの話をしたら、二人とも口をそろえて、

「あー。外科医って、そういう人多いよ。もちろん、中にはいい人もいるけど。」

とのこと。やっぱり、

外科医=財前キャラ

内科医=里見キャラ (by『白い巨塔』)

なのか??ときいてみたら、

さすがに里見先生は美化しすぎ!!だそうだが、わりとそういう傾向はあるかも・・・と言っていた。。。

その後、サンドイッチを食堂で食べてから、いつもの点滴をして帰ったのだった。

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2006年3月22日 (水)

ひなまつり→治療

今日は、かなり体調復活しました!!

副作用、ないといいんだけどね~。

。。。。。。。。。。。。。。。。

今年のひな祭りは、イベントっぽいことは保育園でやってもらえるので、ウチでは雛人形を飾った以外は何もせず・・・。ちらし寿司も、保育園の給食で出るのだ。

ブログは始めてみたら、けっこうたくさんの人に読んでもらえているようで、コメントで励ましていただけたり・・・。

病気療養中でもできる、新しい趣味を見つけた!!

という感じ。もっと早く始めればよかったわ~。

3/4は、夫・ぱぱっちのバースデーヾ(@^▽^@)ノ

誕生日プレゼントとしてiPodが欲しいというので、「いいよ~」と言ったら、すぐに近所のヤマ○電機に行って自分で買ってきたぱぱっち。

ついでに、ハンドミキサーやフードプロセッサーなどとして使えるグッズを買ってきた。

これで、私のためにポタージュスープを作ったり、まおたんが喜びそうなケーキなどを作ってくれるつもりらしい。

優しいな~ぱぱっちってばー ( ̄∇ ̄*) !!

夜、近所のおいしいイタリアンレストランでお食事。(写真は、3/5の記事にのっけてあります♪)
みんな大満足の、いいお誕生日でした☆

6月は私、7月はまおたんの誕生日がある。

そのときも、ちゃんと元気で祝いたいものだ。

翌日ぱぱっちは、さっそく苺のショートケーキを作ってくれた。
初めてなので、少し固めだったけど、おいしかったよ~。

3/6(月)は、またまた治療日

採血室が超すいていて、しかも一発で血がとれた!わーいヽ(*^∇^)ノ

その後売店でおにぎりとパンを買い、いつもの外来科学療法室へ。

ベッドで点滴前にパンをかじっていたら、隣のベッドに来たおばさまに、

「ここで何か食べてもいいんですか?」

とたずねられた。退院後、初めての外来治療らしい。

「ここは飲食自由ですよ。私は抗がん剤入れると食欲がなくなるので、その前に食べちゃってるんです。」

と答えた。

おばさまは悲しそうに、肺がんで手術し、抗がん剤はやってもやらなくてもいいと言われたが、再発が怖いのでタキソールを点滴してもらうことにしたのだ、と言う。髪も抜け始めたそうだ。

「でも、治る可能性があるだけいいですよ~。私は胃がんですけど、手術できないところまですすんでて、抗がん剤しかやりようがないんです。もう、治らないって言われてますから」

と、『あのスーパーが安いんですよ』みたいな話をする調子で、パンをかじりながら話している自分に、ちょっとびっくりした。

その後、先生方がいらっしゃり、イケメン研修医さんに会えてうれしい気分になっていたところ、K先生から

「今度胃カメラやろうと思うんだけど、来週と再来週、どっちがいい?」

ときかれてしまった・・・・( ̄ロ ̄lll)。

どっちもイヤに決まってるが、イヤなことは早く終わらせたいので、来週にしてもらった。

「あの胃カメラ前に、のどにためる麻酔がマズイんですよねぇー」

と言ったら、研修医さんがサワヤカに笑ってくれた。

よし ( ̄ー ̄)!!

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2006年3月21日 (火)

ブログを始めた日→治療

昨日は、ワタクシ史上最強の副作用でございました(汗)

ちょっとでも動いたらHAKUかも!!という感じだったので、ただベッドの上で寝返りも打たずにじっとしておりました。

先週はラクだったのに。今日もまだ頭痛とかあります・・・(T△T)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2/21(火)、昼間、娘・まおたんが保育園に行くようになり、ヒマができた。
色々な同病の方のブログを見ていたのだが、そのうち、

私もやってみようかな~ (* ̄o ̄)

という気持ちが出てきた。
さっそく、「ココログ」に登録。翌日から何か書き始めることにした。

2/23(木)、体調も天気も良かったので、近所の本屋までお散歩。
病院ランキングの本を、2冊買ってみた。

どちらも、手術件数のデータがほとんどで、今の私にはあまり関係ないけれど、

へぇ~こんなところの病院が、人気なんだ~

とか、見ていて結構面白かった。

帰りに、スーパーで買い物してマンションへ戻ったら、幼稚園バスがちょうど戻ったところで、とてもにぎやかだった。

病気判明前は、そこにいるママたちと同じ世界にいたはずなのに、

今はもう違う世界・・・ p(・・,*)

という気分。そういう微妙な感覚があった。

2/24(金)、ママ友と近所のレストランでランチ会

私以外は、みんな子連れで来ており、子供たちはみんな興奮して大騒ぎ。
入院以来3ヶ月くらい会っていなかった子もいたのだが、みんな成長して、話し言葉も増えていた。

みんなと久しぶりにおしゃべりできて、楽しい時間を過ごせた。

2/25(土)、多摩動物園へ。

まおたんは、途中、「アイスが食べたい」とか「おんぶして~」とか、ぐずって大変だった。
でも、平和なファミリーの週末・・・・って感じで、うれしかった(*^▽^*)

2/27(月)、また治療日

採血が不安だったのだが、採血室で一番上手なベテランのおじさんに当たった。ラッキー!!!

血管が細すぎていつも嫌がられる、左腕からうまく一発で採血してくれた。

そのあと、医療相談室へ行き、去年の年末に私たちの相談に乗ってくれたOさんに会い、まおたんが無事保育園に入れて、楽しく通っていることを報告した。とても喜んでくれた。

外来化学療法室に行ってベッドで待っていると、やってきたK先生が、血液検査の結果、骨の異常をあらわすALPがすごく下がっていたと笑顔で話してくれた。

私もうれしくなった (/^▽^)/

しかし、帰ってからすっごく気持ち悪く、今にもHAKIそうだったので、家に帰ってずーっと眠ることにした。

あーつらかった・・・ (  ̄_ ̄)

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2006年3月19日 (日)

がん患者大集会

行ってきましたよ!がん患者大集会!!

今日は、いつもの話は抜きで、思ったことなどを・・・。
ちゃんとメモを取っていたわけではないので、ニュアンス的に違うところもあるかもしれません・・・。そしたらごめんなさいヾ(^-^;)

癌研有明病院の武藤院長が、講演でお話されていた内容ですが。
NHKスペシャルなどでも紹介されていましたが、チーム医療など患者が望むシステムがしっかりしているんですよね。

「こういう病院にかかりたい・・・・(*゚ー゚*)」という気持ちになってしまいました。
実際は自宅から遠いですし、(院長も心配されていましたが)こういうところで紹介されると、病院の電話回線が間に合わないほど問い合わせ電話が殺到するそうですから、おそらく行くことはないでしょうけれど。

患者が「ここにかかりたい」と思う。
そういう病院が、あまりにも少ないのが問題なんですよね(-_-)

次にお話をなさった、患者会(支えあう会「α」)の代表をしていらっしゃる土橋さんのお話も、がん体験者の話として、とても迫力がありました。

第2部のパネルディスカッションも、なかなか面白かったです。

北海道がんセンターの西尾先生のお話のなかで、

がん治療に関する一般論はインターネットや本でも調べられるけれど、
結局、がん患者が知りたいのは「自分にとってはどんな治療がベストなのか」ということだ。

というようなことをおっしゃっていましたが、本当にそうだと思います。

私のこの状況、病状の場合、どうするのが一番いいのか?

ということが、患者なら誰でも知りたいですよね。それを相談できる相手・場所というのが、なかなかない。

壇上にあがっていらっしゃいませんでしたが、マイクを向けられてお話された癌研有明病院緩和ケア科の向山先生がおっしゃっていたことには、「その通り!」と感じることが多かったです。

たとえば・・
緩和ケアに関しての知識を、抗がん剤治療を担当する腫瘍内科医もきちんと身につけ、並行して適切な緩和ケアを行えるようにするべきではないか。

私も、そういう緩和ケアを望んでいます。

鳥越俊太郎さんもパネラーでいらっしゃいました。
鳥越さんが、「かかりつけ医と手術をしてくれた先生とで、抗がん剤をやるべきかどうかについて、言うことが違って困った」とおっしゃっていました。

同じ患者に対しても、何を専門にしている医師かによって、言うことは違ってきたりするようです。

その中で、どの先生のどの意見を自分が選ぶのがベストなのか?

患者は、こういう悩みも持っています。

やはり、こういうときに医師同士で意見を出し合い、治療方針をまとめてくれる「チーム医療」は、とても良いと思います。
患者が、いくつもの病院やいくつもの診療科で受診することは大変です。そうしなくても、何人もの医師の意見をつきあわせ、どれがベストか検討してもらえる。

いいですよね~o( ̄▽ ̄o)

がん医療には、色々な問題点があります。

政策・制度上の問題から改善しなければいけないことも多いと思います。
こういうふうに患者の意見を取り上げての大会というのは、有意義だと思いました。

。。。。。。。。。。。。。。

今日は、疲れましたし、明日はまた治療日なので、更新できないと思います。

また、火曜日には更新しますのでヨロシクです (⌒∇⌒)ノ""

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2006年3月18日 (土)

治療一回休み

今日は、とりあえず家でゆっくりしてます。

明日は、今のところ夫の祖父母のお墓参り→「第2回がん患者大集会」へ参加予定なのです。

なんか疲れそうな気もするのですが、疲れたら早めに帰って寝まーす。

。。。。。。。。。。。。。。

前日に採血したエリアは、おもいっきり内出血し、紫色になってしまった・・・・。
腕で採れなくなると、手の甲や足から採るという。
看護師さんいわく、それがどっちも痛いんだそうだ。 (T-T*)フフフ…

腕の血管、早く復活して~~ ヽ(  ̄д ̄;)ノ

2/17(金)は、保育園で作品があった。
夫・ぱぱっちと一緒にお迎えがてら、見てきた。とても寒い日だった。
まだ入ったばかりなのに、娘・まおたんの作品も、ちゃんと展示してあった!
(作品のうち、「フォトフレーム」の写真を、プロフィールのところにのせています)
0歳児や1歳児の作品もあり、どれもしっかりアートになっていた。
とってもかわいかった♪

2/18(土)、友達の一人が電話をくれた。
ちょっと心配な症状があったので、婦人科に検査に行ったらしいのだが、そこの医者が、

「出産の予定がないなら、もし子宮取ることになっても平気でしょ?」

みたいな、激しくデリカシーに欠ける発言をしたらしい。
その友達は、まだ独身だけど、これから結婚・出産だってまだまだありえる年齢なのに。

ひどすぎるぞ (-゛-メ)

私のほうも治療のグチをしばらく話し、スッキリした。

2/20(月)、治療日・・・・なのだが、のどが痛くて、目も真っ赤に充血。全身だるくて、

完全に風邪!!

