2006年7月31日 (月)

メッセージ

先ほど、いつものように娘・まおたんを寝かしつけようとすると、
「ぱぱっち、お話があるの。」という。

「なあに?」と聞くと、
「あのさあ、ぱぱっちとまおたんは、これから二人でがんばるんだよね。」

一瞬、どきりとしたが、
「そうだよね。いっしょにがんばろうね。」と答える。

「がんばるにはさぁ、まおたんも元気出さないと、がんばれないよね。」

このまま、また、まおたんにはげまされるのか・・と思って、
ちょっと「うるうる」しかかったところへ、こう来た。

「あのね、まおたん、プリキュアのカードがあれば元気出せるんだけど。」

そういう魂胆だったか・・・。日曜日のテレビ、恐るべし・・。
(テレビの問題ではない?)

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私が病室を後にしてから、yue少納言はさらに厳しい状態になっていた。

その後、親友2人が病室に到着した。(遠くから本当にありがとう。)
彼女たちの話では、まだyue少納言の意識はあり、呼びかけにも応えていたという。2人は、結局最後まで一緒にいてくれた。

家に戻った私は、不動産屋と電話で話をつけると、すぐ義妹に契約に行ってもらうように依頼。(この義妹には、本当に何から何まで世話になった。特に、まおたんの義妹に対する信頼は、ほかの誰よりも強い。)

それから、ブログに妻の状況を書き込み(7/11の記事)、コメントをプリントアウトしたその時。携帯が鳴った。妻の危篤を告げる、義母からの連絡だった。

私はすぐに保育園へ向かい、まおたんを車に乗せ、病院へ。

車に乗せるときに、まおたんには、
「ままっちは、もうお話ができない」ということを話した。
正直、理解できるはずがない と思いながら話した。

しかし、まおたんは、
「ままっち、死んじゃうんだね。まおたん、もう、泣いちゃうよぅ。」

私は、「まおたん、泣いてもいいんだよ。今は、泣くところだからね。」
と言うのがやっとだった。とにかく病院へと向かった。

途中、「ぱぱっち、もっとスピード出してよ。」と言い続けるまおたん。

しかし、その数分後、

「ぱぱっち・・・。もう間に合わないかも・・・。」
と、力なくつぶやいた。

その数分後、携帯が鳴る。

一度、呼吸が止まり、先生の手による人工呼吸で持たせている、と。

後でまおたんに聞いたら、「ままっちのことがわかった。」という。
yue少納言は、どんなメッセージを送ったのだろうか。

私たちが病院に着いたのは午後0時40分。

yue少納言は、すでに安らかな顔で眠っていた。
しかし、先生の手による人工呼吸(機械ではなく、人力だった!)により、まだ心拍を保っていた。一度は心拍も止まったそうだが、また動いたという。

私は妻の手を握り、「ありがとう」と言うのがやっとだった。
すると、まおたんが意を決したように、yue少納言のそばへ近寄り、
泣きながら、でも、大きな声ではっきりと言った。

「ままっち、いつも、ありがとう。ありがとう、ままっち。」
そして、私にしがみついて泣いた。

その声を聞いて安心したのか、yue少納言の心拍がゆっくりと止まった。
2006年7月11日、午後0時51分。

yue少納言は親友、母親、夫、そして娘の見守る中、まったりと旅立っていった。

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葬儀の後で、まおたんから聞いた話。
妻は7月9日の早朝、まだ寝ている私の横で、なぜか早起きしたまおたんに、すべてを話していったという。

自分が明日病院へ行ったら入院するかもしれないこと。

もしかすると、もう帰って来られないかもしれないこと。

死んだ後に、お葬式があること。

お葬式が終わると骨が残ること。

その骨はぼろぼろかもしれない(と言ったそうだ)こと。

でも、本当のままっちは骨ではなく、お星様になること・・など。

そのためか、まおたんはすべてのことを冷静に受け止めたようだ。葬儀でも、出棺や火葬場など、泣くべきところでしっかり泣き、そして、今は毎日仏前に手を合わせている。

もちろん、時々、寂しくて泣くこともある。そんな時は、私も一緒に泣くことにしている。

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今でも最期に病室を出たことについては、それで良かったのか、考えてしまいます。

