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2006年8月 4日 (金)

限りなく現在を生きて

ぱぱっちです。また久々の更新になってしまいました。

前の記事でお知らせした、yue少納言が生前に作った詞ですが、ここでご紹介をしたいと思います。

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2001年、私は友人と結成した「Multicolore」という音楽制作ユニットの
メンバーとして、自主制作のCDを発表しました。

そのCD、「Tons Pastel」の中には、yue少納言の詞が3曲収録されています。

そのうちの一曲がこの「限りなく現在(いま)を生きて」です。

私が変な解説をつけるより、詞を見てもらいたいと思います。

もし、mp3ファイルの試聴が可能な方は、少し大きなファイル(4.6MB)になりますが、
試聴サイトを用意しました。そちらで楽曲を聴けるようにしてあります。

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「限りなく現在を生きて」

限りなく 現在(いま)を生きて
とらわれた心 解き放とう

悩みごとを誰かのせいと
恨んだりしたくはない
自分で選んだ道と この場所だから

色褪せた地図 抱きしめたまま
捨てられずにいた 約束を
動き出す時 風に投げるよ
おおぞら見上げながら

限りなく 現在を生きて
とらわれた心 解き放とう
なくすことだけ おそれ過ぎて
臆病になっていたけど

香りたつ陽射し浴びて
満ち足りた花を咲かせたいよ
雨が降ってもチカラにして
強く咲く花

忙しさを自慢にしたり
言い訳にしたくはない
いつでもほほえむような気持ちでいたい

なにげない日々 仲間との日々
かけがえのない毎日に
気づかなければ退屈だった
だけど ここに見つけた

香りたつ陽射しがほら
この場所に降りそそいでるよ
まぶしい夢に目を奪われ
宝物なくさないように

限りなく 現在を生きて
とらわれた心 解き放とう
暖かい声 胸の鼓動
陽のあたる道程(みち)

限りなく現在を生きて

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もちろん、当時、妻・yue少納言は将来の病気のことは予想もしなかったと思います。
そのときの、妻の詞を見ていただくことで、
妻について、別の視点からまたご理解いただけるなら、
私も非常にうれしく思います。

なお、リンク先、迷いましたが、発表済みの楽曲ですし、メンバーのクレジットを
入れたかった関係で妻・及び私も実名を表記しています。
ただ、このサイトの中では今までどおり、yue少納言、ぱぱっち でよろしくお願いします。

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コメント

素敵な心の姿勢がそのまま表現された詩ですね。
歌詞、全てに共感します。

投稿: | 2006年8月 4日 (金) 06時31分

ぱぱっちさん
素敵なプレゼントをありがとうございます。

投稿: りん | 2006年8月 4日 (金) 08時57分

「いま-ここ」でヒトは生きている。
「いま-ここ」の連鎖でしかない。
過去を思い悩むのでもなく、未来を憂えるのでもなく。
ぱぱっちさん、歌詞の掲載、ありがとうございます。しっかり拝読し、今日も仕事へ行って参ります。

投稿: はむうし | 2006年8月 4日 (金) 09時06分

この詩が病を知る前の詩だと聞いて少し驚きましたが、
yue少納言さんの生き方・考え方がまっすぐに伝わってきて、
病を知る前も知った後も変わらない前向きなyue少納言さんに感動です。。。

投稿: りんりん | 2006年8月 4日 (金) 09時35分

yue少納言さんの生への姿勢が、凝縮されているような気がします。
ひとつひとつのフレーズに、思い当たること、教えられること、たくさんありますね。ありがとうございます。

投稿: きゃんべる。 | 2006年8月 4日 (金) 11時06分

聴きました。すっごく素敵!出だしの「限りなく現在をいきて」で心、わしづかみされ、サビで完全にノックアウトです。こんな詩を書くyue少納言さん、センスの良い編曲をされるぱぱっちさん、もっと前からお知り合いになりたかった..心からそう思いました。旅立ちを知った時より、悲しく思うのは何故?