という状態。

外来化学療法室に、電話して相談してみた。看護師さんが、U先生に確認して、折り返し電話をくれた。

「一回くらい休んでもいい。来週また来てください」

とのこと。

毎週行くのが少し辛かったので、今回休ませてもらった。
ぱぱっちも心配して会社を休んでくれて、おいしい「おじや」を作ってくれたり。

とても助かった。。。( ̄▽ ̄=)

がんがきっかけになって、離婚する夫婦もけっこういるらしい。
こんな時こそ、助けが必要なのに・・・・。
その点、ウチはそんなことを言い出す夫でなくて、本当によかった!!!
ぱぱっちに、迷惑だけをかけることのないよう、なるべく自分でできることは自分でしよう。

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2006年3月17日 (金)

お墓参り→治療

娘・まおたんは今日も保育園お休みです。

でも元気になってきました。よかったけど、遊び相手になるのが大変~。

今、お昼寝中にブログ書いてます。

。。。。。。。。。。。。。。

まおたんが保育園初登園の翌日くらいに、外来を受けたうちの一つのホスピスから、

「ベッドに空きが出ましたが、治療は続いていますか?」

と電話をいただいた。
そこは、入るとしたらここが第一志望かも・・・・と自分では思っている病院だった。でも。

まだ、抗がん剤治療中だ。今のところ効いているし。

せっかくお電話をいただいたが、その旨を話し、今回はまだいいです、と答えた。
今のがしても、入りたくなったときに入れるかなぁ?

まおたんは、保育園の慣らし保育は、時間が短すぎて不満な様子。
お友達も、「えー、もう帰っちゃうの?」と残念がってくれるらしい。
保育園の子は、集団生活に慣れていて協調性があり、とても優しいのだ。

2/11(土)は、私の父親の命日。

ウチの家族と、母と、弟夫婦で墓参りをした。みんなで、線香とお花を供え、手を合わせてきた。
まおたんは、このころ反抗期で、「あいさつ系」のことは、なかなかしなかったのだが、この日も、手を合わさず、固まってみんなの姿を見ていた。

一日でも長く元気な日を過ごせるよう、

私を守ってください!( ̄人 ̄)

とお願いしてきた。父は、聞いてくれたかな?

父は、まだ38歳だったとき、肺がんでなくなった。
そのとき、私は8歳、弟は5歳だった。
入院中の父に付き添い、そして残された母は、本当に大変だったと思う。

私は、その父よりも早く、「がん」という病気、そして「人生の終わり」というものに直面しなければならなくなってしまった。

もしかして、その「がん」になる運命を持ってしか、私という人間は、この世に生まれられなかったのかもしれない。
そんなのはツライけれど、生まれてきたからこそ、今までの楽しい人生があったわけで。

どっちにしても、やっぱり、生まれてきてよかった ('-'*)

墓参りのあと、近くの豆腐料理屋でみんなでお食事。ここの料理はおいしい。
まおたんも、かぼちゃや湯葉の天ぷらを、喜んで食べた。
普段食べない豆腐の田楽まで、2本も食べた。

ちなみに、この日から、トリノオリンピックが始まったのだった。

2/13(月)は、また治療日

この日、産婦人科のN先生から、「ホルモン値が下がったから、もう来なくてもいいよ」と、やっと言ってもらえた。

その後行った採血が大変だった。

4人もの人がかわりばんこに出てきて、それぞれが、かなり時間をかけて血管をさがし、計4回刺されてやっと終了。
刺してからもグリグリとさぐられたり・・・・。(もっと刺される人もいるだろうけど・・・。)

痛いっちゅーの!!o(-_-#"))

やはり、いつも採血に使っている血管が、かなり硬くなり、採血しにくくなっているらしい。
今後も毎週採血するのに、どうするんだろう?

採血がやっと終わったのが10時過ぎ。げんなりしながらも、急いで化学療法室へ。
もう部屋はほとんど満床だった。

11時ごろ、K先生とU先生が、腫瘍マーカーのデータを持ってきてくれた。

すごく下がってる!!よかった~。ヽ(^◇^*)/ ワーイ

このとき、隣のベッドの患者さんのところに、入院時お世話になった研修医のE先生がちょうどやってきていて、あとで私に話しかけてくれた。

「聞こえたけど、マーカー下がったんですってね。よかったですね!(*^▽^*)」

と、とても喜んでくれた。E先生は、今は外科にいるそうだ。

気持ち悪くても、これでがん細胞が減ってくれてるなら、がんばろう~っと。

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2006年3月16日 (木)

保育園準備→治療

昨夜から、娘・まおたんが珍しく熱出しちゃいました。

今日は、大好きな保育園もお休みです・・・。

。。。。。。。。。。。。。。。

1/31(火)10:00ごろ、夫・ぱぱっちと二人で保育園へ行き、説明を聞いてきた。書類の山を渡され、翌週から通園することになった。
布団カバー(掛敷各二枚)と、通園バッグは・・・

どうしても手作りしないといけないようだ (-_-)ウーム

中を見学後、近所の大型スーパーで、あわててミシンと、手作り品の材料を買い、ランチを食べて帰宅。

家に帰って、夕方まおたんを義父母の家に迎えに行くまでの間に、ミシンを出して少しずつ作業を始めた。
縫い物なんて、高校時代以来かも。

2/3(金)に、ぱぱっちとまおたんが、幼稚園未就園児クラスに行って節分の豆まきをし、「保育園が決まりました。お世話になりました。」と、ごあいさつ。

私は、その間に自宅でチョ~急いで通園バッグを縫い上げた。

ちゃんと裏地もつけ、マチもつけて、卒園するまで使えるように、丈夫に仕上げたつもりだ。

2/4(土)に、再びまおたんを義父母に預け、今度は夫婦二人で布団カバー作り。
半日かかって、やっと1セットできた。簡単そうに見えるのだが、マジックテープをたくさん付けたり、名前を縫い付けたりもあって、意外に時間がかかるのである。

夕食は外食し、帰ってからもミシンの作業を楽しく続けた。

なんだか文化祭の準備みたいだね (* ̄∇ ̄*)

と二人で話しながら。

そして、翌日の日曜日、布団カバー2セット目も完成!!

まおたんの入園準備品を、自分たちで作れたことは、とてもうれしかった。
病気が進行したら、こんな当たり前のことが、できなくなっていくのだろう。

だからこそ、今の幸せを大事にしたい。

翌日、2/6(月)は、まおたん初登園。私は治療日

今日は点滴中からずっと、いつもより吐き気がひどくて、吐き気止めのナゼアを飲んでも治らなかった。
副作用の出方って、毎回違うようだ。

抗がん剤点滴は、

今月来月と休みナシで毎週やるらしい・・・(´Д`|||)

「とりあえず、yue少納言さんの体が耐えられる量で、確実にきいているから。」

とのこと。ちょっと辛いけど、効いてる間は、がんばるしかない。

帰りに薬局の薬剤師さんに「この治療はいつまでやるんですか」ときかれ、

「ずーーっとです。今月も来月も毎週だし」と言ったら、

「大変ですね・・・・」と同情のまなざしで言われた。

うん。大変だよ ||(-_-;)||||

保育園のまおたんは、同じマンションの友達がひとりクラスにいたこともあり、すんなりぱぱっちとバイバイしたそうだ。
慣らし保育なので早く迎えにいったときも、「やだ~まだ遊ぶー」とゴネたそうで、楽しかったらしい。気に入ってくれてよかった!

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2006年3月15日 (水)

温泉→治療!

今日もいまいちダルさが抜けませんが、食欲は復活!
食べないと元気出ませんもんね。

娘・まおたんも、今日の保育園のおやつが

朝/みかん・三時/くずもち・夜/ジャム蒸しパン

だと知ると、張りきって出かけていきました ( @^-)_○

。。。。。。。。。。。。。

元気になってきたら、どこかに行きたくなった。ネットで調べたら、1月~2月中旬までの土日、河口湖で花火をやっているらしい。

花火見た~い (/^▽^)/ !!

河口湖なら車で1時間程度。1/28(土)泊で、花火が見える温泉宿を予約し、れっつごー!!

朝11:30頃家を出て、昼食をほうとう不動で。ほうとうと馬刺しをいただく。うまい!
ほうとうが、こんなにおいしいと思ったのは初めて♪

この店の、ちょうど道の向かい側にある宿で、大学時代は毎年バンド合宿をしていた。
社会人になってからも、友達同士でここでのバンド合宿を企画し、付き合う前のぱぱっちと一緒になったこともある。(そのときは、お互い全然関心がなかったが。)

河口湖は、そういう思い出の場所でもあるのだった。

チェックインの14:00頃宿(湖山亭うぶや)へ。最高のロケーションで、富士山と河口湖が美しく見える。温泉でのんびりしてから、食事をたっぷり食べた。

もちろん、お目当ての花火もばっちり!!きれ~・・・(* ̄。 ̄*) 

こういう時間が持てて、いい思い出が一つ増えたことが、うれしかった。

翌日ももう一度温泉に入り、売店でお土産を買ってチェックアウト。河口湖を見に行ってみると、氷が張っていた。まおたんは、周りを走ったり、氷の上にちょっと乗ってみたりして、とても楽しそうにしていた (^▽^)

帰りは相模湖I.C.で降り、以前一度行っておいしかった、津久井のピザ屋さんドリームファームへ。ここは、めっちゃうまいので、いつも混んでます。

しかし翌日(1/30)は、また治療日・・・。

いつものコースで。産婦人科も、あと何回か行かないといけないらしい。
血液検査の結果(ALPが3000台から2300台に、さらに下がっていた)を見ると、とりあえず今の抗がん剤が効いていることは確かなようで、本当によかった。

この日はU先生だけが来て、「貧血だけが心配だけど、ひどくなったら輸血しますから」ということだった。

ずっと効いてくれるといいのになぁ・・・m( ̄0  ̄〃)

この日、市役所から急に「2月から保育園の空きが出たので入れます」と連絡があったそうだ!
ぱぱっちが電話で園長さんと話し、翌日、園に行って準備などの説明を聞くことにした。

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2006年3月14日 (火)

ホスピス外来へ・3

きのうの胃カメラは、風邪のためのどが腫れていて、延期になりました。

ええ、中止ではなく「延期」です・・・・。

また今度、再来週あたりです・・・・。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。

1/21(土)、先週電話をくれた後輩二人+ギターの子のダンナさん(夫・ぱぱっちと同じバンドサークルの人で、ぱぱっちの友達)が雪の中、わざわざ遊びに来てくれた。

ほとんど、後輩二人は、娘・まおたんにつかまりっぱなしであった・・・。

こうやって、「普通に」遊びに来てくれる友達は、ありがたい(*^-゚)v

1/23(月)、通院日。

8:30採血→9:00産婦人科→採尿→9:30化学療法室

採血結果で、骨の異常を表す値(ALP)が、6000台から3000台へと下がったそうで(それでも基準値の10倍以上だけどさ)、主治医のK先生とU先生の表情も、心なしか明るかった。

抗がん剤が効いているなら、それはうれしいことだ ヽ(‘ ∇‘ )ノ

この日は、会計と薬局で、いつもほど待たされずに済んだので、15:10のホスピス外来予約にギリギリ間に合うかも・・・と思い、急いで電車で向かった。

この日にぱぱっちが予約していたのは、本などでも有名な、某ホスピスである。

本当にギリギリで、なんとか間に合った( -.-) =зホッ

診察室に入ると、先生と婦長さんが、中で待っていた。

痛みのケア以外に、どんな治療ができるかたずねたら、

出血した場合、内服の止血剤を出したり、必要なら輸血もできるという。
ただし、どんどん出血して止まらないような時は、輸血をしたほうがツライ症状につながるので、しないそうだ。

食べられなくなったときの栄養点滴は、それをすることで、大きくなっているがん細胞をさらに大きくしてしまい、より苦しくなることも多いので、あまりやらないということだった。

先生は、なかなかわかりやすく、話をしてくださった。
前回・前々回に行ったホスピスの先生と比べると、話し方は、わりとクールかも?

