メッセージ
先ほど、いつものように娘・まおたんを寝かしつけようとすると、
「ぱぱっち、お話があるの。」という。
「なあに?」と聞くと、
「あのさあ、ぱぱっちとまおたんは、これから二人でがんばるんだよね。」
一瞬、どきりとしたが、
「そうだよね。いっしょにがんばろうね。」と答える。
「がんばるにはさぁ、まおたんも元気出さないと、がんばれないよね。」
このまま、また、まおたんにはげまされるのか・・と思って、
ちょっと「うるうる」しかかったところへ、こう来た。
「あのね、まおたん、プリキュアのカードがあれば元気出せるんだけど。」
そういう魂胆だったか・・・。日曜日のテレビ、恐るべし・・。
(テレビの問題ではない?)
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私が病室を後にしてから、yue少納言はさらに厳しい状態になっていた。
その後、親友2人が病室に到着した。(遠くから本当にありがとう。)
彼女たちの話では、まだyue少納言の意識はあり、呼びかけにも応えていたという。2人は、結局最後まで一緒にいてくれた。
家に戻った私は、不動産屋と電話で話をつけると、すぐ義妹に契約に行ってもらうように依頼。(この義妹には、本当に何から何まで世話になった。特に、まおたんの義妹に対する信頼は、ほかの誰よりも強い。)
それから、ブログに妻の状況を書き込み(7/11の記事)、コメントをプリントアウトしたその時。携帯が鳴った。妻の危篤を告げる、義母からの連絡だった。
私はすぐに保育園へ向かい、まおたんを車に乗せ、病院へ。
車に乗せるときに、まおたんには、
「ままっちは、もうお話ができない」ということを話した。
正直、理解できるはずがない と思いながら話した。
しかし、まおたんは、
「ままっち、死んじゃうんだね。まおたん、もう、泣いちゃうよぅ。」
私は、「まおたん、泣いてもいいんだよ。今は、泣くところだからね。」
と言うのがやっとだった。とにかく病院へと向かった。
途中、「ぱぱっち、もっとスピード出してよ。」と言い続けるまおたん。
しかし、その数分後、
「ぱぱっち・・・。もう間に合わないかも・・・。」
と、力なくつぶやいた。
その数分後、携帯が鳴る。
一度、呼吸が止まり、先生の手による人工呼吸で持たせている、と。
後でまおたんに聞いたら、「ままっちのことがわかった。」という。
yue少納言は、どんなメッセージを送ったのだろうか。
私たちが病院に着いたのは午後0時40分。
yue少納言は、すでに安らかな顔で眠っていた。
しかし、先生の手による人工呼吸(機械ではなく、人力だった!)により、まだ心拍を保っていた。一度は心拍も止まったそうだが、また動いたという。
私は妻の手を握り、「ありがとう」と言うのがやっとだった。
すると、まおたんが意を決したように、yue少納言のそばへ近寄り、
泣きながら、でも、大きな声ではっきりと言った。
「ままっち、いつも、ありがとう。ありがとう、ままっち。」
そして、私にしがみついて泣いた。
その声を聞いて安心したのか、yue少納言の心拍がゆっくりと止まった。
2006年7月11日、午後0時51分。
yue少納言は親友、母親、夫、そして娘の見守る中、まったりと旅立っていった。
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葬儀の後で、まおたんから聞いた話。
妻は7月9日の早朝、まだ寝ている私の横で、なぜか早起きしたまおたんに、すべてを話していったという。
自分が明日病院へ行ったら入院するかもしれないこと。
もしかすると、もう帰って来られないかもしれないこと。
死んだ後に、お葬式があること。
お葬式が終わると骨が残ること。
その骨はぼろぼろかもしれない(と言ったそうだ)こと。
でも、本当のままっちは骨ではなく、お星様になること・・など。
そのためか、まおたんはすべてのことを冷静に受け止めたようだ。葬儀でも、出棺や火葬場など、泣くべきところでしっかり泣き、そして、今は毎日仏前に手を合わせている。
もちろん、時々、寂しくて泣くこともある。そんな時は、私も一緒に泣くことにしている。
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今でも最期に病室を出たことについては、それで良かったのか、考えてしまいます。
しかし、結果的には良かったと思うようにしてます。
そうしなければ、まおたんを臨終に立ち会わせることはできなかったし、なにより、妻が私に言い残した言葉は、あと1つしかないと思うから。
もちろん、それは「今までありがとう」という言葉。
「最期」まで言わずにとってあるんだろうな・・ということはわかってました。
でも、今思うと、もしその場にいても、yue少納言は意識のあるうちにはその言葉は言わなかった、いや、言えなかったと思います。
大丈夫。言わなくても、十分伝わってる。
そして、私とまおたんからの最期の言葉は、しっかり届いたと、信じています。
妻の最期については、これでおしまいですが、
あとひとつ、妻の残したものをご紹介したいので、
次はそのことを書きます。
今日も、長い文章、最後までありがとうございました。
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