トップページ | 2006年3月 »

2006年2月28日 (火)

病気判明時のはなし・7

きのうの抗がん剤治療のあとは、ほんっとに

「きもわる~~ ( _△_ ;)モ・モウダメ・・・」

という感じで、ほとんどダウンしておりました。毎週、副作用って出方が違うんですよねぇ。
それだけを楽しみに病院にいったのに、今月ローテーションしてきたイケメン研修医さんにもあえず・・・。がっかり (ー。ー)・・・。

。。。。。。。。。。

入院以来初めての外泊で、家に戻ってきた。その夜は、夫婦で色々話し合った。

なるべく家族と笑顔で過ごしたい! 動けるうちは、家にいたい!

でも、痛いのもイヤだ。痛かったり苦しかったりするような時期には、緩和ケアを受けられるところに入院したい。・・・と、私の考えの方向性が見えてきた。

義父母に預けていた娘・まおたんを、夫・ぱぱっちが翌日夕方連れて帰ってきてくれた。

「ママ、あいたかったよ。はやくよくなってね。

ママだ~いすきo(*^▽^*)o」

と、抱きついてくる娘に、涙をこらえられなかった。ごめん、ママの病気はよくならないんだって・・・・。

「ママもまおたんがだいすきだよ」

と答えるのが精一杯だった。本当につらかった。

私は、まおたんがどんな大人に育っていくのか、この目でしっかり見たかった。
どんな小学生になり、中学生になり、高校生になり、どんな道を選んでいくのか。
そんなときに、アドバイスもしてやりたかった。
結婚するときだって、子供を産むときだって、母親として力になってあげたかった。

私は、あとどれだけ、見届けられるのだろう?

翌日(12/2)の夕方、外泊許可がそこまでだったので、一応また入院セットを持って病院へ。事前に、主治医の先生方とお話させてもらいたいと、お願いしておいた。

先生方がいらっしゃり、いつもの「カンファレンス室」へ。

前回、ここで治療するとしたら、具体的にはどんな治療になるのかを聞いていなかったので、聞いてみた。
私は、なるべく家族と一緒に過ごしたい、と伝えたこともあり、「外来で、抗がん剤の内服薬を飲み、時々点滴する・・・という方法があります」とのことだった。
数年前から、副作用の少ない内服の抗がん剤(TS-1)が使えるようになったという。

そして、私のがんの種類について、たずねてみたら、「スキルス胃がん」だと言われた。

何年か前、毎週見ていた、SMAPの剛くんの主演ドラマ「僕の生きる道」と同じだ・・・。
増殖や転移のスピードの速い、がんとしてもタチの悪いほうのものじゃなかったかな・・・。

先生は、定期的に胃カメラかバリウムでの検査をしていないかぎり、スキルス胃がんの早期発見は難しいですね、とおっしゃっていた。(スキルスだと、胃壁が厚くなるかたちで大きくなるので、胃カメラで一度だけ見てもわからないことも多いようだ)
あとでネットで調べてみたが、手術できても、多くは再発するらしい。

イヤな病気になっちゃったなー (*´ο`*)=3

治療をどうするか、早く決めなければ、またがんがどんどん増えてしまう・・・

お願いしたら、先生方が、セカンドオピニオン用の紹介状と資料をチョ~急いで用意してくださったので、外泊許可をのばしてもらって、それを持ち帰り、今度がん専門病院のGセンターへ行ってみることにした。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2006年2月27日 (月)

病気判明時のはなし・6

今日は、抗がん剤治療日です。
先週、風邪で治療を休んだため、とっても体調が良かったのに(?)・・・
でも、せっかく効いている治療だから、がんばって行ってきま~す(。・ω・)ノ゙

。。。。。。。。

夕方5時半ごろ、とうとう研修医のE先生が呼びに来た(!!)
いつも明るいE先生だが、前を歩く背中から硬い雰囲気が漂っている・・・。夫・ぱぱっちと二人で、緊張で震えながら、あの「カンファレンス室」へ向かった。