投稿: ハイジ | 2006年8月 4日 (金) 14時23分

この詩を読んで、改めて、yue少納言さんが元気な時でも、とても前向きで、一日一日を一生懸命に生きていた方なのだとわかりました。ずっと、そういう生き方をしたきた彼女らしい最期だったのですね。この詩で、また、yue少納言さんの事が少しわかったような気がします。

投稿: ハム | 2006年8月 4日 (金) 15時43分

病気になってもならなくっても、yue少納言さんはyue少納言さんだったってことが、よく分かりました。
まっすぐで前向きで明るくて暖かい。
今までも大好きだったけど、もっともっと好きになりました。
わたし自身つらくなったら、この詩を読みに、このページを開きます。今までどおり、励ましてもらいに・・・。
ぱぱっちさん、ありがとうございました。
yue少納言さん、本当にありがとう。
一度でいい、お会いしたかったな・・・。

投稿: すみ | 2006年8月 4日 (金) 20時09分

yue少納言さんは、最後までご自分の生き方を貫き通した、そう感じました。
だって、病気になる前の詩ですよね。。びっくりです。
ぱぱっちさん、ありがとうございます。

投稿: れひ | 2006年8月 5日 (土) 00時11分

人が死ぬ時には、その人の人生が凝縮して現れるというけれど、
本当にその通りですね。
がんになってもならなくても、
yue少納言さんの生き方自体がこうだったんですね。
メロディも素敵です。
何となくまったりした音楽を想像していたもので、
ガツンと来て脳がリフレッシュされました♪

投稿: あつこ | 2006年8月 5日 (土) 01時53分

早速、聞きました。
う~涙・・・
yue少納言さん、ぱぱっちさん、美しい音楽有り難う。魂が伝わってきました。

投稿: さかな | 2006年8月 5日 (土) 21時00分

朝、さっそくダウンロード。仕事があったので聞いてから出かけましたがなんだかとっても励まされました。
一日の始まりに「今日一日をほほえむような気持ちで過ごして」とメッセージをいただいた気分でした。
今日という、なにげない一日かけがえのない一日に感謝します。
そして、yue少納言さんとぱぱっちさんとお仲間の大切な楽曲に感謝します。

投稿: のほほん | 2006年8月 5日 (土) 23時42分

>みなさま

多くの方にお聴きいただけたようで、たいへんうれしく思っております。ありがとうございました。

この歌詞で言う「とらわれた心」が本人にとって何だったのか。それは私にもよくわかりません。

ただ、この歌詞のように、何かの迷いを消化してきた経験が、今回の病気との付き合い方を決める大きな力になっていたのだろうな とは思うのです。

この病気がわかったときに、最初に本人が決めたのは、「病気になった原因は考えない」ことだったようです。

「なぜ」病気になったか?はいまさら関係ない。これから「病気を持つ自分」がどう生きるか。それを考えたときに、病気と「付き合う」という気持ちになったようです。

yue少納言本人が、比較的すぐに前を向いてくれたことは、われわれにとって本当に救いでした。だからこそ、できるだけのことができて、今ほとんど自責の念にとらわれずに生活できる。これはもっとも幸せな遺族の姿だと思うのです。


投稿: ぱぱっち | 2006年8月 7日 (月) 01時15分

ある人からの紹介でこのブログをお尋ねしました。わたしも自分の家族、そして数人の親しい人を同じ病気で見送りました。
そして今も大事な人が病気で、私自身も治らない病気です。なんて理不尽なんだろうとか、自分の無力感に立ち直れない日々もありました。いくら真面目に生きているからといって、安泰な日々があるわけでもなく。ある日突然、思いもかけないことが起き、人生には突然雨が降り落ちてくる事があるのですね。
 でも その雨も詞にあるよう受け止め方次第で慈雨になり、あたたかいこれからの命の水になることでしょう。

ときどきですが、わたしは見送った親しい人達がそばに居るような気がすることがあります。
 そして飾ってある写真に毎日手をあわせるのですが、そのときどき「○○○○~」とこちらに
メッセージをくれてる気がしています。
毎日同じ写真をみているのですが、どうしてか
毎回違う 語りかけがあるのです。
 わたしの方が日々心情が変化しているからそう思えるのでしょうかね。不思議なことです。
(とくに わたしは何も宗教も信仰もないふつうの人です)

でも 別れというのは 気持ちがつながっていれば、永遠のわかれではなく、日々今いきているわたしたちも 一緒にすごしていた人のこころ使いや生き様がそのまま こころに宿って供に生きているのではないでしょうか。

投稿: ball | 2006年8月18日 (金) 00時13分

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