その後、ホスピス病棟内を見学させていただく。

病室は満室で、見ることができなかったが、雰囲気はよくわかった。
ボランティアさんがたくさんいるところが、最初に外来へ行ったホスピスに似ている。

でも、雰囲気的に、違ったところがある。

ここでは、廊下やサロンなどで、ひとりも患者さんにすれ違わなかったのだ。
(ご家族の方は見かけたけど)

ボランティアの方も親切だったし、内部もきれいで、設備もよかったが、ここに入院することは、かなり難しいような気がした。

病状の厳しい人から、審査のうえ、入院できる。かつ、ここは大人気ホスピスだ。
        ↓
たまたま空いているときでない限り、よほど病状が進行しないと入れない可能性が高いのでは?

と思ったからだった。(実際はどうかわからないけど)

ここから、ウチまで車で1時間。
副作用もあり、すっかり気持ち悪くなってしまった・・・。

やっぱり、点滴した日は、あまり無理しないほうがいいかも。

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2006年3月13日 (月)

ホスピス外来へ・2

ていうかさー、信じられなくない?

採血→胃カメラ→いつもの抗がん剤点滴

ってさー、ありえなくない??

フツーさー、どっちかだけじゃないのぉ(-_-メ)???

・・・と心の中で悪態つきながら、今日も病院へ向かうワタクシでございます。

今日イケメン研修医がいなかったら、暴れるかもしれません・・・・。

!☆(゜o゚(○=(-_-;


。。。。。。。。。。。。

1/16は、月曜日。抗がん剤治療の日。

8:30に採血後、産婦人科へ行き、そこで指示されてまた採血室へ戻って採尿、それからやっと化学療法室へ。

この日は、同じ部屋にいたのが全員女性だった。若いひとも2人いた。

そのうちの一人の方に、いつもここでのお昼ご飯はどうしているか(食べ物の心配ばっかりだな)聞いたら、

「いつもサンドイッチとか菓子パンとか持ってくるわよ」

と言っていた。向かいのベッドのおばあちゃんも、おにぎりを食べていた。
なら、私もやっぱり遠慮なく食べようっと。

この日は、幸い、副作用が軽かった(^◇^*)/

この日の点滴・会計・薬局のあと、バス・電車・タクシーを乗り継ぎ、

ウチから最も近い某ホスピスへ。

私が無理そうなら、夫だけで外来を受ける予定だったが、前の外来の人が長引いていたので、十分間に合った。(順番が来たのは予約より1時間遅れ)

ここも、一つ目に見に行ったところと同じように、

ホテル風!! 

こちらは、内装・外装ともに

ゴ~~ジャス!!!w( ̄△ ̄;)w

ソファーで待っている間に、一ヶ月前に夫・ぱぱっちがこのホスピスに見学に来たとき会ったという、女性に会った。
今はここに、ご主人が入院しているというので、少しお話をうかがった。

この方のご主人は、骨転移で骨折したことから、がんであることがわかったという。

ご主人は、まず整形外科にかかったそうで、がんの原発がどこかも判明しないうちに、急に症状が悪化してしまったそうだ。
整形外科の病棟で、適切ではない痛み止めの処置を受けたため、幻覚症状が出てベッドに縛りつけられ、「余命一週間」などと言われていたらしい。

それが、このホスピスに入れてから、かなり楽になり、

笑顔と意欲もわいてきたそうだ(^▽^)/

車椅子で散歩に行ったり、ベッドで起きて新聞を読んだりできるようになったと、笑顔で話してくれた。

ぱぱっちが一ヶ月前に会ったときは、憔悴しきって、祈るような目で、病院の方に「ここに入院させて欲しい」と訴えていらしたというのだが、その面影はもうなかった。

この日、お話をした医師の方も、非常に丁寧に私たちの話を聞いてくださる先生だった。

部屋も十分な広さがあるし、事前にホームページなどを見て想像していたよりも、全体的に良い印象を持った。

しかし、ベッド数が少ないので混んでいる。
やはり、他にもいくつか外来を受けるべきだろう、と思った。

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2006年3月12日 (日)

友達に告白

今日は、ワタクシ風邪気味です。娘・まおたんが、保育園からいろんな風邪を持って帰ってくるんですよね |;-_-|=3 フゥ

明日通院日なので、治さないと。明日、とうとう胃カメラだよ・・・・。

そんな私たちのために、夫・ぱぱっちがケーキを作ってくれました!!

Photo もともと料理は上手ですが、最近ハンドミキサーを買ったことをきっかけに、甘いもの苦手なぱぱっちが、ケーキも作ってくれるようになりました。( ̄∇ ̄ノノ"パチパチパチ!!

 おいしかった!!

 。。。。。。。。。。。。。。

1/14(土)。
私が病気のことをメールでつたえた友達二人と、その友達がさらにもう一人さそってくれたので、

3人の友達が、はるばる遠い我が家に遊びに来てくれた(*^▽^*)

私が、「花の女子大生」だったころ、学内の女の子しかいない、(一見不毛な)インストバンドサークルに入っていた。
そこで一緒にバンドをやっていた、同期のギターとドラムとベースの友達だ。
ちなみに、私は当時キーボードを担当していたのだけれど、みんな練習もそこそこに、おしゃべりばかりしていたものだ。

みんなと会うのは、1年ぶりだったり、3年ぶりだったりしたけど、まったくそんな気がしないのが、昔の友達のいいところ!

まおたんは、3人の「おねえさん(ツッコミ不要)」が遊びに来てくれたのがうれしかったらしく、誰かをつかまえては、ままごとの相手をさせていた。

みんなとたくさんおしゃべりして、とても楽しかった!

みんな、私の告白メールを見たときは、たくさん泣いてくれたらしいけど、私の前では今までと変わらない明るさで、接してくれた。 (T△T)アリガトウ・・・

このことで、友達に病気のことを伝えるのは、相手を選べばよいことだと思ったので、他の友達にも少しずつ伝えていこうと決めたのだった。

翌日1/15(日)、ぱぱっちはTOEICを受けに行ってしまった。

この日、社会人になってからも一緒にバンドをやっていた、サークルの後輩二人(ギターとベース)にも、メールをした。

メールを送ってわりとすぐ、ギターの子から電話があった。

「センパイ、来週あたり遊びに行きますから!!!!」

と、もう二人で連絡を取り合ってくれたらしく、さっそく彼女たちも遊びに来てくれることになった。

私は自分の結婚式のとき、どうしても「ドレスでドラムを叩く」というのがやりたかったのだが(ツッコミ不要)、そのときも一緒にバンドをやってくれた仲間だ。

私のウチに遊びに来てもらうのは、なんと7年ぶりくらいだ( ̄▽ ̄;)

友達っていいなぁ・・・と思った週末でした。

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2006年3月11日 (土)

抗がん剤治療・4

いやー。今、アクセスの累計を見てびっくり!!(アクセスカウンター出してないのでみなさんからは見えないんですが・・・。)

まだ一ヶ月も経っていないのに、12,000越え!!(ノ´▽`)ノ

たくさんの方に読んでいただけていると思うと、ちょっとうれしいです。
これからも、どーぞよろしくでございますm(_ _)m

。。。。。。。。。。。。

楽しいお正月休みが終わり、1/10には

初めての!!!
   ・
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アコム 外来化学療法・・・・・・・・・・(ノ_-;)ハア…

昨年末まで入院していた病棟とは、別の病棟(ちと古い)に、「外来化学療法室」はある。

まず、熱帯魚の水槽が並ぶ待合室があり、右手にナースステーション。
その先へ進むと、6床部屋が2部屋用意されていた。
(混んでる日はもう一部屋開けてくれる)

まず、その待合室で看護師さんに血圧や熱などを測られ、体調をきかれる。

ふだんは早い者勝ちでベッドの位置を選べるそうだが、この日は連休明けで混んでいたため、ベッドを指定された。
とりあえず、そのベッドで待つ。

この日だけは、先に採血をしなくてもいいと言われていたから、10時頃スムーズに点滴を始めてもらえたが、採血室の混雑ぶりを見ると、来週からは早めに来ないといけなそうだ。

研修医のT先生が点滴を刺してくれて、しばらくしてからU先生も様子を見に来てくれた。

点滴をしていると時間がかかるので、お昼をまたぐのだが、

お昼ごはんはどうしたらよいのか( ̄ー ̄?).....??

という問題に気づく。
入院中は、食事は自動的に出てきたものだけど、外来だしな~??
一応、バッグにウィダーインゼリーを持っていたので、それを途中で胃になんとか流し込んだ。
周りの人をさりげなく見ていたが、みんなけっこう寝息を立てて眠っていて、あんまり食べている様子はなかった。

あとで看護師さんに聞いたら、外来化学療法室では、飲食自由だそうだ。
おにぎりとかを持ってきてベッドで食べている人もいるらしい。
お腹が空いていると、余計に気持ち悪くなる気がするので、次からは食べ物を持ってこよう。

15:30過ぎに夫・ぱぱっちが迎えに来てくれたが、

会計と薬局で、またチョ~待たされた(あわせて1時間ちょっと)・・・(ー。ー)フゥ

これが、外来のツライところかも・・・。

この日は、一週休んだおかげか(?)副作用も軽く、家に帰ってから

そうめん(薬味ナシ)・たまご豆腐・めかぶ

という、冷たくてあまりニオイのしない夕食なら、食べることができた。
舌がしびれていて、自分がひじょーに薬クサイため、あんまりおいしく感じることはできないけど・・・・(TωT)

翌日も、体調はわりと良く、まおたんをマンション内英会話サークルに連れて行くことができた。
久しぶりに近所のママ友に会えて、うれしかった (^▽^)/
家で寝ているより、気がまぎれてよかったかもしれない。

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2006年3月10日 (金)

お正月、つづき

今日、某病院のホスピス科の外来受診をしてきました。(o^∇^o)

ソーシャルワーカーのYさんが、明るく親切な方で、色々話を聞いてくださいました。
私の現在の元気っぷりと、紹介状の記述内容とのギャップに、最初ちょっと戸惑っている感じはありましたが。

他のホスピスも見て回っていることを正直に話したのですが、そこの医師の方は、

「そうやって、元気なうちにいくつか見て、その中でいいと思うところをご自分で選ばれるのがいいと思いますよ。そのほうがご家族にとってもいいと思います。」

とおっしゃっていました。
どこのホスピスに行っても、その点は先生方、同じようなことをおっしゃいます。

治療に関しては、聞いてみると、病院によってできる範囲、やろうとしてくれる範囲は結構違うようです。
面会時間も、部屋の雰囲気、食事内容なども、もちろん違います。
それに、どこの病院も、希望してすぐに入れるほど空いているところはなかった!
もし、ホスピスを考えていらっしゃる方は、可能なら、いくつか見学されておくといいと思いますよ。

今日のところは、家からは1時間かかってしまうので、ちょっと遠いのですが、好印象でした。

。。。。。。。。。。。

2006年に入って、1/4が初めての通院だった。

車が空いていてすぐ着いたし、産婦人科の診察は、わざわざ来たのに一瞬で終わってしまった。あと、とりあえず採尿だけして提出し、おしまい。

しかし。そのあとの会計が大・大混雑!! w( ̄▽ ̄;)wヒエー

そんなところにいたら、いかにも風邪がうつりそうなので、マスクで防御だ!