イヤ~~な予感・・・ (´Д`|||)

カンファレンス室のボードには、骨シンチとCTの画像がたくさん貼ってあった。
また、先生方3人と看護師さん一人が入り、説明が始まる。

骨シンチと血液検査の結果から、

がんが骨に転移している

という。
骨シンチの画像で、肋骨や頭蓋骨あたりに黒く写っているところがあり、そこが転移しているところだそうだ。
全身のあっちこっちに、黒いところがある・・・ ( ▽|||)

そして、

「できれば手術をしたいと思っていたのですが・・・・・

 こうなっていると、もう手術はできません

と言われた。

あとは、抗がん剤を用いた、延命治療くらいしか、やりようがないという。

しかしそれも、必ずしも延命効果があるわけではなく(効くかどうか、やってみないとわからない)、副作用もあるということだった。

そして、
この病院では、(保険がきく)普通に使われている抗がん剤を使った治療しかできない。
がん専門病院に行けば、未承認薬などでいいものを使えるかもしれない。
まずは、そういう専門病院にセカンドオピニオンを求めに行ってもいいと思う。
今後の治療を、どうするか考えておいてください。

・・・というようなことを言われた。

TVドラマを見ているみたいだ☆<( ̄□ ̄;)>☆

まさかこんなことが、自分の身に起こるとは。

あまりのことに、またもや質問もほとんどできないまま、先生方が退室。夫も、私の弟に電話するため、部屋を出ていった。私は、残った看護師さんと話す。

「こういうとき、ほかの患者さんは、普通どういう選択をされるんですか?」

とたずねると、
がん専門病院に転院する人もいれば、無理せず家でなるべく過ごしたいという人もいる。何も食べられないのだけは、せめて治してほしいと言って、胃の治療を受けた人もいたという。
その若い看護師さんは、目に涙をためていた。

私は、どうしたいのだろう?どうしたらよいのだろう?

それを考えるため、先生方の勧めもあって、2泊3日の外泊許可をもらった。
車で、途中買い物もしながら帰る途中、ぱぱっちが、

「泣いたって、怒ったっていいんだよ」

と言ってくれた。
なんだか、とってもうれしくて、涙が出てきた (ノд・。)
私は本当に、いい人と結婚した。
たとえ短くなったとしても、いい人生を送ってこれた。感謝すべきことだ。

私には、まだ残された時間がある。

これから自分の体がどうなっていくのか、それに娘のことなど不安も色々あるけれど、残りの時間をいかに後悔なく過ごせるか、良く考えよう。
私には、一緒に考え、支えてくれる家族がいるんだから・・・

私は外泊中、このように少しずつ気持ちを整理していったのだった。

(ここで脳内BGM→SMAP「世界に一つだけの花」)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年2月26日 (日)

病気判明時のはなし・5

きのうは暖かかったので、多摩動物園に行ってきました!秋、入院前に行ったときにはちっちゃくて「ウリ坊」柄だったマレーバクの赤ちゃんが、もう大きくなって柄も変わっていてびっくり! (右が子供のダン) アフリカゾウのマオちゃんも、まだ3歳なのにもうすぐ盛岡へお嫁に行ってしまうそうで、会ってきました(右がマオ)。こういう休日って、幸せですよね。

_035_2 _024

。。。。。。。

がんだと知らされた翌日の11/29に、「骨シンチ」という、骨の代謝を調べる検査をやることに。核医学検査室というところでやるのだが、そこは私の病棟からはるかかなたにあり、

放射能マークが、ドアからスリッパにまでついていた ( ̄□ ̄;)

まずそこで、午前中に放射性物質の注射をし、午後、注射の4時間後にまた行く。
検査は、細長ーいベッドにベルトで固定され、20分ちょっとの間、じっと寝ているとカメラが周囲を回って撮影するというもの。