しかし、結果的には良かったと思うようにしてます。

そうしなければ、まおたんを臨終に立ち会わせることはできなかったし、なにより、妻が私に言い残した言葉は、あと1つしかないと思うから。

もちろん、それは「今までありがとう」という言葉。

「最期」まで言わずにとってあるんだろうな・・ということはわかってました。

でも、今思うと、もしその場にいても、yue少納言は意識のあるうちにはその言葉は言わなかった、いや、言えなかったと思います。

大丈夫。言わなくても、十分伝わってる。
そして、私とまおたんからの最期の言葉は、しっかり届いたと、信じています。

妻の最期については、これでおしまいですが、
あとひとつ、妻の残したものをご紹介したいので、
次はそのことを書きます。

今日も、長い文章、最後までありがとうございました。

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2006年7月29日 (土)

ありがとう

ぱぱっちです。

みなさん、あたたかいコメント、本当にありがとうございます。

皆さんからたくさんの勇気をいただいて、前を向いて生きることができています。

先ほどアクセスカウンターを見たら、すでに20万アクセスを超えていました。

本人が、10万アクセス突破を書き込んだのが今月の3日。

少々複雑な気持ちであることは確かです。

しかし、これだけ多くの人にyue少納言のメッセージを伝えることができ、
また、娘・まおたんや私を支えてくれている・・。

きっとyue少納言も心から喜んでいると思います。

前回の続きですが、もう少しだけお時間ください。

皆さんのコメントに甘えて、まったりと更新させていただくことにします。

本当に、本当に、ありがとう!

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2006年7月26日 (水)

果たせなかった願い

ぱぱっちです。
一日おきの更新になってしまってすみません。

ご心配かけてますが、私は昨日から会社に戻り、元気にやっています。

娘・まおたんも、月曜日の夜はちょっと元気がなく、少し心配しました。
しかし、昨日、保育園に迎えに行くと、すっかり笑顔が戻っていました。

聞くと、

「きのう、ユキヒロくんと、ちょっとけんかしちゃって、もうだめかと
思ったんだけど、きょうは、またラブラブだったの~。」 だと。

大きくも、小さくも、「浮き沈みの激しい人生」を送っている娘に、
それを乗り切る「たくましさ」も感じる、今日この頃です。

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その朝、少し遅い起床にあわせて運んでもらった、朝食があった。
しかし、yue少納言は食べる気にならなかった。
そして、「ぱぱっち、朝ごはん食べて」と言った。

まだ、私も妻もここから長い戦いを覚悟していた。
そのせいか、妻は苦しい中でもまだ私の体を気遣ってくれていた。

そんな中で、yue少納言がはっきりと、

「何か、フルーツが食べたい。買ってきてくれる?」と言った。

私は近くのコンビニへ出かけ、桃のゼリーを購入した。

しかし、買い物から戻ると、妻の様子が変わっていた。

ちょうど、「5FU」(と書かれた)点滴と、ステロイドの点滴が始まっていた。
しかし、妻の呼吸はかなり乱れ、ステロイドの作用か、「暑い、暑い」と繰り返した。
桃ゼリーを食べさせてあげることはできなかった。

これは今、大きな心残りになっている。

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入院の日の朝、yue少納言が自宅で最後に食べたのが、「桃」だった。

yue少納言はよく冷えた桃をとてもおいしいと言って食べた。そのときの表情は今でもはっきりと脳裏に浮かんでくる。

もともと、yue少納言は食事を「とてもおいしそうに」食べる人だった。
#れひさん、夢の中のyue少納言は、おいしそうにご飯食べてましたか?