その帰りに、文具も売っている本屋により、本と、レターセットを買った。
そのレターセットには、娘・まおたんへの手紙を書こうと思ったのだ。

これからの、まおたんの誕生日ごとに一通ずつ、20歳までの分を書いて、夫・ぱぱっちに託そうと考えていた。
三歳のまおたんへ、今、言葉で伝えられるのはほんのわずかだけれど、手紙なら、大きくなってからも読んでもらえる。
私のことも、忘れないでいてもらえるだろうと思ったからだ。

とりあえず、4歳の誕生日の分から書き始めたけれど、最初の何通かの手紙は、できれば渡さずに、
直接お祝いしてあげられたらいいなぁ・・と思っている。m(゚▽゚* )

この時点まで、私の病気を知っていたのは家族だけだった。

友達に伝えるかどうか、伝えるなら誰までに伝えるか・・・

けっこう、悩んでいた。
でも、1/5に、大学時代の親友2人に、メールで病気のことを伝えてみようと決心した。

2人は、とてもあたたかい返信をくれて、一週間後くらいにウチに遊びに来てくれることになった。

やっぱり知らせてよかった(;∇;)

1/6には、まおたんを入園させたくて、未就園児クラスに週一で通わせていた幼稚園に、夫婦で事情を話しに行った。

先生方は、事情をよくわかってくださり、「今まで通っていた未就園児クラスに保育園が決まるまで通わせたい」「年少からの入園はキャンセルさせて欲しい」という、私たちのわがままなお願いをすぐに受け入れてくださった。

しかも、「いかなる事情があっても返金しません」と書類に記されていたのに、すでに払っていた入園金も、園長先生と話し合って「特例中の特例ですが」と返してくださることにしてくださった。治療費がけっこうかかっていた私たちには、本当にありがたいお心遣いだった。

1/8の日曜日には、私の実家に、私の病気を知った父方の親戚が4人来てくれるというので、家族で行ってきた。弟夫婦も来ていた。

みんな心配してくださって、お花やお見舞金までいただいてしまった。

うっかりと心無い言葉を言わないよう、気を使ってくれているのがよくわかった。
私の父も38歳のとき、肺がんで亡くなっていたので、みんなそのことを思い出しているようだった。

(私も、変なところが父親に似てしまったものだ・・・ )

毎日、感謝感謝の日々でございます

アリガタビーム!!(ノ・_・)‥‥…━━━━━☆ピーー

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2006年3月 9日 (木)

年越し、そしてお正月

最近春らしくなりましたね。気候がいいと、でかけたくなりますね。

まだ行ったことのないところで、行きたいところがいっぱいあります。
近場では、ディズニーシー。でも、娘・まおたんが着ぐるみ大嫌いなので、行きたがりません・・・(-ω-、)

2年前に行ったけど、沖縄にまた行きたいなぁ。ハワイも行ったことないから行きたいし。
(でも、病気のある人は海外旅行保険に入れないんだっけな?行くのは難しいかな)

あと、北海道も行ったことないんですよー。おいしいものがいっぱいありそうだし、行きたいっ!海の幸大好き!!ラーメンも食べたい~ !o(⌒囗⌒)oΨ

。。。。。。。。。。。。

昨年の大晦日。

年賀状は、前日12/30にやっと出した。病院で書く気にはなれなかったし。。。
実家からしばらく母が来てくれていて、夫・ぱぱっちも料理上手なので、私はゆっくり過ごさせてもらえた。

娘・まおたんに絵本をたくさん読んであげたり。
積み木やかるたで遊んだり(*´∇`*)

夜は、ぱぱっちが作ってくれた自慢の天ぷらと、お蕎麦。それと刺身盛り合わせ。(本マグロ中トロが入っていて高かった!!)

むちゃくちゃおいしくて、た~くさん食べられた (o^∇^o)ノイエーイ

病院食を食べるときとは、全然違う。家族と食べられるし、好きなものが食べられる。
その食べっぷりを見て、ぱぱっちが、心から喜んでくれた。

紅白歌合戦を見たり、K-1のボビーVS曙 を見たり、

絵に描いたようなヘイワな大晦日

を過ごすことができて、しみじみうれしかった。

夜中12時前に、まおたんを寝かしつけた寝室で、ぱぱっちと

「あけましておめでとう」

と小声で言い合ったら、なんだか涙が溢れだしてしまった。

いい年越しができてうれしかったのと、また年越しを迎えられるだろうか、という思いと、両方混ざっていたと思う。

一日一日のごくありふれたことが、とてつもなく貴重なのだ。

「これまでは、毎日をあまり大事にしていなかったと気づかされたね」

と、二人で話した。

自分は、いやな病気にかかってしまったけれど、だからと言って自分をかわいそうだとは思いたくない。
自分を悲劇のヒロインみたいに思っているひとには、なりたくない。

だって、身の回りには幸せもいっぱいある。その幸せに感謝しながら、残された日を生きていきたいのだ。

ぱぱっちは、私が病気になるちょっと前までは、いつも、仕事で忙しかった。

毎日早くても22時くらいまで仕事をしていて、深夜に帰ってきたり、土日出勤を続けていた。
出張も国内・海外ともに、けっこうあった。

でも、私が入院したころ。

ちょうど仕事がひと段落ついたことや、勤めていた会社が福利厚生の制度が整っているところであること、上司の理解があること、夫の仕事が評価されていたことなど、幸運が重なり、

介護時短勤務・週二日在宅勤務

をすぐに認めてもらえた。おかげで、入院中も毎日ぱぱっちには面会に来てもらえたし、家族で過ごせる時間が、ずっと増えた。
(今もたまに国内出張は行っているけど)

介護時短などの申請をしたときわかったことだが、ぱぱっちの上司の方は、以前、奥様をがんで亡くされていたのだった。

夫が事情を話したとき、自分の奥様のことを思い出したのか、号泣されたそうだ。
そして、なるべく一緒にいてあげなさいと、こころよく申請を受けてくださり、色々なアドバイスもしてくださったそうだ。

本当に、ありがたかった (*T▽T*)

その後、2006年のお正月三が日は、夫の実家(車で20分くらい)へ行ったり、ウチに弟夫婦が遊びに来てくれたり、のんびり箱根駅伝を見たり。
のびのびと楽しく過ごした。

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2006年3月 8日 (水)

退院の日

今日は午前中、マンション内の子供英会話サークルに、娘・まおたんを連れて行きました。
マンション内に住んでいるアメリカ人の奥さんが、ほとんどボランティアみたいな感じで、月一回だけ、子供たちに英語を教えてくださるのです。

いつもは、固まっていてあまりしゃべらない娘が、今日はしっかり「How are you?」「 I'm fine.Thank you.」 などとちゃんと話していて、びっくり!
子供って、成長しているんですねぇ。シミジミ。

ちなみに、私は英会話、苦手です(^-^;) 。ハイ。。。

。。。。。。。。。。。。

年末の12/27、生理がきた

本当は明日、産婦人科の診察を受ける予定だったのだが、そのことを聞いて急遽、産科病棟にいた先生(いつも診察してもらった先生とは違う先生)が、内診してくださることになった。
産科病棟は、私が入院していた消化器内科の病棟からはむちゃくちゃ遠い(-ε-)

看護師のSさんが、車椅子に乗せて連れて行ってくれた。Sさん自身が妊娠中なのに、大変。

診察では、エコーで見てもよく見えず、尿のホルモン値がまた上がっていたこともあり、念のため今後も経過を見させてくださいと言われ

正月の1/4に外来予約を入れられてしまった! ( ̄_ ̄|||)ウーム

正月は、一週、抗がん剤治療をお休みにしてもらえたのに・・・。来なきゃいけなくなった。

またSさんに車椅子を押してもらって帰り、ベッドで横になる。
さっきの産婦人科の先生は、わざわざ私の病棟までカルテを持ってきてくださったらしく、私の病室までいらして、

「もしお腹が痛くなったりしたら、お正月でもすぐ来てくださいね!」

と、声をかけてくれた。
私は、生理も来たし、もう大丈夫だと思っていたのだが、それは不正出血である可能性もあるようで、心配してくださったのだ。
私は、

ということは、これから婦人科系の原因でお腹が痛くなったりするかもしれないのか( ̄□ ̄;)?

とちょっと不安になった。(でもまあ、ないよね。優しい先生だからああ言ってくれただけだわ・・・と思うことにした。)

その翌日、12/28(水)は、退院予定日 d(⌒o⌒)b~♪

朝、産婦人科用に採尿をして、今日の用事はおしまい。
夫・ぱぱっちが迎えに来られる14:00頃に退院ということになった。

病院自体も、今日で年内の通常営業(?)は終わりらしく、みんな忙しそうにしていた。
この日もまだ、月曜日の抗がん剤の副作用で少しだるかったが、かなり回復していた。
ただ、便秘だけが気になった・・・。前の晩に下剤をもらったのに、お通じがない。あまり食べていないし、薬の副作用かと思うけれども、つい「腸閉塞だったりしないよね・・・?」と心配になってしまうのだった。

あ~病気ってやだ。こんな心配、したくない。((-_-。)(。-_-))

お部屋で同室だった方や、ナースステーションにいた先生方・看護師さんたちに、

「お世話になりました(゚▽゚*)」

と挨拶して退院。
他の退院する患者さんは皆、「退院おめでとうございます」と言われていたが、私は

「がんばってくださいね!」

と励まされての退院だった。

主治医の先生方には、また外来ですぐお会いするのだけど、病棟の看護師さんにはもう会えないかもしれないので、本当はお世話になったみなさんに挨拶したかったな・・・。

家に帰ったら、母とまおたんが待っていた。まおたんが飛び出してきて、

「ママといっしょにいるとしあわせ!ママだいすき(≧∇≦)!!」

と言ってくれた。
待っていてくれる人がいるのは、やっぱりうれしかった。

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2006年3月 7日 (火)

抗がん剤治療・3

きのうは、イケメン研修医さんに会えました (ノ゚▽゚)ノ!!

しかし、点滴を刺すため、イケメン先生が私の手をとり・・・・という「いいところ」で、横にいたK先生がこんな一言を・・・・。

「今度胃カメラやろうと思うんだけど、来週と再来週、どっちがイイ?」

「えええええぇぇぇ、い、胃カメラですかぁぁぁぁΣ( ̄ロ ̄lll)??」

と、うろたえるワタクシ。どっちもイヤだっつーの!!
しかし、嫌なことは早く終わらせたいので、
「じゃ、来週で・・・llllll(-_-;)llllll」 と答えたのだった。あーやだやだ。

。。。。。。。。。。。。。

去年のクリスマスは、うちでクリスマスパーティーをした。
義父母・義弟・母・弟夫婦が集まってくれた。
料理は、大半デリバリーですませ、楽しく過ごした。まおたんも上機嫌。

私の病気のことを知ってすぐのころは、義父母もショックを受け、
「ぱぱっちが会社を衝動的に辞めてしまうのでは」とか「まおたんはどうなるんだ」とか、色々心配をしていたらしいが、この日は

「あなたがいいと思う病院に入りなさい。私たちはいくらでも動けるんだから」

と優しくおっしゃってくださった。
まおたんの保育園が決まるまでの、預かる分担などもみんなで話し合ってくれた。

こうやって、みんなに支えてもらえる私は、幸せだ。m(;∇;)m

その翌日、3回目の抗がん剤治療

やっぱり、点滴の途中でだるくなる。吐き気止めを飲むと、すぐに胃のむかつきは治るものの、2~3時間たつと、またムカムカ。
食事は、出されたうちの1~2割くらいしか食べられないし、ちょっとツライ。

この日の夕食後、入院時にお世話になった研修医のE先生が、私のベッドを訪ねてきてくれた
12月から消化器外科にローテーションしてしまっていたのだが、わざわざ様子を見に来てくれたのだ。E先生は、担当だったころから、私のことをとても気にかけてくださっている。
私もそろそろ退院する予定だし、もう会えないかなーと思っていたので、うれしかった。

「yue少納言さん、調子はどうですか?」と聞かれて、

「熱があるんです。気持ち悪いし。・・・」と、ひととおりグチる私。

ご主人にもよろしく、と言って先生が出て行ったあと、斜め向かいのベッドのおばさまが、こう言った。

「髪が茶色くてツンツン立ってて、イマ風の先生だったわねぇ。

 『先生の顔見たらうれしくって熱が出ちゃったぁ o(*⌒∇⌒*)o』

とか、言えばよかったのに」

・・・・・・恐るべし、おばさまパワー!!!!