撮影中は、はっきりいってヒマだった・・・。

この検査は、動けないのが少々つらいが、かなり楽。

この日は、看護師さんたちも、研修医のE先生も、私にすご~く気を使って、「眠れましたか?」とか声をかけてくれた。

E先生は、病院にいると食事くらいしか楽しみがないからと、食事の好みを聞きにきてくれて、私の嫌いな牛乳をヨーグルトなどに替え、多すぎる白飯の量を小盛にするよう、手続きしてくれた (ノ△・。)

婦長さんに、

「つらいことが二つ重なっちゃったわね・・・」

と慰められたときは、なんだか涙が出そうになった。
ゆうべはただ呆然としていたが、このときになって少しずつ泣けてきた。この病院の人たちは、みんないい人たちだなぁ~と思った。・゚゚ '゜(*/□\*) '゜゚゚・。

その翌日(11/30)、

午前中にCTの検査を受けることになった。

結果を知るのは怖いけど、知らないと前へ進めない。

緊急で検査をお願いしていたため、11時ごろ急に呼ばれた。
E先生が慌てて点滴の針を刺していると、ちょうど夫・ぱぱっちが来てくれた。で、3人でCTのある部屋まで歩いていく。CTの機械に寝て、ある程度撮影する。それから今度は造影剤(ヨード)を点滴の針から注入して、さらに撮影。

この造影剤が、入れるとすぐに体の中で熱く走り回る感じで、とても気持ちが悪い。

ぜんそくのある人は、この薬で発作が起きることもあるそうだが、それは大丈夫だった。

お昼ご飯は、点滴をつけたまま、病棟の上の階にあるラウンジへ持って行って、ぱぱっちと二人で食べた。このラウンジは、広くて窓が大きくて気持ちよかった。

夕方に、昨日と今日の検査の結果を教えてもらうことになっていたので、二人ともなんだか落ち着かなかった。
部屋へ戻ったり、食堂でお茶を飲んだり、ぱぱっちは、今度受けるTOEICの勉強をしてみたり(全然頭に入らなかったらしいが)・・・。

途中、E先生がベッドへやってきて、

「結果、今日聞きたいですか?明日にします?」

とたずねられたが、

こんなドキドキを一晩持ち越すのはまっぴら|||(-_-;)||||||

だったので、「できれば今日聞きたい」と答えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月25日 (土)

病気判明時のはなし・4

オリンピック、金メダル取れてよかったですね!次のオリンピックがまた見られるといいな~。
さて、昨日の話の続きです。

。。。。。。。

最初、救急で病院にいった日(11/20)に、胃の細胞を採取したものを、病理に回していた。急いで検査してもらうけど、それでも一週間くらいかかるとのことだった。

ウチの夫・ぱぱっちは、ちょうど入院一週間後の月曜(11/28)から、海外出張の予定が入っていた。成田を朝発なので、前の晩から成田のホテルに泊まっていた。

なのに!

その、ぱぱっちが出発する日の朝、私の主治医チーム、K先生・U先生・E先生の3人が私のベッドの脇にやってきた。

「今日の夕方、ご主人にも来て頂いて、病理の結果のお話をしますんで」という。

「あの、もう海外出張に行っちゃいました♪」と私。

「いや、まだ日本にいましたよ」

「ハア???( ・◇・)? え、あっ、そうでしたか?」

このときの先生方の表情は、なんだかいかにも

ナンか隠してる・・・(;¬д¬) アヤシイ

という感じであった。
いや、でも私は輸血してもらってから体調いいし、もうフロア内歩行も許可されたし、シャワーもオッケーになったし・・・退院の話だよね。うんうん。そうに違いない・・・でも、そんな話のために海外出張をやめなきゃいけないのだろうか?やっぱがん告知??・・・いやそんなことないってば!ほら私はこんなに元気いっぱいだもん。
いやーんもう、ぱぱっちったら心配しすぎなんだから~~(~-~*)≡(*~-~)