何を隠そう、私が最初に妻に惚れたのもそこ。最初に二人で食事をしたときの、おいしそうな顔に将来の伴侶になることを確信した。

私が料理に関心を持ったのも、何よりも妻の笑顔が見たかったからだ。

「いっしょにおいしいものを食べる」という行為は、私たち夫婦にとって、とても重要なコミュニケーション手段のひとつだった。

そして、今、私の前には、とてもおいしそうにおやつを食べる、食いしんぼうの娘がいる。その表情は、そっくりだ。

今は、それだけでも幸せなことだと思う。
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10時過ぎ、依然苦しそうなyue少納言を残し、私は一度、家に帰ることにした。

この判断がどうだったのか、いまだに自分でもよくわからない。

この時点で私はまだ少なくとも数日、この戦いが続くと思っていた。そのため、病院の徒歩圏内に、ウィークリーマンションを手配する予定で、昨夜あたりをつけていた業者に確認を取ろうと思っていた。

また、妻とは、このブログを更新し、皆さんのコメントをプリントして届ける約束をしていた。
この間は義母がついていてくれる。そして約束していた親友の二人も来てくれる。その間に、これらの用をたして、すべてを整えてから戦うつもりでいた。

ちなみに義母は、すでに義父を見送った経験があったためか、
この時点でもう数時間の命であると思っていたらしい。

ただ、当然、それを口に出すことはできなかった。

私は、

「がんばれるよね。」
と声をかけた。

yue少納言は、かすかに、でもはっきりと 「うん。」 と答えた。

それが私と妻の最後の会話になった。
その表情は、苦しそうだったが、たしかに「笑顔」だった。

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実は、昨夜、yue少納言の夢を見ました。旅立たれたあと、初めてのことです。
正確に言うと、見ているテレビに、なぜかyue少納言が出てくる夢でした。
その中で、

「ブログ毎日書けないのはしょうがないけど、
みんなには、ちゃんと言っておきなさい!!」

としかられました。なので、

明日はちょっと遅くなる予定で、明日の更新はできなそうです・・・。
と、さきに謝っておくことにします。m(--)m。

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2006年7月24日 (月)

痛み

やっと今日、役所・銀行などへの届出などが一通り済んで、
明日から仕事に復帰するつもりです。

戸籍とか、結構面倒なことも多く、また、社会保○庁の担当者の
言動に思わず手が出そうになったりとか、いろいろありましたが、
とりあえずは落ち着けそうです。

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午前四時ごろ、yue少納言の苦しそうな声で目が覚めた。
肋骨の部分が痛いという。

すぐにナースコール。深夜にもかかわらず、すぐに担当のナースが
きてくれた。
症状を伝えると、とりあえずボルタレンで痛みが静まるかをみることに
なった。

ナースが帰った後、この数ヶ月間のいつものように、痛むところをさすり
続けた。
しばらくすると、薬の効果かどちらか、痛みが治まったようだった。

「今のはほんとに痛かった・・」とyue少納言。

「そういえば、まおたん生まれたときも、夜中に、ハアハア言いながら
背中さすってもらったよね」
「そのときと、どっちが痛かった?」

「もちろん、まおたんのときのほうがずっと痛かったよ。」

そういって、yue少納言は笑った。

「まおたんのこと・・」私が言いかけると、

「まおたんは大丈夫。私は、まおたんは何も心配してないよ。」

と、かみ締めるように、言った。 そして、

「yue少納言は、ほんとに幸せだよ・・」

この7ヶ月間、何度となく言い続けてくれた言葉。
ほかでもなく、私を一番幸せにしてくれた言葉。

この時が最後になった。

そして、yue少納言はまた眠りについた。

それから明け方まで、私は、その後も数回起きて
yue少納言の様子を見た。

まるで何事もないかのように、幸せそうな顔で眠り続けていた。

それは奇しくも、それから8時間後に見ることになる顔と
同じ顔だった。

朝8時前、うとうとしていた私は、ふとyue少納言の呼吸が
激しくなっていることに気づいて目が覚めた。

「苦しい・・・息が苦しい」うわごとのようにつぶやいている。
私はすぐにナースコールを入れた。

主治医から引継ぎを受けていた、担当医が来て、様子を見ると、
すぐにモルヒネの準備を始めた。
それと前後するように、yue少納言の母が病室に着いた。

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この話を書きながら、これがもう2週間も前のこと・・というのが
にわかに信じられません。本当に、数時間前のことのように、
はっきりと思い出されます。