ムリです、修行の足りない私には( ̄◇ ̄)

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2006年3月 6日 (月)

ホスピス外来へ・1

また今日は、抗がん剤治療の日です。
毎週だし、病院も少々遠い(車で40分くらい)ので、けっこうタイヘンです。

今日は、イケメン研修医さんに会えますように (-人-;)
(一度会ったきりだから、本当にイケメンだったかもサダカでないのだが)

それから、採血が一発で終わりますように・・・ (-人-;)・・・願い事願い事☆

。。。。。。。。

クリスマス前の12/23に、他県にある某ホスピスへ、紹介状を持って家族3人で行ってみた。
ウチからは高速も使って、車で2時間くらいのところにある。正直、遠い。しかし・・・

もうこれ以上ないくらい、キレイ!!

婦長さんが、院内をまず案内してくださったのだが、

病院とは思えない、落ち着いた雰囲気。

(病院って普通は、みんな忙しそうにワサワサ廊下を走っていたりするでしょう?そういうのがまったく見られなかった。)

個室の中も、まるでホテルの部屋♪

部屋のテラスに出てみたら、眺望最高 。。ヾ( ~▽~)ツ

また、多くのボランティアさんたちによる、買い物代行などの色々なサービスもあり、いたれりつくせり。
心のケアをしてもらえるシステムもあるようだ。
素晴らしい!ここなら、心穏やかに過ごせそう (;∇;)

ひととおり見学したあと、先生と面談した。
とても穏やかな、女性医師だった。私たちの話を、じっくりと、聞いてくださった。

「ここでは、痛みのケア以外の医療行為はほとんど何も、行いません。
それをご了承いただければ、おそらく入所の要件は満たしていると思います」

とのことだった。

それなんだよな・・・・。

ここには今いる大学病院のような設備もないし、積極的ながん治療はできないことは、事前に知っていた。
独立型ホスピスは、その点について、ここと同じような感じのところが多い。

痛みのケア以外の医療行為ができない、というのは、

私にとっていいことなのか?悪いことなのか?

自然に任せてもらうほうが、死に至るときの苦痛は少ないのかもしれない。
でも、もしかして、何かしらの治療を行ってほしい状況になっているとき、それができなかったら、歯がゆい思いをするかもしれない。

本当に、どうなんだろう??

もし、ここが近ければ、割り切ってここに入ろうとすぐに決心がついたかもしれないが、遠いので家族にしょっちゅう来てもらうのは無理かと思われる。悩む。

娘・まおたんは、このあと
「びょういんは、すっごくきれいだったし、たのしかった!」と言うのだが、「ママはとおくに入院しちゃダメ。ちかくにして!」とも言うのだった。

結局、入りたいときにベッドが空いていなければ入れないのだし、入りたくなったときの状況で考えればいい・・・ということにした。

とりあえずここは、とてもいいホスピスだと思う。

「候補のひとつ」・・・ということにした(* ̄∀ ̄)ノ

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2006年3月 5日 (日)

抗がん剤治療・2

きのうは、夫・ぱぱっちの誕生日でした。
近所では一番おいしいと思う、イタリアンレストランへ行ってお祝い!_041_042 _043 _044  

 

 

 

カンパチのカルパッチョと、ピザのクアトロ・フォルマッジ、フルーツトマトのポモドーロ、パルマ産豚のラグー、あとデザートにパイとジェラートも食べたんですが、写真撮る前に食べちゃった!写真があまり上手に撮れなかったけど

マジうまいです d(*'-'*)b イエーイ

好き嫌いの非常に多い娘・まおたんも、大人の一人前くらい食べました。(ゴルゴンゾーラチーズ大好きなんです。3歳児なのに・・・)

。。。。。。。。。。。

12/19に、二回目の抗がん剤治療。

週末は家に帰っていたので、朝食を食べて病院へ戻る。病院で、ダイアモックスを飲み、一時間後から点滴。前回と同じ薬・同じ量。二回目なので、緊張はしなかった。

やっぱり点滴後しばらくすると

胃がムカムカムカムカ (×_×)・・・

頭痛もしてきた・・・。
それを先生に言うと、先生がナゼアという、オレンジ色のラムネみたいな吐き気止めの薬をくれた。夕方飲んでみたら、すごくよく効いてスッキリ!!

もっと早く飲めばよかった ☆≡(>。<)

とはいえ、今回も点滴当日・翌日は食欲皆無。

ナゼアを飲むと、胃のムカムカは治まるのだが、食事はどーしてもおいしそうに見えない (*゚‐゚)・・・

前日からお願いしておいたので、点滴翌日(12/20)の夕方、U先生が話をする時間を取ってくださった。

ぱぱっちが、ホスピスに出す紹介状を、何通もお願いしたが、本当~に気持ちよく了承してくださった。

いやなセンセイじゃなくて、よかった (ノ*´▽)ノ♪

先生がおっしゃるには、人気のあるホスピスは混んでいて、ベッドの空きがないと当然、行ってもそのまま帰されてしまうということだった。
(これまでにも、ホスピスに入ると言って出て行った患者が、またこの大学病院に戻されてきたこともあるという。)
もちろん、入院したら、どこでも親切にしてもらえるだろうが、要するになかなか入院できないらしい。

私は、うまいタイミングで、希望の病院へ入れるだろうか?
抗がん剤がいつまで効いてくれるのか、今のところまったくわからないのだ。
だから、困ったことに、いつホスピスに移りたくなるかも、わからないのだった。

その翌日(12/21)、産婦人科で診察
エコーで診てもらった。子宮内はキレイで、卵管に子宮外妊娠の跡のようなものが見える、ということだった。
一応、また来週水曜日にも来てねと言われてしまった。
翌週の火曜に退院しようと思っていたけど、一日伸ばすことに・・・。

午後、ぱぱっちが来てくれて、二人で病院内の医療相談室へ行く。

子供を保育園へ入れるのに、親が要介護認定を受けていると優先されるらしい(?)、と聞いたので、私が認定を受けられないかたずねたら、年齢的に無理だそうだ。40歳を過ぎて、介護保険を払っている人でないとだめだという。
ま、言われてみれば、そりゃそうだよね。

話をきいてくれた医療相談室のOさんが、市役所に電話して、保育園のことを色々きいてくださったのだが、とにかく空きがない。
とりあえず診断書に、今いかに厳しい状況か( ̄▽ ̄;!! をきちんと先生に書いてもらって、それをつけて申請してみてください、とのことだった。

翌日(木曜)の朝、採血をして、その結果が出たらまた外泊してイイと言われた。
病院の採血室まで行って採血してきて、と初めて指示され(今までは入院してるベッドで採血していた)、7:00からだというので朝6:50に行ってみた。

すでに入院患者の長蛇の列・・・・( ̄◇ ̄)ワオ

この採血の結果が、またなかなか出なかった。13:00すぎに、やっとOKが出て帰れたのだった・・・。

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2006年3月 4日 (土)

抗がん剤治療・1

週明けの12/12に、初めての抗がん剤治療。

点滴は、まず水分補給のためだと思うが、ソリタとかいうやつから始める(これを3時間かけて落とす)。しばらくしたらそれに平行して抗がん剤を入れていく。まずMTXを全開バリバリで入れ、ソリタが残り少なくなったころ、5FUを全開で入れる。

この治療日に二回、ダイアモックスという利尿作用のある飲み薬を飲むのだが、この錠剤があまりにもでっかい!ので、びっくりした。

こんなの飲み込めるか~  (-_-; )"~?

と、不安な表情をしたら、看護師さんが、細かくしてくれた。(苦い薬ではないので、今は自分の歯で噛み砕いて飲んでいる。)

このとき、点滴中はそれほど何も感じず、拍子抜けしたくらいだ。お昼ごはんも点滴しながら普通に食べられた。

しかし、夕方頃から頭がピリピリと痛みだし、胃がムカムカして、具合が悪くなってきた。

そんなときに、夫・ぱぱっちが面会に来たので、しゃべって気を紛らわしたほうが良いかと思い、食堂でおしゃべり。

その日、ぱぱっちは某病院の緩和ケア病棟を見に行ってきてくれたのだ。
そこのソーシャルワーカーさんと話したところ、私と同じ病気で同じ年代の女性が今入院していますから、会えたらいい話し相手になるのでは・・・ということだったそうだ。

そんなところでも友達ができる可能性があるんだ ( ̄▽ ̄) !

と思った。

それから、ぱぱっちは今日、子育ての研究をしている教授(仕事上コネがあった)に、まおたんのことを相談してきていたので、その話の内容も聞いた。

今後は、保育園に入れて、もし母親がいなくなっても変わらない環境・社会を作っておいたほうがよいだろう・・・と言われたそうだ。
私も、それはそのほうが確かにいいだろうな、と思った。
それと、まおたんの自己主張できるところなどは、とても褒めていただいたそうで、うれしかった。
私は、娘に、自分の考えを持ち、意見をはっきりいえる子に育って欲しいと願って、子育てに当たってきたからだ。

しかし、次第にダルさが増してきて、座っているのが辛くなってきたので、ベッドに戻った。

夕食は、ほとんど食べられなかった・・・(  ̄д ̄;)

吐くことはなかったが、食欲はまったくない。

翌日も、全然食欲がなく、「ごはん」の匂いをかぐと

あっ、だめだ・・・  ┳┳・・・ヽ(-_- )

いう感じ。つわりに似ている。なんとかフルーツなどだけ食べた。
でも、今日は頭痛がないだけ、きのうの夕方よりはかなりマシだ。

この日も、ぱぱっちは二つのホスピス・緩和ケア病棟を見学してきてくれた。一つはホテルのようにゴージャスで、ひとつは完全に「病院」という雰囲気だったそうだ。
そういうところも、いろんなタイプがあるらしい。

さらに翌日、3日目の水曜になった昼頃、やっと食欲が戻ってきた。
先生方にそう言ったら、

「じゃあ来週も同じ量で行きましょうか」

と言われた。
まあ、副作用としてはたいしたことないほうだったのだろう。

木曜の夜、肩の辺りを中心に右腕がしびれるように痛み、30分たっても治らず、眠れそうになかったので、ナースコールをして湿布を貼ってもらった。(湿布してしばらくしたら治った)