と、夫は私への、溢れるほどの愛 過剰な心配によって、出張をやめてしまったのだ!と思うことにした。

その日の夕方、夫が連絡をした弟もやってきて、夫もやっぱり海外出張をやめてやってきた。みんなそろったことを、ナースステーションに伝えると、しばらくしてE先生がベッドまで呼びにやってきた。

「カンファレンス室」というところに3人で入って座ると、先生方3人+私の担当の看護師さんが、対面に座った。K先生が硬い表情で口を開いた。

「・・・・・病理の結果ですが・・・・・

がん細胞がありました・・・・・・・・・・」

私たちは、ある程度の覚悟をしていたつもりだったが、

ド━━━(゚ロ゚;)━━ン!!

という感じでショックを受け、しばらく口がきけなかった。

「妊娠してらっしゃいますよね。今後、手術できるかどうか検査をしないといけないので、いろんな強い薬も使います。
ですから、

妊娠の継続は難しいと思います。

どうするか、ご夫婦で考えてください」

とも言われた。
実は、それについては、夫が面会に来てくれていたときに、こんな事態も一応想定して、すでに話し合っていたのだ。だから、即答できた。

「それは、あきらめます・・・」

とても、ツラいことではあったけれど、私たちにはすでに、まおたんという娘がいる。その、まおたんを私は育てていかなければいけないのだ。そのためには、私が元気にならなくてはならない・・・と思った。

「では、明日から検査を入れますので

ということになった。

あまり話をまともにできないままだったが、特に質問も頭に浮かばなかった。

頭が真っ白(゚◇゚)~

とは、まさにああいう状態なんだろう。涙も出なかった。

先生方が退室し、「ここをまだ使っていていいですよ」とおっしゃってくださったので、私と夫と弟、三人がカンファレンス室に残った。

私が「ごめんね」

というと、「あやまることじゃないよ( -_-)/(・・ )」

と二人が言ってくれた。とりあえず、みんなでがんばろうく( ̄△ ̄)ノと話し、また自分のベッドに戻ったのだった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006年2月24日 (金)

病気判明時のはなし・3

話が前後しますが、ここからは入院直後の「禁飲食・ベッド上安静」の時期の話になります。

。。。。。。。

入院したのは去年の11月21日だった。その日、私の胃にクリップを留めてくれたK先生とU先生が、入院した私のベッドまでやってきて、

「血液検査の結果、骨に異常があるときに値が上がるやつの数字が上がっているんだけど、骨折かなにかしている?」

とたずねられた。

「えっ?私は骨折なんて、したことありませんけど( ̄Д ̄;)」

と答えたが、なんだかイヤ~~な予感がした。(でも極力、気にしないようにした)
その数日後も、研修医のE先生がやってきて、

「先生方の話し合いの結果、CT検査をやったほうがいいということになりました・・・ぜんそくの人は、CTの造影剤を使うとアレルギー反応を起こす可能性もあるんですけど、造影剤を使って、画像がハッキリ見えるようにしたほうがいいと思うんです。yue少納言さんは、ぜんそくの症状は子供の頃だけみたいですし、アレルギー予防の薬も事前に投与しますからね!やりましょうね?」という。

がんの転移を疑っているらしい・・・(T▽T;)

ということは、私にもわかった。でもきっと、調べたらなんでもないさー!!と思うことにして、同意書にサインした。

CT検査をする予定の日、CT検査の説明書を読んだら、

「妊娠の可能性のある方」は、事前に医師か看護師に申し出るように、と書いてあった。
ウチでは、二人目の子供が欲しいと前々から思っていた・・・。
まだ次の生理の予定日まで一週間もあったため、まだ妊娠していても気づく時期ではなかったが、

