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2006年8月 8日 (火)

続・葬儀について考える

きょうは娘・まおたんの「お当番」の日。いつもは、ぐずぐずしている間に、「ばってん・・」になってしまう、まおたん。

が、今日はちゃんと机も拭くことができたらしく、「今日はばっちり~」だそうで。

日々、成長するまおたんは、心の支えです。

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さて、今日はその後の葬儀などについて。

葬儀は近くの斎場で行った。yue少納言が3月31日の記事で書いたとおり、洋花の花祭壇にして、その中央に「有毛記念写真」を飾った。
料理は実際には、あまり選択の幅がなかった。四十九日の精進落としは、少しまともなものにしたいと思っている。

肝心の私の曲と言うリクエストは、予想通り、斎場のスタッフに見事に忘れられた。
斎場のスタッフを見て、いやな予感はしていたのだけど・・。
まあ、全体としては、故人の望む葬儀にかなり近かったのではないかと思う。

葬儀の間、私も「葬儀について」考えた。
本当に、いい葬儀・・・って何だろう?と。

結婚式と違って、あまり「いい葬式でしたね~」という話はしない。でも、印象に残る葬儀がいくつかあったのは確か。

今回、改めて思ったのは、葬儀の良し悪しを決めるのは、会葬者ではないか・・ということだ。

会葬者が多ければ良いというものではなく、どれだけ会葬者と故人のつながりが感じられるか・・。
表現が難しいが、会葬者の心が伝わるか・・のようなところがとても大事なのではないかと。

最近、近親者のみの密葬が多いと聞く。
規模は小さくても、心のこもった葬儀がしたいと考える人が多くなっているのかもしれない。

今回は、予想以上に会葬者も多かったのだが、
皆さんの気持ちがとても伝わってきて、本当にうれしかった。

決して近くない多摩のはずれに、わざわざ足を運んでいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

それから、yue少納言が「ぼろぼろかもしれない」と言った骨。

けっこう、しっかりしてました!

普通、「骨拾い」って、喪主は涙に暮れつつ・・・という絵が浮かぶ。

ところが、私の脳裏には骨シンチの写真が去来していて、「よくがんばった」というある種の満足感でいっぱい。穴があくほど骨を観察しておりました・・。

大腿骨なんか、「いつ折れても不思議はない」と言われていたのに、骨壷に入らないぐらいしっかり1本、丸のまま出てきたのだ。

「失礼ですが、折らせていただいてもよろしいですか?」と言われて、
「だめです」ともいえず、折られちゃったけど、このときだけはちょっと涙が出た。
ゾメタ痛に耐えて、がんばった甲斐があったというものだ。

そう、まおたん、ままっちの骨はぼろぼろじゃなかったんだよ。

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そんなこんなで、あれから今日で28日目。

7日刻みの日、と言うことで、今日もお花を備えて、まおたんとお祈りをしました。

もうすぐ一ヶ月・・。まだ実感がないのが本音ですが、こんな感じで前を向いて、
少しずつ、2人の生活を楽しむ余裕も出てきました。

でも、夜はまだ、二人で泣いちゃったりするんですけどね・・。

ま、それもいい時間の過ごしかたかなと思ってます。

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コメント

ぱぱっちさん、こんばんは。まおたん、「お当番」がんばったのですねぇ。子どもを授かっていないので、子どもの真実を知る機会を失ってしまいましたが、彼らを見ていると、ちゃんと彼らなりのルールをつくってそれを守っているように感じられておもしろいです。子どもから私はどんな大人にみえているのでしょう…。

はむ夫は、きわめて社会性の低い大人です。大丈夫だろうか?と思うことがしばしば。でも、数年前に身内や友人の葬儀が続いたときに、「心からその人の死を悲しいと思う、そういう葬儀にだけ行きたい」とぼそっと申してました。本家の長男にとって「義務」で行くことが多かったからかもしれませんが、ときにはまっとうな意見を述べるじゃないの、と妻はちょっと心強いと思ったのでした。