抗がん剤の副作用かなーと思ったが、そのことを翌日K先生に話したら、一応レントゲンを撮ってみよう、と言われた。
放射線科へ行って、5ポーズもレントゲンを撮ってもらったが、やはり骨折はしていなかった。
早朝に採血した分の検査結果も、とりあえず問題がなく、血小板もむしろ増えていたそうで、外泊許可をもらった。

また、週末は家に帰れた。ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

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2006年3月 3日 (金)

セカンドオピニオン・翌日

きのうは、近所のママ友のうち、ただひとり私の病名をコクった<薬剤師さん>のお宅に、お茶に呼んでいただきました。
楽しかった! ~~旦_(-ω- ) ドモドモ

ご主人も薬剤師の資格を持ち、仕事柄、薬に関する最新情報もいろいろ調べていらっしゃるようなので、相談に乗っていただけるそうです。ありがたいなぁ。

きのうは、おとなりの方も、私の病名は知らないのですが「いつも車で買い物に行くから、必要なものがあったら遠慮なく言ってね」とわざわざ電話をしてきてくれました。

周りの人の優しさに、はげまされることが多いこの頃です。サンキュー♪(o ̄∇ ̄)/

。。。。。。。。。

Gセンターに行った翌日(12/7)は、産婦人科の診察のみ。
お昼ごはんが運ばれてきて、一口食べたあたりで、呼ばれてしまった。しかたなく、食事を置いたまま産婦人科の外来へ。

最初CT検査前に、妊娠しているかも・・・と言って調べていただいたときと、同じN先生がエコーで診てくださった。やはり、

「残念ながらというかなんというか、流産してますね」

と言われた。

「このあと、3日くらい尿検査でホルモンの値を見て、普通は最終判断をするんだけど・・・治療は、もう始めてもいいですよ」

ということだ。子宮外妊娠の可能性もなくはないが、処置の必要はないだろう、ということでひとまず安心。
なんでも、子宮外妊娠の治療に使う薬の成分が、私が治療で使う予定の薬にも含まれているらしいのだ。

( ´∀`)ノミ┌┐"☆ ヘェーヘェーヘェー

15:00過ぎごろに夫・ぱぱっちが来てくれた。
食堂で、二人で話をしていたら、U先生がそこへやってきて、

「治療は金曜か月曜から始めましょう」

とおっしゃった。
Gセンターの先生がお手紙に書いてくださった、オススメの治療に合わせて、内服薬ではなく、外来で、

血液検査→結果を見る→3時間くらい点滴

という流れにするということだった。
Gセンターの先生が豊富な経験から、効くだろうという薬を勧めてくれたのだし、そのほうがいいのかも。一日がかりになるけど・・・。

治療は、毎週月曜にしてもらうことになった。

その翌日・翌々日は、産婦人科用に、朝採尿する以外、なんの用事もなかった。

ヒマすぎる ( -_ゝ-)・・・・。

本を読んだり、病室のおばあちゃま方とおしゃべりしたり。おばあちゃま方は、みんなイイ人たちだったが、

自分の病気遍歴自慢 ・ 嫁の話

がほとんどで、他人の話はイマヒトツ聞いていないため、私は適当な相づちをうち、聞き役に徹するしかないのだった。姑の立場の本音が聞けて、なかなか興味深かったが。
(約40日間の入院期間中、普通の消化器内科の病棟なので、他のがん患者さんとは一度も同室にならなかった。)
同室になった人からはよく、

「奥さん、どこも悪そうに見えないねぇ」

と言われた。
私が、「でも、私の病気は胃がんなんです」と話すと、みなさん「若いんだから、大丈夫よ。今はいい薬もあるらしいし、お子さんが成人するまでがんばって。」と励ましてくれた。

結局、尿検査の結果は「ビミョー」だったそうで、大丈夫とは言い切れないけど、経過を見ていけばいいだろうという感じ。

抗がん剤治療は、予定通り月曜から行うことになり、週末はまた外泊で帰らせてもらえた。

実は、あとから聞いたのだが、このGセンターの先生からのお手紙には、

余命3~6ヶ月

って書いてあったそうだΣ( ̄ロ ̄lll)

もう3ヶ月くらい経ったけど、元気でよかったなぁ。年単位で生きるもんね、私は。

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2006年3月 2日 (木)

セカンドオピニオン・当日

娘・まおたんは、2月の二週目から保育園に入ることができたのですが、夫が早く迎えに行くと「まだかえらない~まだおやつたべるんだから~~」と泣き叫び、暴れるそうです。

目的は「おやつ」かよ・・・ヾ(-_-;)

18:15に配られるおやつが欲しいそうで、「ぱぱっち、あしたはおそくきてよね」と言っています。延長保育の意味がわかってないです。
保育園に早く慣れてくれたのはよかったけど。

。。。。。。。。

夫・ぱぱっちが12/6の朝、ホテルからGセンターまで行き、7:30に整理券をとってきてくれた。そして、一度ホテルへ戻ってきた。
8:30に病院窓口で受付が始まるというので、私も着替えて受付に行った。整理券番号が早かったので、早く受付はしてもらえたものの、

「実際に受診できるのは昼頃になりますので」

と言われてしまった。(整理券取ってから受診まで、実際のところ5時間かかった。)
初診だし、予想はしていたが、本当に混んでいる・・・。
おそらくみんな、がん患者なのに、そんなに待たされるのね o(@.@)o
具合悪くなる人もいるのではないだろうか。

あまりにもヒマが余ったので、築地場外の適当なお寿司屋さんへ。

朝だけど、あのあたりではもうランチタイムらしかった。ぱぱっちは海鮮丼、私はたくさん食べられないので、お好みでにぎってもらった。

あぶりトロ、えんがわ、岩海苔、しまあじ・・・

う~ん、ウマイ!! \(*T▽T*)/

回転寿司の倍くらいの値段で、確実に倍以上おいしいから、満足。

それでも、まだまだ時間があったので、ファミレスでお茶を飲んで、暇つぶし。

11:30頃、もう一度行ってみたら、病院の待合室はいっぱい!!
12:30くらいまで待って、私の番が来た。

消化器内科の先生が、私の紹介状・画像資料などをじっくり見て、話をしてくださった。
ひじょ~にマイルド~~な話し方をされる先生だった。

「主治医の先生からは、どこまで聞いてるのかな?」

「今日は、どんな話が聞きたくてきたのかな?」

などとマイルド~に、心から心配そうな顔で、聞かれた。
スキルス胃がんで、すでに骨に転移しているから手術できないと言われたが、ここではどんな治療ができますか、ということをたずねた。

ここでやるとしたら、抗がん剤を外来で週一回点滴するような感じになるという。
私のような症例では、ここでは内服薬よりも点滴のほうを普通選択するのだそうだ。

私のように、スキルス胃がんで直接骨に転移してしまうような症例は、ここでも年間3~4例しかなく、わりと珍しいものらしい。

「あなたの場合、進行が速いと思うからね、のんびりここで再検査している場合じゃないと思うんです。」(!)

という。急いで抗がん剤治療を始めたほうがいいということだ。
ここと、今かかっている病院と、どっちで治療を受ける?みたいなことを、マイルド~に話していた先生だったが、

昨日、ひざをちょっとぶつけただけで、内出血して青あざになってしまったことを話したら、先生は顔色を変え、あせった様子に。。。

血小板が急激に減っているとかなり危険 ( ̄▽ ̄;)!! だから、一刻も早く入院している病院へ帰って、今日中に血液検査をしてもらいなさい、そして、

明日の朝からでも、すぐに抗がん剤治療を始めたほうがいいと思う(!!)

と脅かされた。( ̄ロ ̄lll)サー
(イヤ、もちろん先生は脅かそうとしているわけではなく、本当に心配しただけだろうが・・・)

先生は、急いで、私の主治医あてにお手紙を書いてくれた。

本当は、銀座のデパ地下でおいしいものを買って帰ろうと思っていた私たちだったが、こうまで言われては帰るしかない (-ω-;)

先生が書いてくれたお手紙と入院セットを持って、夕方には入院中の大学病院へ戻ったのだった。

すっかりあせっていた私たちに対し、U先生は、

「お手紙読みましたよ。でも、血小板は入院してきたときからすでに減ってましたし、あらためて急いで血液検査しなくても大丈夫です。抗がん剤治療は、来週月曜くらいからにしますかね。」

と、のんびりした感じだったので、気が抜けた ( ̄_ ̄ )。o0

とりあえず明日、産婦人科で、本当に中絶処置をしなくてよいかどうか診察してからじゃないと・・・ということらしい。

不安な気持ちはすぐには消えなかったが、ここの先生たちにおまかせしていればいいよね、と思うことにした。

ぱぱっちも、私たちの夕食の時間になると、とりあえず帰っていった。

受診前においしいもの食べといて、ほんとによかった (´・ω・`)

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2006年3月 1日 (水)

セカンドオピニオン・前夜

なんとか副作用から立ち直りましたっ\(^▽^)/
ちなみに、私が点滴で入れてるヤクは、5FUとMTXです。あー。ニオイを思い出しただけでやだ。( ´△`)アァ-

あの、点滴中&点滴後の自分の薬くささって、なんとかなんないのだろうか?あれが気持ち悪いのよねぇぇ。

。。。。。。。。。。

治療について、先生方のお話をうかがった翌日(12/3)、私の母と、弟夫婦がウチに来てくれた。
弟夫婦は医者と看護師なので、相談する相手としてはかなり役に立った。
きのう借りてきたCTなどの資料を見せ、私と夫で話し合った内容を伝えると、

副作用が激しく出ない程度の抗がん剤で進行を遅らせつつ、痛みのケアをしていくのがよいだろう

という話に。
弟いわく、骨転移の痛みに対しては放射線治療で緩和できることも多いそうだが、その後私の調べた限りでは、

ホスピスや緩和ケア病棟で、放射線治療や抗がん剤治療が同時にできる施設は、ウチの近くにはない!
(都心などでは無くはないようだが・・・そもそも保険の制度の問題などで、緩和ケア病棟での、そういう治療は難しいらしい)

しかも、そういった

緩和ケア病棟のベッド数自体、がん患者数に対して非常に少ない!!

という問題にぶちあたったのだった・・・。

話は変わるが、この日、

生理が来たヽ(^◇^*)/

翌週の水曜から金曜の間に、中絶の処置をする予定だったのだが、必要なさそう!!
妊娠していると、がんの進行も急速になるそうで、

「妊娠してなくて本当によかった」

と、弟に言われた。
病気でなければ、妊娠検査薬で陽性反応があったのに生理が来たら、もちろん悲しむべきことだ。私は、一度流産を経験しているが、そのときの深い悲しみは忘れられない。
でも、一生懸命生きている胎児を中絶しなければならないのよりは、自然に流れてくれるほうが、ずっといい (T△T)フクザツ

この日は、みんなで楽しくお寿司を食べ、たくさん笑えた。家族のありがたさを、身にしみて感じた日だった。
娘を長く預かってくれている義父母にも、感謝だ。<(_ _*)>

さてさて、Gセンターの受診。

受付は朝早く行ったほうがよさそうだと思ったので、郊外に住んでいる私たちは、前日(12/5)に築地のホテルに泊まることにした。
病院に近そうだからと適当に予約した「三井ガーデンホテル銀座」というところだったが、部屋は狭いものの、

インテリアがモダンでかっこいい(イタリアンモダン大好き)!夜景もキレイ!! (´▽`)oウットリ

Gセンターへ行くため、という非常にイヤ~な理由から泊まったのだが、なんだか楽しい気分になってきたのだった♪

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2006年2月28日 (火)

病気判明時のはなし・7

きのうの抗がん剤治療のあとは、ほんっとに

「きもわる~~ ( _△_ ;)モ・モウダメ・・・」

という感じで、ほとんどダウンしておりました。毎週、副作用って出方が違うんですよねぇ。
それだけを楽しみに病院にいったのに、今月ローテーションしてきたイケメン研修医さんにもあえず・・・。がっかり (ー。ー)・・・。

。。。。。。。。。。

入院以来初めての外泊で、家に戻ってきた。その夜は、夫婦で色々話し合った。

なるべく家族と笑顔で過ごしたい! 動けるうちは、家にいたい!