妊娠の可能性がナイとも言い切れない

と思った私は、ベッドにやってきたE先生に、その旨を伝えた。先生は

「えーっ ノ( ̄0 ̄;)\!! じゃあ、とりあえず調べてみましょう・・・」

と困惑した表情で、産婦人科に行って妊娠検査薬を持ってきてくれた。まあ、薬局で売っているのと同じようなスティック状のアレである。

そしたら、それにクッキリと、線が現れた。これって、陰性だよね(^^;??と、E先生に見せると、

「いや、陽性だと思います・・・。婦人科に行って聞いてきます・・・!( ̄∇ ̄; )」

という。やはり、それは陽性だった。その日のCT検査はナシになり、エコーでお腹を見るだけになった。
その結果、エコーでは、特に異常は見つからなかったのだった。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2006年2月23日 (木)

病気判明時のはなし・2

翌朝、病院の外来へ行くと、K先生が昨日の胃カメラの写真を指差して私に見せた。しかし、わかりやすいポリープや穴がないので、私には、どこがどう異常なのかはわからない。先生はとっても心配そうな目で私の顔を覗き込みながら「潰瘍かもしれないし、腫瘍性のものかもしれない。今後も経過を見ないといけないと思うんだ。がんばれるかな?」という。

えーっ!今後も何回も胃カメラやるってこと??w( ̄△ ̄;)w

と思った私はげんなり・・・。でも腫瘍だったら大変だし、甘んじて検査を受けなきゃイカンなと思い、頷くしかなかった。で、昨日に引き続き今日も内視鏡検査室へ。

また胃カメラ。私は、モニターは見たくなかったので、ずっときつ~く目を閉じていた。でも、耳から入る情報によると、今日は昨日と違って、室内の先生たち二人がかりで胃の中にクリップを

バチン!!バチン!!

と留めたり、針で薬を入れたりしている様子。それは全然痛くはないのだが・・・

「はい、リラックスして~。息を止めて~。はい、もういいですよ~。」

などと、その間色々指示され、なかなか終わらないので苦しくなり、ツラかった。私は、9月に行ったバリ島・ウブドの田園風景や、泊まった部屋についていたプライベートプールを必死で頭の中に思い描いて、リラックスしようと心がけたが、

早くオシマイにして~ ヽ(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

という思いですぐに頭が一杯になってしまった。

このときは、私の胃の中で出血があり、先生方は止血のための処置をしてくださっていたのだった。まあ、開腹手術とかに比べれば、はるか~~に楽なもんなのだろうが・・・

処置がやっと終わると、K先生が横たわったままの私の前にしゃがんで、「このまま入院しよう、ね。」とおっしゃった。

実は、弟に昨夜電話でいきさつを話したとき、「もう一度呼び戻すなんて、よっぽどのことだから、きっと一週間は入院になるよ」と言われていたので、最低限の入院グッズは持ってきていた私は、素直に力なく「ハイ・・・」と言った。

その後、消化器内科の入院病棟へ車椅子で移動し、4人部屋へ。部屋にいた先客(?)は、やはり私より30歳以上は年上だろう・・・というおばさま二人。内視鏡のときの麻酔のためうまくしゃべれなかった私は、会釈だけしてベッドに入った。

月曜午前に入院し、止血を確認できた金曜の夜まで、ずっと

禁飲食・ベッド上安静!!

水も飲めない・・・。血がいっぱいでちゃったので、貧血がひどく、座っているだけでツラい私は、言われなくてもそうせざるを得なかった(T_T) トイレの行き帰りにも倒れたら危ないからと、毎回ナースコールしないといけない(T_T)

金曜の朝に輸血をしてもらったら、一気に元気が出たのだけれど。「血」の大切さを身にしみて感じた一週間だった。

止血を確認して、やっと食事がもらえたときはうれしかった!!流動食で、重湯はおいしくなかったけど・・・スープのアミノ酸のうまみが、本当にありがたかった
(*^∇^)o<■~~

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月22日 (水)

病気判明時のはなし・1

ブログを始めてみます。初心者ですが、よろしくです。

病気判明時のはなしを、少しずつ書いていきまーす。

。。。。。。

去年の9月中頃から、空腹時の胃の痛みと食欲不振を感じ始めた。たいした痛みじゃなかったし、市販の胃薬を飲めば治ると思っていた。しかし11月に入っても治らない(-_-)近所で「胃腸科」を標榜してるHクリニックへ行ってみることに。

先生いわく「胃潰瘍ができてるのかもね。とりあえず胃薬を2週間飲んでみて。治んなかったら、その時は胃カメラでもバリウムでもヤル気がでるでしょ」とのこと(!)