きっと、この夜のことは、一生忘れられない記憶になるのでしょう。

でも、この記憶は、きっととてもよい思い出になると思っています。

今日も、読んで下さってありがとうございました。

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2006年7月22日 (土)

最後の夜

ぱぱっちです。

娘・まおたんは、昨日が誕生日だったのですが、(藤川球児と一緒さ!)
「4さいのまおたんへ」というママからのお手紙を、とてもうれしそうに読みました。

内容は・・ま、ここでご紹介するのは控えておきます。ごめんなさい。

しかし、昨夜おそく、ちょっと体調を崩してしまいました。
まおたんなりに、いろいろあるんだろうなと思いました。

そういうわたしも、ちょっと風邪気味。

今朝、まおたんといっしょに医者へいきました。
先生から、

「どこもおかしくならない人はほとんどいないですよ。
(心よりは)体に出るほうがよいので、薬飲んで寝なさい。」

と言われて帰ってきました。そんなわけでまおたんは私の実家。

あすは家族でまおたんの誕生日会。
私は今日は早めに寝ようと思ってます。

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そんなことがあってから、私はしばらく妻に付き添っていた。

「もう帰っていいよ。」

妻は、私の体のほうを気遣い、そう言ったが、私は
「yue少納言が起きてるときは、そばにいたいから」と言った。
「なるべく眠るね」そういって、妻は目を閉じた。

11時ごろ、妻が眠りにつき、呼吸が安定しているのを確かめて、
私は一度自宅へ向かった。

家に戻ると、このブログのコメントで、取り急ぎ皆さんに状況を報告。
それから、ここにもコメントをいただいている、
おーじろうさんにメールで連絡を入れた。

おーじろうさんからはすぐに電話がきた。
もともと、13日にお見舞いの予定ということだったが、
私は「それでは遅いかもしれない。とにかく早く」と伝えた。

正直、なぜその時、そんなにあせらせるようなことを言ったのか、わからない。
しかし、結果的にはそれがよかった。

午前1時に病室へ戻った。

yue少納言は物音で目が覚めたのか、起きていたのかはわからない。
しかし、数分後に「帰ってきたの?」と言われて、起きているのがわかった。

そのときは、呼吸もとても落ち着いていた。

妻に、「おーじろうさんたち、明日、来てくれるって。」と話すと、
妻は本当にうれしそうだった。
それから、ブログのコメントのプリントアウトを、うれしそうに読んだ。
そして、「みんなに、読んでることをまた伝えて」といった。

私は妻のベッドの脇でその様子を見ていた。

考えてはいけないと思いつつ、なぜか付き合っていたころからの
楽しかったことが、いろいろと思い出された。

その後、妻は1時間ほど起きていた。

そして何か言いたそうにするのだが、その言葉を飲み込んでいる
のがわかった。

そんな時、私は妻の手を強く握ることしかできなかった。
妻と私が、同じ目的で時間を共有していることは
なんとなくわかっていた。
でも、明日の治療に取り組む身にとって、口に出せなかったのだ。

そして、「私は」その段階でもまだ長い戦いの始まりだと思っていた。

そうしながら、妻はまた眠りについた。
私も仮眠をとるために病室内のソファーに横になった。
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続きはまた・・。

ずっと読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。

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2006年7月20日 (木)

最後のうそ

明日、7月21日は娘・まおたんの誕生日です。

過去の記事でご存知の方も多いと思いますが、
yue少納言はまおたんの20歳までの誕生日に向けて17通の
手紙を残しています。私も、毎年1通ずつ、必ず届けるようにします。

後半は合コンの心得が書かれているらしいので、ちょっと先に
カンニングしたい気もするのですけどね。

#だいたい、13年後に「合コン」があるのか?というのもある・・。

ちなみに、きょう、まおたんは、ゆきひろくんから、

「大きくなったらけっこんしようね」といわれて
「うん、いいよ」とこたえたそうです。

いきなりプロポーズかよ・・。

ゆきひろ、さきにぱぱっちのところへ挨拶に来い!