でも、痛いのもイヤだ。痛かったり苦しかったりするような時期には、緩和ケアを受けられるところに入院したい。・・・と、私の考えの方向性が見えてきた。

義父母に預けていた娘・まおたんを、夫・ぱぱっちが翌日夕方連れて帰ってきてくれた。

「ママ、あいたかったよ。はやくよくなってね。

ママだ~いすきo(*^▽^*)o」

と、抱きついてくる娘に、涙をこらえられなかった。ごめん、ママの病気はよくならないんだって・・・・。

「ママもまおたんがだいすきだよ」

と答えるのが精一杯だった。本当につらかった。

私は、まおたんがどんな大人に育っていくのか、この目でしっかり見たかった。
どんな小学生になり、中学生になり、高校生になり、どんな道を選んでいくのか。
そんなときに、アドバイスもしてやりたかった。
結婚するときだって、子供を産むときだって、母親として力になってあげたかった。

私は、あとどれだけ、見届けられるのだろう?

翌日(12/2)の夕方、外泊許可がそこまでだったので、一応また入院セットを持って病院へ。事前に、主治医の先生方とお話させてもらいたいと、お願いしておいた。

先生方がいらっしゃり、いつもの「カンファレンス室」へ。

前回、ここで治療するとしたら、具体的にはどんな治療になるのかを聞いていなかったので、聞いてみた。
私は、なるべく家族と一緒に過ごしたい、と伝えたこともあり、「外来で、抗がん剤の内服薬を飲み、時々点滴する・・・という方法があります」とのことだった。
数年前から、副作用の少ない内服の抗がん剤(TS-1)が使えるようになったという。

そして、私のがんの種類について、たずねてみたら、「スキルス胃がん」だと言われた。

何年か前、毎週見ていた、SMAPの剛くんの主演ドラマ「僕の生きる道」と同じだ・・・。
増殖や転移のスピードの速い、がんとしてもタチの悪いほうのものじゃなかったかな・・・。

先生は、定期的に胃カメラかバリウムでの検査をしていないかぎり、スキルス胃がんの早期発見は難しいですね、とおっしゃっていた。(スキルスだと、胃壁が厚くなるかたちで大きくなるので、胃カメラで一度だけ見てもわからないことも多いようだ)
あとでネットで調べてみたが、手術できても、多くは再発するらしい。

イヤな病気になっちゃったなー (*´ο`*)=3

治療をどうするか、早く決めなければ、またがんがどんどん増えてしまう・・・

お願いしたら、先生方が、セカンドオピニオン用の紹介状と資料をチョ~急いで用意してくださったので、外泊許可をのばしてもらって、それを持ち帰り、今度がん専門病院のGセンターへ行ってみることにした。

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2006年2月27日 (月)

病気判明時のはなし・6

今日は、抗がん剤治療日です。
先週、風邪で治療を休んだため、とっても体調が良かったのに(?)・・・
でも、せっかく効いている治療だから、がんばって行ってきま~す(。・ω・)ノ゙

。。。。。。。。

夕方5時半ごろ、とうとう研修医のE先生が呼びに来た(!!)
いつも明るいE先生だが、前を歩く背中から硬い雰囲気が漂っている・・・。夫・ぱぱっちと二人で、緊張で震えながら、あの「カンファレンス室」へ向かった。

イヤ~~な予感・・・ (´Д`|||)

カンファレンス室のボードには、骨シンチとCTの画像がたくさん貼ってあった。
また、先生方3人と看護師さん一人が入り、説明が始まる。

骨シンチと血液検査の結果から、

がんが骨に転移している

という。
骨シンチの画像で、肋骨や頭蓋骨あたりに黒く写っているところがあり、そこが転移しているところだそうだ。
全身のあっちこっちに、黒いところがある・・・ ( ▽|||)

そして、

「できれば手術をしたいと思っていたのですが・・・・・

 こうなっていると、もう手術はできません

と言われた。

あとは、抗がん剤を用いた、延命治療くらいしか、やりようがないという。

しかしそれも、必ずしも延命効果があるわけではなく(効くかどうか、やってみないとわからない)、副作用もあるということだった。

そして、
この病院では、(保険がきく)普通に使われている抗がん剤を使った治療しかできない。
がん専門病院に行けば、未承認薬などでいいものを使えるかもしれない。
まずは、そういう専門病院にセカンドオピニオンを求めに行ってもいいと思う。
今後の治療を、どうするか考えておいてください。

・・・というようなことを言われた。

TVドラマを見ているみたいだ☆<( ̄□ ̄;)>☆

まさかこんなことが、自分の身に起こるとは。

あまりのことに、またもや質問もほとんどできないまま、先生方が退室。夫も、私の弟に電話するため、部屋を出ていった。私は、残った看護師さんと話す。

「こういうとき、ほかの患者さんは、普通どういう選択をされるんですか?」

とたずねると、
がん専門病院に転院する人もいれば、無理せず家でなるべく過ごしたいという人もいる。何も食べられないのだけは、せめて治してほしいと言って、胃の治療を受けた人もいたという。
その若い看護師さんは、目に涙をためていた。

私は、どうしたいのだろう?どうしたらよいのだろう?

それを考えるため、先生方の勧めもあって、2泊3日の外泊許可をもらった。
車で、途中買い物もしながら帰る途中、ぱぱっちが、

「泣いたって、怒ったっていいんだよ」

と言ってくれた。
なんだか、とってもうれしくて、涙が出てきた (ノд・。)
私は本当に、いい人と結婚した。
たとえ短くなったとしても、いい人生を送ってこれた。感謝すべきことだ。

私には、まだ残された時間がある。

これから自分の体がどうなっていくのか、それに娘のことなど不安も色々あるけれど、残りの時間をいかに後悔なく過ごせるか、良く考えよう。
私には、一緒に考え、支えてくれる家族がいるんだから・・・

私は外泊中、このように少しずつ気持ちを整理していったのだった。

(ここで脳内BGM→SMAP「世界に一つだけの花」)

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2006年2月26日 (日)

病気判明時のはなし・5

きのうは暖かかったので、多摩動物園に行ってきました!秋、入院前に行ったときにはちっちゃくて「ウリ坊」柄だったマレーバクの赤ちゃんが、もう大きくなって柄も変わっていてびっくり! (右が子供のダン) アフリカゾウのマオちゃんも、まだ3歳なのにもうすぐ盛岡へお嫁に行ってしまうそうで、会ってきました(右がマオ)。こういう休日って、幸せですよね。

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。。。。。。。

がんだと知らされた翌日の11/29に、「骨シンチ」という、骨の代謝を調べる検査をやることに。核医学検査室というところでやるのだが、そこは私の病棟からはるかかなたにあり、

放射能マークが、ドアからスリッパにまでついていた ( ̄□ ̄;)

まずそこで、午前中に放射性物質の注射をし、午後、注射の4時間後にまた行く。
検査は、細長ーいベッドにベルトで固定され、20分ちょっとの間、じっと寝ているとカメラが周囲を回って撮影するというもの。

撮影中は、はっきりいってヒマだった・・・。

この検査は、動けないのが少々つらいが、かなり楽。

この日は、看護師さんたちも、研修医のE先生も、私にすご~く気を使って、「眠れましたか?」とか声をかけてくれた。

E先生は、病院にいると食事くらいしか楽しみがないからと、食事の好みを聞きにきてくれて、私の嫌いな牛乳をヨーグルトなどに替え、多すぎる白飯の量を小盛にするよう、手続きしてくれた (ノ△・。)

婦長さんに、

「つらいことが二つ重なっちゃったわね・・・」

と慰められたときは、なんだか涙が出そうになった。
ゆうべはただ呆然としていたが、このときになって少しずつ泣けてきた。この病院の人たちは、みんないい人たちだなぁ~と思った。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。

その翌日(11/30)、

午前中にCTの検査を受けることになった。

結果を知るのは怖いけど、知らないと前へ進めない。

緊急で検査をお願いしていたため、11時ごろ急に呼ばれた。
E先生が慌てて点滴の針を刺していると、ちょうど夫・ぱぱっちが来てくれた。で、3人でCTのある部屋まで歩いていく。CTの機械に寝て、ある程度撮影する。それから今度は造影剤(ヨード)を点滴の針から注入して、さらに撮影。

この造影剤が、入れるとすぐに体の中で熱く走り回る感じで、とても気持ちが悪い。

ぜんそくのある人は、この薬で発作が起きることもあるそうだが、それは大丈夫だった。

お昼ご飯は、点滴をつけたまま、病棟の上の階にあるラウンジへ持って行って、ぱぱっちと二人で食べた。このラウンジは、広くて窓が大きくて気持ちよかった。

夕方に、昨日と今日の検査の結果を教えてもらうことになっていたので、二人ともなんだか落ち着かなかった。
部屋へ戻ったり、食堂でお茶を飲んだり、ぱぱっちは、今度受けるTOEICの勉強をしてみたり(全然頭に入らなかったらしいが)・・・。

途中、E先生がベッドへやってきて、

「結果、今日聞きたいですか?明日にします?」

とたずねられたが、

こんなドキドキを一晩持ち越すのはまっぴら|||(-_-;)||||||

だったので、「できれば今日聞きたい」と答えた。

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2006年2月25日 (土)

病気判明時のはなし・4

オリンピック、金メダル取れてよかったですね!次のオリンピックがまた見られるといいな~。
さて、昨日の話の続きです。

。。。。。。。

最初、救急で病院にいった日(11/20)に、胃の細胞を採取したものを、病理に回していた。急いで検査してもらうけど、それでも一週間くらいかかるとのことだった。

ウチの夫・ぱぱっちは、ちょうど入院一週間後の月曜(11/28)から、海外出張の予定が入っていた。成田を朝発なので、前の晩から成田のホテルに泊まっていた。

なのに!