投稿: はむうし | 2006年8月 8日 (火) 00時35分

こんばんわ。
いつもロムってばかりでしたが、
今日はコメント残させていただきます。

私の母は、白血病と戦い続け、
今、9年目に成りました。
私は国際結婚をしたため、
年に一度か2度日本に帰国し、
両親の所に1,2ヶ月滞在して、
一緒に時間を過ごす事しか出来ません。

たまに帰ってきて
年老いてゆく両親を見るのは
本当に悲しいのです。

週に一回、輸血で命をつないでいる母を見るのも辛いです。。

今日、なぜコメントを残そうと思ったかといえば、
Yue少納言さんの
骨がしっかり残っていた事が、
何だか、自分のことのように嬉しかったのです。

母の骨も、しっかり残るかしら。。。
そんな事を考えながら
今日のブログを拝見しました。

泣いてしまう夜があっても良いじゃないですか。
肉親、身近な人をなくすのは
悲しいに決まっています。

まおたん、がんばれ!
ぱぱっちさんも、がんばれ!!
また、書き込みさせていただきます。
失礼しました。


投稿: じゅんちゃん | 2006年8月 8日 (火) 00時39分

不謹慎かもですが、
大腿骨のとこで少しニヤリとしてしまいました。
私もガンを経験してから、葬儀についてよく考えます。芸能人とかだと、祭壇も豪華だな~とか。
でもやっぱり自分が送られる側だとすると、
涙涙の悲しみとすがりつく絶叫を想像するより、
頑張ったね~ってその姿を誉めて送ってもらいたいな。
みんな、またいつか会えるんですものね。

投稿: しお | 2006年8月 8日 (火) 02時33分

涙は心を浄化してくれます。
泣きたい時は泣いて、そして気づいたら少しずつ
泣いた日が少なくなってくるはず。
涙は枯れませんし、これから何年経っても思い出す度に泣けるかもしれません。
でも、泣くことってイイことですよね。
yue少納言さんはいつまでもずっと笑顔でいるような気がしますけどね(*^_^*)

まおたん、すごくかわいいなぁ~
お当番、バツにならないように頑張ってるんですね♪

投稿: りんりん | 2006年8月 8日 (火) 08時42分

まおたんのお当番報告、いつもワクワクします♪だんだんきちんとできるようになってるんですね~!なんて向上心のある4歳!まおたん、えらいぞ!

ぱぱっちさんの『曲』、忘れられちゃうなんてあり得るものなんですか!?ちょっとビックリ・・・。結婚式と違って(というのもなんですが)人生で一度しかないのに・・・。ガッカリですね・・・。
骨が残っていたとのこと、わたしも嬉しかったです。まさにゾメタで頑張った甲斐がありましたね!

もう28日。時間が経つのって早いです。

投稿: すみ | 2006年8月 8日 (火) 12時26分

おうじろうさんのブログで葬儀の様子を拝見させて頂いてました。明るいお花がたくさん!yue少納言さんのイメージにぴったりだなーと思いつつ。

>けっこうしっかりしてました

yue少納言さんの絵文字が思い浮かびます。(=´▽`=)かな?ヘ( ̄▽ ̄*)ノかな?w( ̄▽ ̄;)w

もう一ヶ月経つのですね。
私はyannさんのブログに出ていた、空(鳥の雲)の写真が忘れられず、最近、空を眺める機会が増えました。
秋になったら、私も、『ワタクシ史上最高の写真』を撮ってもらおうと思っていますん!

投稿: きゃんべる。 | 2006年8月 8日 (火) 22時32分

>今回は、予想以上に会葬者も多かったのだが、
皆さんの気持ちがとても伝わってきて、本当にうれしかった。

なんだか私も嬉しくなりました。
本当にyue少納言さんの人生の証ですね。
「曲」のことは気になっていたのですが・・・残念です。。

「けっこうしっかりしていた」yue少納言さんの気持ちの絵文字は・・・ヘ( ̄▽ ̄*)ノ だと思いますっ!!