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U医師は妻の呼吸の様子、そして心拍数などのモニターを確認した。

私は先ほどの気持ちを話した。
もちろん、つらくなったらやめたいことを含めて。

U医師は、「今は、リンパ管のほうへの治療を第一に考えましょう。
明日から5FUを入れるので、今夜たくさん酸素を入れて、
できるだけ体力を回復させましょう。
それと、肺の状況改善の可能性があるので、明日、
ステロイドも点滴します。
また、鎮痛の用意はしておきますので、つらくなったら
ナースコールしてください。」と話した。

U医師は火曜日は別の病院で勤務しなければならないが、
担当医にすべて引き継ぐことも話してくれた。
yue少納言は言葉の一つ一つに頷きながら、
先生の話を聞いていた。

しかし、そのとき私は、設置されたモニターの数値が
どうしても気になっていた。

警告「音」は消しているが、警告のサインは出続けている。
心拍数は常時150を超えるようになっていた。
この状況でも、(息苦しさは伝わったが)まだ話はできていた。

先生が部屋を出て数分後、わたしは先生を追った。
また、病院の外で先生と話をすることになった。

「あの、明日の5FUのことですが・・・。」

先生はゆっくりとこちらを向くと、

「お分かりの通り、あの様子では使えません。
今までにも、かなり心臓でカバーしていたようなので、
すでにかなり心臓が弱っているはず。

また、抗がん剤で今の呼吸状態を維持できても、
心臓が持ちません。

今抗がん剤を使ってしまうと、苦しい思いをした上に、
1週間ぐらい持つところが2日ぐらいになるとか、
そういうリスクが出てきます。」

「では・・」

「点滴はします。袋にしっかり「5FU・24H」と書いてありますが、
生理食塩水です。袋は本当に使うものを使います。
症状改善の可能性がわずかにあるので、ステロイドは
点滴するようにします。鎮痛の準備もしておきます。
とにかく、ご主人は、いざというときにそばにいられる
ようにしてください。」

私は礼をいい、部屋へ戻った。

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今日、梅澤医師(本人の許可を得ましたので、実名で書きます)
に、お礼に言って来ました。

先生も、最後の段階の進行の速さにはなすすべがなかったと
残念がっていらっしゃいました。

私は、結果論としては、もっと早くこちらに来ればよかった
とは思うが、先生には治療以上に、とても大切なことをして
いただいたと心からお礼を言いました。

それは、yue少納言をはじめ、私たち家族に最後まで希望を
与え続けてくれたことです。

これが、途中で「もう治療法がない」となっていたら、
最後の旅行を含め、一ヶ月充実した家族の時間を過ごせた
でしょうか。

驚いたことに、今日の話の中で、先生は明日が娘の誕生日である
ことを覚えていてくださいました。(そのことは一度しかお話していません。)
それだけ、それぞれの患者と正面から真剣に向き合って
いただいていた証拠だと思います。

先生から許可をいただきましたので、梅澤医師につきましては
ここで先生のブログをご紹介をさせていただきたいと思います。
http://umezawa.blog44.fc2.com/

先生の治療法についての判断は皆様にお任せします。

先生の理念がすべての人に合うかはわかりません。また、皆さんの
信じる治療法は、皆さんが納得している限り最善のものと思います。

ここで先生の治療法の適否を議論する気はまったくありません。
その点は皆様を信じています。

あくまで、yue少納言が最後に信頼した医師がどのような方かを
ご紹介しているだけです。

最後に、梅澤先生は、現在のがんセンターのあり方に批判的ですが、
私は、がんセンターの医師に大変にお世話になったことも
お伝えしてきました。
先生は、個々の医師が真剣に取り組まれていることは
よくわかっているし、それを批判してはいないとおっしゃっています。

ただひとつだけいえることは、梅澤先生は統計的なエビデンスよりも、
患者一人ひとりのそれぞれの病気と真剣に向き合っている。
それだけは絶対に事実だと確信しています。