その、ぱぱっちが出発する日の朝、私の主治医チーム、K先生・U先生・E先生の3人が私のベッドの脇にやってきた。

「今日の夕方、ご主人にも来て頂いて、病理の結果のお話をしますんで」という。

「あの、もう海外出張に行っちゃいました♪」と私。

「いや、まだ日本にいましたよ」

「ハア???( ・◇・)? え、あっ、そうでしたか?」

このときの先生方の表情は、なんだかいかにも

ナンか隠してる・・・(;¬д¬) アヤシイ

という感じであった。
いや、でも私は輸血してもらってから体調いいし、もうフロア内歩行も許可されたし、シャワーもオッケーになったし・・・退院の話だよね。うんうん。そうに違いない・・・でも、そんな話のために海外出張をやめなきゃいけないのだろうか?やっぱがん告知??・・・いやそんなことないってば!ほら私はこんなに元気いっぱいだもん。
いやーんもう、ぱぱっちったら心配しすぎなんだから~~(~-~*)≡(*~-~)

と、夫は私への、溢れるほどの愛 過剰な心配によって、出張をやめてしまったのだ!と思うことにした。

その日の夕方、夫が連絡をした弟もやってきて、夫もやっぱり海外出張をやめてやってきた。みんなそろったことを、ナースステーションに伝えると、しばらくしてE先生がベッドまで呼びにやってきた。

「カンファレンス室」というところに3人で入って座ると、先生方3人+私の担当の看護師さんが、対面に座った。K先生が硬い表情で口を開いた。

「・・・・・病理の結果ですが・・・・・

がん細胞がありました・・・・・・・・・・」

私たちは、ある程度の覚悟をしていたつもりだったが、

ド━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

という感じでショックを受け、しばらく口がきけなかった。

「妊娠してらっしゃいますよね。今後、手術できるかどうか検査をしないといけないので、いろんな強い薬も使います。
ですから、

妊娠の継続は難しいと思います。

どうするか、ご夫婦で考えてください」

とも言われた。
実は、それについては、夫が面会に来てくれていたときに、こんな事態も一応想定して、すでに話し合っていたのだ。だから、即答できた。

「それは、あきらめます・・・」

とても、ツラいことではあったけれど、私たちにはすでに、まおたんという娘がいる。その、まおたんを私は育てていかなければいけないのだ。そのためには、私が元気にならなくてはならない・・・と思った。

「では、明日から検査を入れますので

ということになった。

あまり話をまともにできないままだったが、特に質問も頭に浮かばなかった。

頭が真っ白(゚◇゚)~

とは、まさにああいう状態なんだろう。涙も出なかった。

先生方が退室し、「ここをまだ使っていていいですよ」とおっしゃってくださったので、私と夫と弟、三人がカンファレンス室に残った。

私が「ごめんね」

というと、「あやまることじゃないよ( -_-)/(・・ )」

と二人が言ってくれた。とりあえず、みんなでがんばろうく( ̄△ ̄)ノと話し、また自分のベッドに戻ったのだった。

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2006年2月24日 (金)

病気判明時のはなし・3

話が前後しますが、ここからは入院直後の「禁飲食・ベッド上安静」の時期の話になります。

。。。。。。。

入院したのは去年の11月21日だった。その日、私の胃にクリップを留めてくれたK先生とU先生が、入院した私のベッドまでやってきて、

「血液検査の結果、骨に異常があるときに値が上がるやつの数字が上がっているんだけど、骨折かなにかしている?」

とたずねられた。

「えっ?私は骨折なんて、したことありませんけど( ̄Д ̄;)」

と答えたが、なんだかイヤ~~な予感がした。(でも極力、気にしないようにした)
その数日後も、研修医のE先生がやってきて、

「先生方の話し合いの結果、CT検査をやったほうがいいということになりました・・・ぜんそくの人は、CTの造影剤を使うとアレルギー反応を起こす可能性もあるんですけど、造影剤を使って、画像がハッキリ見えるようにしたほうがいいと思うんです。yue少納言さんは、ぜんそくの症状は子供の頃だけみたいですし、アレルギー予防の薬も事前に投与しますからね!やりましょうね?」という。

がんの転移を疑っているらしい・・・(T▽T;)

ということは、私にもわかった。でもきっと、調べたらなんでもないさー!!と思うことにして、同意書にサインした。

CT検査をする予定の日、CT検査の説明書を読んだら、

「妊娠の可能性のある方」は、事前に医師か看護師に申し出るように、と書いてあった。
ウチでは、二人目の子供が欲しいと前々から思っていた・・・。
まだ次の生理の予定日まで一週間もあったため、まだ妊娠していても気づく時期ではなかったが、

妊娠の可能性がナイとも言い切れない

と思った私は、ベッドにやってきたE先生に、その旨を伝えた。先生は

「えーっ ノ( ̄0 ̄;)\!! じゃあ、とりあえず調べてみましょう・・・」

と困惑した表情で、産婦人科に行って妊娠検査薬を持ってきてくれた。まあ、薬局で売っているのと同じようなスティック状のアレである。

そしたら、それにクッキリと、線が現れた。これって、陰性だよね(^^;??と、E先生に見せると、

「いや、陽性だと思います・・・。婦人科に行って聞いてきます・・・!( ̄∇ ̄; )」

という。やはり、それは陽性だった。その日のCT検査はナシになり、エコーでお腹を見るだけになった。
その結果、エコーでは、特に異常は見つからなかったのだった。

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2006年2月23日 (木)

病気判明時のはなし・2

翌朝、病院の外来へ行くと、K先生が昨日の胃カメラの写真を指差して私に見せた。しかし、わかりやすいポリープや穴がないので、私には、どこがどう異常なのかはわからない。先生はとっても心配そうな目で私の顔を覗き込みながら「潰瘍かもしれないし、腫瘍性のものかもしれない。今後も経過を見ないといけないと思うんだ。がんばれるかな?」という。

えーっ!今後も何回も胃カメラやるってこと??w( ̄△ ̄;)w

と思った私はげんなり・・・。でも腫瘍だったら大変だし、甘んじて検査を受けなきゃイカンなと思い、頷くしかなかった。で、昨日に引き続き今日も内視鏡検査室へ。

また胃カメラ。私は、モニターは見たくなかったので、ずっときつ~く目を閉じていた。でも、耳から入る情報によると、今日は昨日と違って、室内の先生たち二人がかりで胃の中にクリップを

バチン!!バチン!!

と留めたり、針で薬を入れたりしている様子。それは全然痛くはないのだが・・・

「はい、リラックスして~。息を止めて~。はい、もういいですよ~。」

などと、その間色々指示され、なかなか終わらないので苦しくなり、ツラかった。私は、9月に行ったバリ島・ウブドの田園風景や、泊まった部屋についていたプライベートプールを必死で頭の中に思い描いて、リラックスしようと心がけたが、

早くオシマイにして~ ヽ(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

という思いですぐに頭が一杯になってしまった。

このときは、私の胃の中で出血があり、先生方は止血のための処置をしてくださっていたのだった。まあ、開腹手術とかに比べれば、はるか~~に楽なもんなのだろうが・・・

処置がやっと終わると、K先生が横たわったままの私の前にしゃがんで、「このまま入院しよう、ね。」とおっしゃった。

実は、弟に昨夜電話でいきさつを話したとき、「もう一度呼び戻すなんて、よっぽどのことだから、きっと一週間は入院になるよ」と言われていたので、最低限の入院グッズは持ってきていた私は、素直に力なく「ハイ・・・」と言った。

その後、消化器内科の入院病棟へ車椅子で移動し、4人部屋へ。部屋にいた先客(?)は、やはり私より30歳以上は年上だろう・・・というおばさま二人。内視鏡のときの麻酔のためうまくしゃべれなかった私は、会釈だけしてベッドに入った。

月曜午前に入院し、止血を確認できた金曜の夜まで、ずっと

禁飲食・ベッド上安静!!

水も飲めない・・・。血がいっぱいでちゃったので、貧血がひどく、座っているだけでツラい私は、言われなくてもそうせざるを得なかった(T_T) トイレの行き帰りにも倒れたら危ないからと、毎回ナースコールしないといけない(T_T)

金曜の朝に輸血をしてもらったら、一気に元気が出たのだけれど。「血」の大切さを身にしみて感じた一週間だった。

止血を確認して、やっと食事がもらえたときはうれしかった!!流動食で、重湯はおいしくなかったけど・・・スープのアミノ酸のうまみが、本当にありがたかった
(*^∇^)o<■~~

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2006年2月22日 (水)

病気判明時のはなし・1

ブログを始めてみます。初心者ですが、よろしくです。

病気判明時のはなしを、少しずつ書いていきまーす。

。。。。。。

去年の9月中頃から、空腹時の胃の痛みと食欲不振を感じ始めた。たいした痛みじゃなかったし、市販の胃薬を飲めば治ると思っていた。しかし11月に入っても治らない(-_-)近所で「胃腸科」を標榜してるHクリニックへ行ってみることに。

先生いわく「胃潰瘍ができてるのかもね。とりあえず胃薬を2週間飲んでみて。治んなかったら、その時は胃カメラでもバリウムでもヤル気がでるでしょ」とのこと(!)

でも、治らなかった。ていうか、一週間後の日曜日の朝、なんと下血してしまった!自分は痛くも痒くもなかったのだけど。

明日またHクリニックへ行けばいいよね?でも、もしかしてこれってヤバい??と、ふと不安になったワタクシ。一応医者やってる弟に電話。

そしたら「すぐ救急病院にいってください」だってさ・・・。しかも「胃カメラで診るだろうから何も食べないで」だってさ・・・。なんでも、胃や十二指腸から出血をしている場合、容態が急変する可能性もあるという(!!!)

うわーん。やっぱヤバかったのだ~。

まず消防庁の救急テレフォンサービスに電話した。いくつか救急病院の電話番号を教えてくれた。次々に電話してみるケナゲな私に対し、皆「今日は心臓の先生しかいませんから」とか、「救急車で来た重症患者さんの対応をしているのでムリです」とか、「日曜なので、来てもらっても検査できません」とか・・・(T_T)

そのうちの一つの病院の人が「駅前のTクリニックなら、胃カメラもあるし日曜も診察しているはず。そこへ行かれては?」というので、電話予約を入れ、そこへ向かった。

そこの先生は、症状を聞いて首をひねりながら、「うーん。胃カメラやります?でも今日はできないから、予約入れてって」という。で、予約カウンターへ。そこで、まず感染症を調べるため血を採られ、「混んでいるので、12月○日になります」と、

なんと2週間以上先の日時を指定された。

ハァ?ナメとんのか??( ̄ロ ̄lll) 

と思ったが、ちゃんとした診察や検査をしてもらえそうな気配がないので、もうこんなとこ来ない!と胸に誓いつつ、一度帰宅。その後も、空腹でいらだつ気持ちをなだめながら、あちこちの病院に電話したのだった。

も~~すっかりうんざりしていた午後3時半ごろ、やっと「いいですよ。診ますから、いらしてくださいといってくれる病院が見つかった!電話に出てくれたのは、その後お世話になる、研修医のE先生だったのだが、

もうそれは、☆神の声☆のように聞こえた・・・。

ちょっと遠いが、夫に車を出してもらい、その某大学病院へ。症状などを改めてE先生に話し、まず採血して血液検査に出し、ベッドでしばし待つ。

その後私の主治医になるK先生がやってきて、ヘモグロビンが10.6しかなく出血している可能性が高いので、もう今、胃カメラやっちゃいましょう(!)ということに。

その日(11/20)は、たまたま消化器内科の先生が当直だったらしい。“イマドキの若者”って風情のE先生がさわやかな笑顔で、「よかったですね。K先生は胃カメラ上手ですからね!」と言ってくれた言葉で、私の「内視鏡検査の下手な先生だったらどうしよう・・・」という不安が払拭された。 (*゚▽゚ノノ゙☆ブラボー!!

胃カメラは、最初少しむせたけれど、思ったほどツラくなかった。胃の中は、出血の跡らしいものが見えたものの、血液はたまっていなかった。胃壁も、炎症を起こしているかなー程度の感じだった。とりあえずそのまま細胞を採取し、薬をもらって次の外来予約をしていったん家に帰った私たち。

夕食の準備をし、やっとごはんにありつける・・・

と思ったところで、電話が鳴った。さっきのK先生が、

「胃カメラの写真を改めて見たら、気になるところがありました。今後なにも食べないで、また明日の朝、胃カメラで診させてください

というではないかΣ( ̄ロ ̄lll) !!

うれしくない話だが、食事はガマン。。。また翌日、朝から病院へ向かったのだった。

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