投稿: れひ | 2006年8月 8日 (火) 23時36分

>はむうしさん
私も、社会性の低い大人なので、yue少納言も、同じように心配していたんだろうなと思います。
まあ、まおたんには、そんな父親のありのままの姿を見せていくしかないと思っています。それを見てどう思うかは、まおたん次第。

>じゅんちゃんさん
はじめまして。ありがとうございます。
失礼な言い方かもしれませんが、「年老いていく姿」を見られることは幸せなことだと思います。「年老いて死ねる」ことは、それ自体ひとつの幸せだと思うんです。
確かに、たまにしか会えないのは、つらいですよね。でも、これだけ思ってくださる家族がいることだけで、お父様・お母様はとても幸せだと思うんです。
ご両親が、末永くお元気でいらっしゃることをお祈りいたします。


>しおさん
きっと、yue少納言もそう思っていると思います。痛いの嫌いなのに、がんばったところですからね。そりゃほめてあげないと。

>りんりんさん
まおたんを見ていると、人間、本当は、こんなに素直に笑ったり、涙を流したりできたんだよな・・とあらためて考えさせられます。成長するうちに、なんかいろいろ余計な殻ができてくるんですよね。

>すみさん
まおたんなりに、向上心はあるようです。がんばりどころが、何かおかしいときも多いけど。
斎場のスタッフについては・・。まあ、いまさら言っても仕方ないのですが、うーん、なんか、それ以前の問題なんですよね。社会人としての基礎レベルができてる人がほとんどいない・・。

>きゃんべるさん
「ワタクシ史上最高の写真」、きゃんべる。さんが一番輝いている「今」を残されることをお勧めしますよ。例のスタジオは、yue少納言も勧めておりました。
もし、よろしければ、ボタキッズのときに、使用前・使用後(?)の写真をお持ちしましょうか・・ヘ( ̄▽ ̄*)ノ。

>れひさん
そういえば、私も例の早期承認の署名書いてきました。こんな形で、みんなの声を集めることができるのも、このメディアの強さですね。
絵文字、たぶん、それだと思います・・。ヘ( ̄▽ ̄*)ノ。


投稿: ぱぱっち | 2006年8月 8日 (火) 23時47分

また、出遅れちゃいました。
ぱぱっちさんの曲が忘れられてしまったのは残念ですね・・・
でも、きっとyue少納言さんには聞こえていたと思います。

葬儀って、家族は色々残念なことがあっても
文句を言える精神状態じゃないし、
逆にとっても良くして貰っても、
またここに注文しよう、ということにはなりにくいですよね。
だから葬儀社も、決められた手順を淡々とこなせばいい
ということになりがちかもしれません。

でも、どんなお葬式にしたいか?って話になると、
結構みんな、その人らしい希望や思い入れを持っています。
そんな故人の意思が感じられるお葬式に、私もしたいし、出たいと思います。
そういう思いに応えて下さる葬儀屋さんが増えて欲しいですね。

>全体としては、故人の望む葬儀にかなり近かったのではないかと思う。

に、ほっとしました。


投稿: あつこ | 2006年8月 9日 (水) 00時26分

私もおうじろうさんのブログでyue少納言さんの望んだとおり、たくさんの洋花に囲まれた葬儀の写真拝見させていただきました。
きっとyue少納言さんもたくさんの方に心から送っていただいて、きれいな花もいっぱいで喜んでくれたでしょうね
お骨もしっかりしていたとのことyue少納言さんの ヘ( ̄▽ ̄*)ノ にいっぱい褒め言葉を言わなくっちゃ!頑張った甲斐があったね!
そうそう、まおたんもほめてあげないと!
お当番がんばったね!エライ!エライ!