毎日皆さんのコメント本当に勇気付けられます。一つ一つに
お答えできなくて本当に申し訳ないですが、また続きを書きます。

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2006年7月18日 (火)

最後の選択

皆さん、暖かいコメントありがとうございます。

筆が進まなくてすみません。

正直、いろいろばたばたしております。
皆さんのところもなかなかお邪魔しきれなくてごめんなさい。

ただ、こうして皆さんとやり取りできるのが非常に楽しくて、
何か妻が自分のなかに降りてきているみたいです。

yue少納言がどれだけ大きなパワーをもらっていたか、
とてもよくわかります。
さて。一日あいてしまいましたが、続きです。

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10日午後8時過ぎ。
病院の外で、立ち話だったが、U医師とは次のような話をした。

・今、胃がんで死ぬことはない。
しかし、呼吸がうまくできないために、心臓に大きな負担が
かかっている。心臓がどれだけ持つかの勝負になっている。
これは個人差が大きく、なんともいえない。

正直厳しい。今週中がやっとだろう。今夜でもおかしくはない。

・癌性リンパ管症を何とかできる可能性としては5FUの24H持続注入。
しかし、心臓へのリスクのほうがずっと大きい。
最悪、すぐに命を奪う可能性もある。効いたとしても
今のスピードを止めるだけ。つまり、呼吸苦の状態は続く。

・肺がんなら同じ状況からでもイレッサで回復する例
をたくさん見ている。
しかし、消化器癌へのエビデンスは皆無。
未承認だし、これもリスクのほうが大きい。

・ハーセプチンも同じ。どうしても使えというなら使うが、私は勧めない。

・そして、疼痛緩和のためには大きく2つ選択肢がある。
ひとつはモルヒネの投与。しかし、効かない可能性もある。
もうひとつは、鎮痛剤で意識レベルを下げること。
しかし、そのことで呼吸が止まるリスクが大きいことも覚悟する
必要がある。呼吸苦は、呼吸を和らげないと解消しないが、
呼吸を和らげることはリスクを大きくすることでもある。

・いずれにしても、これからは誰かができるだけついていて
あげてほしい。個室は24時間面会OKにするようナース
ステーションには話をしておいた。

・ここからどうするかは、最後にどういう思いがあるかで
決めること。それに沿った処置をする。私はあとでもう一度
部屋へ行くから、考えておいてほしい。

一日、大量の患者と向かい合って、疲れ果てているはずのU先生。
それなのに、患者の望む治療の姿を最後まで見極めようとしている。

先生の「患者中心の医療」への情熱と、人間としての温かさが身に
しみた。普段、厳しそうな人だが、内面は温かい。
yue少納言が主治医に全幅の信頼を置く理由がわかった。

私はyue少納言の元へ戻り、5FUの連続注入にわずかに
可能性があるといわれたことを話した。
そして、厳しければモルヒネの投与やさらに呼吸を楽にする
方法もあるが、意識が低下することなども話をした。

このころは、呼吸も速くなり心拍数もあがっていたが、
普通に話のできる状況だった。

妻と二人で出した最後の結論は、

「5FUの可能性にかける。でも、どうしても
つらかったら、いつでもやめていいことにする」だった。

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8ヶ月前、手術不可能であることを知ったときに私たちが決めた
「yue少納言3原則」という治療方針がある。
それは、

①できる限り、家族で過ごせる時間を長くする。
②できる限り、自宅で過ごせる時間を長くする。
③yue少納言は痛いのはきらいだ

であった。

①~③は優先順位を表している。

でも、「痛いのはきらいだ。」 は、ずっと妻が言い続けた言葉。
壮絶な闘病なんてしたくない。明確な意思があった。
ここまで、ずっと(多少の痛みはあったが)この方針は守ってきた。