でも、治らなかった。ていうか、一週間後の日曜日の朝、なんと下血してしまった!自分は痛くも痒くもなかったのだけど。

明日またHクリニックへ行けばいいよね?でも、もしかしてこれってヤバい??と、ふと不安になったワタクシ。一応医者やってる弟に電話。

そしたら「すぐ救急病院にいってください」だってさ・・・。しかも「胃カメラで診るだろうから何も食べないで」だってさ・・・。なんでも、胃や十二指腸から出血をしている場合、容態が急変する可能性もあるという(!!!)

うわーん。やっぱヤバかったのだ~。

まず消防庁の救急テレフォンサービスに電話した。いくつか救急病院の電話番号を教えてくれた。次々に電話してみるケナゲな私に対し、皆「今日は心臓の先生しかいませんから」とか、「救急車で来た重症患者さんの対応をしているのでムリです」とか、「日曜なので、来てもらっても検査できません」とか・・・(T_T)

そのうちの一つの病院の人が「駅前のTクリニックなら、胃カメラもあるし日曜も診察しているはず。そこへ行かれては?」というので、電話予約を入れ、そこへ向かった。

そこの先生は、症状を聞いて首をひねりながら、「うーん。胃カメラやります?でも今日はできないから、予約入れてって」という。で、予約カウンターへ。そこで、まず感染症を調べるため血を採られ、「混んでいるので、12月○日になります」と、

なんと2週間以上先の日時を指定された。

ハァ?ナメとんのか??( ̄ロ ̄lll) 

と思ったが、ちゃんとした診察や検査をしてもらえそうな気配がないので、もうこんなとこ来ない!と胸に誓いつつ、一度帰宅。その後も、空腹でいらだつ気持ちをなだめながら、あちこちの病院に電話したのだった。

も~~すっかりうんざりしていた午後3時半ごろ、やっと「いいですよ。診ますから、いらしてくださいといってくれる病院が見つかった!電話に出てくれたのは、その後お世話になる、研修医のE先生だったのだが、

もうそれは、☆神の声☆のように聞こえた・・・。

ちょっと遠いが、夫に車を出してもらい、その某大学病院へ。症状などを改めてE先生に話し、まず採血して血液検査に出し、ベッドでしばし待つ。

その後私の主治医になるK先生がやってきて、ヘモグロビンが10.6しかなく出血している可能性が高いので、もう今、胃カメラやっちゃいましょう(!)ということに。

その日(11/20)は、たまたま消化器内科の先生が当直だったらしい。“イマドキの若者”って風情のE先生がさわやかな笑顔で、「よかったですね。K先生は胃カメラ上手ですからね!」と言ってくれた言葉で、私の「内視鏡検査の下手な先生だったらどうしよう・・・」という不安が払拭された。 (*゚▽゚ノノ゙☆ブラボー!!

胃カメラは、最初少しむせたけれど、思ったほどツラくなかった。胃の中は、出血の跡らしいものが見えたものの、血液はたまっていなかった。胃壁も、炎症を起こしているかなー程度の感じだった。とりあえずそのまま細胞を採取し、薬をもらって次の外来予約をしていったん家に帰った私たち。

夕食の準備をし、やっとごはんにありつける・・・

と思ったところで、電話が鳴った。さっきのK先生が、

「胃カメラの写真を改めて見たら、気になるところがありました。今後なにも食べないで、また明日の朝、胃カメラで診させてください

というではないかΣ( ̄ロ ̄lll) !!

うれしくない話だが、食事はガマン。。。また翌日、朝から病院へ向かったのだった。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

トップページ | 2006年3月 »