投稿: のほほん | 2006年8月 9日 (水) 22時19分

>あつこさん
私がちょっとだけ後悔しているのは、故人の希望を最優先させたいなら、葬儀とは別に、お別れ会をすべきだったかもということです。標準的な「葬儀」の建前は「家」のものであり、「寺のための宗教儀式」として作られていますので、故人にあわせカスタマイズするのは難しいようです。
だから、音楽などは、取るに足らないものとしてしか扱われないんですよね。
葬儀のしきたりとは関係なく、本当に親しい人とだけ、「お別れ会」をする分には何でもありだったし、信頼できるところに任せることもできたかと。
でも、できる範囲の中では、よく実現したと思うし、妻も認めてくれているのではと思います。


>のほほんさん
そう、一番大事なことは、「心から送っていただいた」そのことだと思うのです。きっと、本人もあの場で、音楽より、立派な祭壇より、(お清めの料理より!)大事なことに気づいたんじゃないかなと思ってます。
まおたんは、昨日は保育園で男の子たちと一緒に怪獣ごっこ(?)で大騒ぎして、お仕置き部屋行きに。さらに、壁をよじ登って脱走を試みるも、落下し、足をすりむいて帰ってきました。心配ないようです。かなり元気です。

投稿: ぱぱっち | 2006年8月10日 (木) 00時03分

お葬式って一生に一度のことだから
(する方もされる方もね)
うまくいかなくて当たり前なんですよ。

しのぶ会など形をかえてされると
心の区切りがつきやすいですよ

投稿: りん | 2006年8月11日 (金) 19時51分

はじめまして。
こちらにはいつもお邪魔させていただいてたのに、初めてのコメントになります。
yue少納言さんの最期まで立派に病と向き合い続け、
ご家族を愛し抜いた姿に感銘を受けていた一人です。
葬儀の話は共感しつつ読ませていただきました。
密葬・家族葬は最近増えているのでしょうかね。少し心強い気がしました。
というのは、私も母をスキルス胃癌で亡くし、昨日葬儀を終えたばかりだからです。

我家も母の遺志(家族中心の親族のみで、好きだった花を沢山飾ってくれれば十分)を尊重して、密葬の形をとりました。
やせ衰えた姿を他人に見られたくないという本人や父の気持ちもあり、
自治会など近所の人にも亡くなったことを知らせませんでした。
でも世間一般で見るととても非常識な選択だったのかなと
考えては苦しくなり、自問自答しています。
父はすっかり憔悴しており、周囲には知らせたくないの一点張りでした。
実際、心無い親族(義理の)からは、
お悔やみはそこそこにクレームまがいの事を言われ辛かったです。
これからも色々な方に指摘されたり、噂などされることでしょう。
なぜ知らせてくれなかったのかと傷つけてしまうこともあるかと思います。
答えがないだけに、難しいです。
少しずつでもいい、儀礼的な葬儀から亡き本人、遺族中心の葬儀が認められるようになって欲しいものです。

支離滅裂な文章、長々と失礼しました。

投稿: aki | 2006年8月13日 (日) 20時41分

>りんさん
週末、みんなで「偲ぶ会」という名の「飲み会」をやってみて、「偲ぶこと」をみんなが集まる理由にしていけたらいいなと思いました。yue少納言が大事にしていた人とのつながりを、私も大事にしていけたらと思います。

>akiさん
はじめまして。
私もよくわからないのですが、ご本人のご遺志がはっきりしているなら、それに沿うことができてよかったのではないでしょうか。
非常識かどうかは、議論しても結論は出ないと思います。常識って人それぞれ違うのに、みんな自分の常識が必ず正しいと思っているわけですから。
心無いことを言う人っていますよね。
おそらく、心無いことを言っているということがわかってないんでしょう。要するにかわいそうな人だと思います。大丈夫、見る人はちゃんと見てくれていると思いますよ。

投稿: ぱぱっち | 2006年8月14日 (月) 22時44分

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