私は最後にひとつの意思を捨てて戦おうとする妻の気持ちが
痛いほどわかった。妻は「時間」をほしがっている・・。まだ、妻には
伝え切れていないメッセージがある・・。

私は今まで聞かなかった最後の質問を妻にぶつけた。

「もしもここで最後ということになるとしたら、何がしたい?」
そして、「もちろんあとで笑い話になったら、それでいいんだから。」と。

yue少納言は、

「みんなに様子を伝えてほしい。みんなのコメント読んでいることを
伝えてほしい。みんなのコメントが読みたい。
それと、一番大切な親友二人にもう一度会いたい。」

と言った。

しばらくして、U医師が部屋に入ってきた。

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今日も、長くなっていますね。ごめんなさい。

本当はもっと淡々と書きたいんですが、どうしても気持ちが入って
しまいます。こういうとこ、yue少納言は抑えて書くのがうまかったな、
と、我が妻ながら感心してしまう今日この頃・・。
次、明日書くお約束はできませんが、ぜひまたのぞいてやってください。

あ、そういえばアクセス、15万超えてました。
みなさん、本当にありがとうございます。
yue少納言も心から喜んでいると思います。

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2006年7月11日 (火)

旅立ち

ぱぱっちです。

皆さんからたくさんの応援メッセージをいただき、本当に
ありがとうございました。

yue少納言ですが、本日午後、最後の戦いを終えて、旅立って
いきました。
今はいつも寝ていたベッドの上で、本当にいつものような姿で
安らかに眠っております。

最後に皆さんに送っていただいた
パワーのおかげで私と娘もぎりぎり最期に立ち会うことができました。

まだ、私自身の気持ちの整理がつきませんが、本日の様子を含め、
皆様にはあらためてご報告をさせていただくことをお約束して、
本日は取り急ぎお礼とご報告をさせていただきました。

みなさま、最期まで、本当にありがとうございました。

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今日のyue少納言

昨夜のコメントに引き続き、夫、ぱぱっちより簡単に状況を
報告させていただきます。

みなさん、昨夜から今朝にかけて、たくさんのコメントをいただき、
本当にありがとうございました。

yue少納言は夜中も一時的に苦しくなる時間がありましたが、
薬の投与などで明け方に少し眠ることもできました。
朝から治療を開始しています。

今日は夕方、私の両親がまおたんをつれて病院へ行く予定です。

昨日いただいたコメントは本人に見せました。
苦しい息の中でしたが、すべて自分で読み、
笑顔を見せてくれました。

今のyue少納言にとって、一番の薬だと思いますので、
私もできる限りプリントアウトして早く本人に届けたいと思っています。

皆さんの「気」も確実に届いていると思います。一緒にいる私も
何かが送られてくるような気持ちがしました。

yue少納言はまだ負けません。皆さんの力をください。
本当に、本当によろしくお願いします。

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2006年7月10日 (月)

明日から入院かも?

今日(もう0時過ぎたので、正しくは昨日)、酸素を吸いながらでも、トイレまでも歩いていけず、途中で椅子に座り込んでしまった。

息切れ、少しずつひどくなってるみたい。。。||(-_-;)||||

情けないのと困ったのとで、そこでちょっと泣いていたら、夫・ぱぱっちが、自分の書斎のキャスターつき椅子に乗せてトイレまで連れて行ってくれた。

その後、すぐに車椅子まで買って来てくれた。

赤くてカワイイ、肘掛が上がるヤツ。

別にレンタルでもよかったけど、買ってきてもらったものは、気に入った♪

オロオロせずに、すぐに助けてくれるヒトでよかった( ̄▽ ̄;)

夜、主治医のU先生にも、ぱぱっちが念のため電話をかけ、今の状況を話してくれた。

昨日あたりから、首の右側の甲状腺かな~ってあたりが腫れてるのも、気になっていたし。

電話の結果、おそらく明日、診察後そのまま入院になりそう・・・・。

一応、入院準備をして、明日病院に行きます。

ブログの方は、状況次第ですが、たまには、ぱぱっちに代入力を頼んででも、アップしますわ。

みなさんのところを、なかなか回れないかもしれないけれど、見捨てないでたまにここもチェックしに来てくださ~い。

もうすぐ、娘・まおたんの4歳の誕生日だし、なるべくそのころは帰って来たい!

入院して、早く息切れが改善しますように~( ̄人 ̄)

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